04


 怪我なんていつぶりだろう。前腕から肘にかけての惨たらしい切り傷に、私はいっそ冷静になっていた。発動しないまま残されていた対・勇者用のトラップがあったのだが、それを食らった。暗黒城がどこもかしこも暗いおかげで視認できなかったんだ。間接的には伯爵に原因があると言える。

「痛いし、血止まんないし……」

 咄嗟に腕で胴体を庇ったのは、かなり原始的で、ちょっと失敗だった。あいつに聞いていれば、今ごろこうはならなかったはずだ。まあドドンタスであれば「舐めておけば治る!」と笑いそうなものだが、元軍人の感性はあてにならない。非戦闘員の私にしてみれば、れっきとした大怪我だ。けっこう深く切れたから、出血も馬鹿にならない。

「おやおや〜、スピカ、大変そうだね」
「見計らったように来るね」
「キミのことなら、なんでもお見通しさ♡」

 ディメーンが嘘か本当か分からないことを言うから、無反応を貫いた。相変わらず、適当な男だ。そのまま睨んでいると「見せてごらんよ」と腕を取られた。なんと、気にかけているらしい。伯爵ズは異様なほど仲間意識が薄いので、てっきり大変そうだね〜アデュ〜みたいな反応を予想していた私は面食らった。

「深いね〜。これは酷いや」
「痕になったら嫌だな……」
「キミも傷痕は気にするんだね」
「するよ。私の体だから」

 なにを意外そうな顔をしているんだか知らないが、この傷の大きさは視覚的にショッキングだ。さすがの私も怪我そのものを痕すらなかったことにはできない。痛みは差し置いても、この惨状を見ていると、それだけで憂鬱な気分になってくる。

「ふうん? まあ、安心しなよ。そんなものはボクの魔法で消してあげる。ここだけの話、ボクの顔にも、大きな傷があったんだよ」
「そうなの?」

 なんだか最近初耳のことばかりだ。この前ディメーンの素顔を目の前で見たときには、傷痕なんて影も形もなく、ただ陶器のような肌があるだけだった。そもそも、勇者たちに負わされた致命傷だって、確か魔力が回復するまでひと月かかって、その後には嘘のように治っていた。

「それはもう、酷かったよ。ボクがまだ小さいころに大事故に巻き込まれてね。このあたりがぜ〜んぶ、焼けただれちゃったのさ〜」
「そうなんだ」
「Oui. アレは凄惨な事故だった。実際、みんなボクを死んだものとして扱ったよ。なんたって、ボクは生きたまま棺にまで入ったんだから」

 ディメーンは珍しく間延びしない口調でそう言って、顔の右あたりを仮面の上から手のひらで覆った。右目の周囲から、額にかけて。想像するだに大きな怪我だ。あの作りもののように綺麗な顔に傷痕が残ったのだと思うと、さすがに痛ましい。ひょっとしたら、仮面はそれを隠していた名残なのかもしれない。

「な〜んてね。これもボクの秘密さ〜。キミが内緒にしてくれるって、信じてるよ」
「また? 自分が勝手に話したのに」
「んっふっふ。約束さ」
「はあ、いいよ。好きにして」

 ディメーンはどうして私に秘密を教えたがるんだろう。結局どうして怪我をしたのか、何年前の話なのか、というかそもそも本当なのか。少しも全貌が見えてこないけれど、少なくとも彼にとって重要な過去っぽいことは伝わる。一つ、また一つと彼の秘密を知って、全てを知る頃には私はディメーンのことをどう思うだろうか。

「さて、話が逸れたね。とにもかくにも、このくらいの傷なら、ボクの魔法で──この通りさ〜」

 いきなり話が戻った。ディメーンが手袋を外したかと思うと、前ぶれなく私の傷を下から上になぞって、次の瞬間には綺麗さっぱりとなくなっている。チートだ。こんなことが軽々できるなら、彼は魔力がある限り無敵だ。大魔法使いの息子は大魔法使い。そういうことなのか。打ち砕かれた彼の野望も、あながち非現実的な話ではない。

「感謝してもいいよ〜」
「ディメーン、血がついてる」
「ああ、これ。こんなもの、気にするなよ」
「でも……ちょっと、何してんの?」

 舐めた。ディメーンの指についた私の血を。あまりのことに私はドン引きした。元々怪しい発言/行動の多いやつだとは思っていたが、何をどうしたらここまでキモくなれるんだ。ヴァンパイアでもなし。人の血なんか舐めて、一体何になる。

「そんな顔されたら、さすがに傷つくなあ〜」
「普通に洗えばいいじゃん。ありえない」
「どうして? これはキミの一部じゃないか」

 なんて男だ。その顔の美しさをもってしても、許せるかどうかはかなり際どい。得体も知れなければ、感覚まで常軌を逸している。まさか、治されたこの傷に怪しい細工でもされていたらと思うと、不安になってきた。

「心配しなくても、変なことはしてないよ」
「本当?」
「キミはボクの死に場所なんだ。キミに危害を加えないことを、この綺麗な顔に誓おうじゃないか」

 いつも私が約束させられるばかりだったが、今回ばかりはディメーンのほうから制約をかけてきた。本人が「危害を加えない」と言うなら、きっとそうだろう。

「なら、まあ、いいけど……」
「メルシィ。キミを大切にするよ」

 ディメーンはいつもどおりに笑っていた。その仮面の下にある金色の目はどんな表情をしているだろうかと、私は意味もなく想像している。