好きな人はあのままで |
仕事で常に忙しい父親と一人でいろいろとやっていた俺をよく気遣ってくれていた近所の人がいた。夕食を作るときいつも余分に俺たちの分まで作ってくれていて、俺が学校や野球を終えて帰る頃に毎日のように届けに来てくれていた。お裾分けで夕食のおかずを持ってきてくれるとき、おばさんは俺がその日学校であったことなどをいつも聞いてくれて、とても優しいおばさんだったのを覚えている。 だけどたまにおばさんではなく、俺より3つ上のお姉さんがその役割をするときがあった。どういうときにおばさんではなくお姉さんが持ってきてくれていたのかは未だによく分からないが、あの優しいおばさんに優しい娘あり。という感じで、お姉さんもとても優しくて、きっと出会ったときはお姉さんも小学生だったと思うが、3つ上とは思えない落ち着いた大人っぽさがある人だった。おばさんの代わりにお姉さんが来たとき、俺は何故か必死に今日あったことを自分からたくさん話した。話すことは全部自慢話ばかりで、お姉さんはそれを「すごいね」「頑張ってるね」といつも笑顔で褒めてくれた。きっと今思うと自分が出来たことをお姉さんに話すことでかっこいいと少しでも思われたかったんだ。そんな小さなアピールをしていたのがなんだか恥ずかしい。 でも、お姉さんが高校生になったとき。地元から少し離れた高校に通い始めたため、夕方に夕食のおかずを持ってきてくれるという行為が時間的に難しくなり、会わない日々が続いた。おばさんは俺とお姉さんが仲良くやっていたのに、お姉さんが届けに来れなくなったことを少し気にしていたようで、お姉さんの近況をよく教えてくれ、俺が話したこともお姉さんに伝えてくれていたようだ。決しておばさんが嫌いなわけではない。おばさんと話すのも楽しみではあったが、どこかわくわく感がなくなり、心の中の一部がすっぽり抜けて物足りない感覚が気持ち悪かった。中学生から江戸川シニアに所属した俺も次第に練習が忙しくなり、おばさんと会うことも減った。だけど家に帰るといつも父親の工場の入り口近くにちょこんと包みが置いてあり、おかずの受け取り役がいつしか父親の役割に代わっていた。また心の中のもう一部がすっぽり抜けた。 そして俺は野球をやるために地元を離れて青道高校へ行った。心の中に空いた部分があったことなんて、すっかり忘れてしまうくらい野球に没頭した3年間だった。 だけど何故、いま心の中にすっぽり空いた部分があったことを思い出したかというと、地元に帰って来たからだ。青道高校を卒業して地元へ帰ってきた今日。だけどゆっくりはできない。何故なら入団が決まり冬のキャンプから練習に参加しているプロ野球チームの寮に入らなければいけないから。小さいころ通りなれた懐かしい道を歩いていると、遠くに自分の家が見えてきた。高校時代、年末年始の強制帰省のときしか帰っていなかったから、たかが3年間の出来事だとしても毎度懐かしいと思ってしまう。そして、毎度帰るたびにお姉さんとおばさんのことを思い出す。思い出すけど、さすがに年末年始の忙しい時期というのもあって会うことなんてなかったし、俺も父親にあの人たちはどうしているかなんて聞かなかった。 そして今回もまた、お姉さんとおばさんのことを思い出した。今回こそ父親に聞いてみようか。そう思っていると、いつの間にか家の目の前に着いていた。 「一也くん?」 突然呼ばれて振り返るといま頭の中で考えていたおばさんがいた。まったく変わらない、あのころのままのおばさんだ。「お久しぶりです」と言うと、「元気だった?高校で一気に大きくなったわねぇ」と変わらない笑顔で声をかけてくれた。おばさん嬉しそうに俺の成長をわが子のように喜んでくれていて、照れくささがある。この人は俺も覚えていないような俺の小さいころを覚えているんだろうな。 「なまえ姉ちゃ…、なまえさんは元気ですか?」 「ふふ、なまえも相変わらずよ。ちょっとは成長してほしいくらいだわ」 「いま家にいるわよ。会ってく?」というおばさんの誘いかけに俺は急に背筋が震えた。一気に緊張感が高まり、返答を躊躇ってしまった。「えっと」とどもる俺におばさんはにこにことしていて。おばさんはきっと見透かしているんだ。わかっているんだ。お姉さんに会うのが怖い俺の気持ちが。成長とはこういうところが嫌だ。おばさんはああ言っているけど、お姉さんだって成長して、俺が知っているお姉さんではなくなっているんだ。 「いえ、よろしくお伝えくださ─── 「お母さん!」 成長から目を背けようとしたとき。俺の家に向かって走ってくる綺麗な女の人がいた。たとえその人がおばさんに声をかけていなくても誰だかすぐにわかった。すごく綺麗になっているが、昔の面影は変わらず残っていた。 「えっ、一也?」 「なまえさん…」 「びっくりしたー!いまおじさんにおかず届けに行こうとしてたの」 なまえさんの大きな目はもっと大きく見開かれ、ぱちぱちと瞬きをしていた。おばさんは懐かしそうに微笑むと、「いまなまえは調理師の専門学校卒業してね、栄養士さんやっているのよ」と言った。なまえさんはおばさんの言葉に頷き「たまにこうやっておじさんの差し入れ私が作ってるんだ」と、なまえさんもあのころと同じ笑顔でそういった。 「ねえねえ。一也」 「なんですか?」 「いままであったこと、いっぱい聞かせて」 好きな人は あのままで (ああ、あのままの笑顔だ) |