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トラウリヒカイト・トラウム


今からもう、何百年前になるでしょうか?
莫奇は元々、中国に住む『莫奇(ばくき)』と言う、夢を司る神。その末裔でした。
しかし、いつからか莫奇は、夢を司る神ではなく、悪夢を食べる貘と混同され、神としての信仰ではなく、霊獣としての信仰を得るようになりました。
貘の容姿や伝説も多種多様で、莫奇は自分自身の姿を、時代や場所と共に変えていきました。
そして日本に渡り、莫奇は悪夢を払う霊獣『貘』として、この地で暮らしていく事を決めたのです。
様々な夢を渡り歩いた莫奇は、当然の事ながら、幻想郷の存在も知りました。
外の非常識が、幻想郷での常識。妖怪の楽園。忘れられたものが流れ着く世界。
幻想少女達の夢の中で、幻想郷の話を聞き、神遊び(弾幕ごっこ)の楽しさを知り、幻想郷に住む神々に羨望を覚えたりもしたものです。
しかし、未だ貘としての信仰をある程度得ていた莫奇は、その日が来たらと、幻想郷を後にしました。
そしてまた、夢放浪の旅を続けた莫奇は、ある村で足を止めます。


山の中にある、緑に囲まれた小さな村。
絹織物が盛んなこの地で、男達は田畑を耕し、女達は糸を紡ぎ、子供達は無邪気に外を駆け回る。
そんな、決して裕福とは言えないながらも、幸せな毎日を送る、名も無き村。
そこで莫奇は、ひとりの少女と出会うのです。
その少女の夢は、莫奇にとって居心地が良く、少女自身、夢に干渉しやすい個体だったのです。
莫奇は、夢の中で少女に接触し、自分の正体を明かしました。


「神さま?」
「そう。私は、夢を司る神。夢獏 莫奇」
「ぼう…?」
「夢獏 莫奇。ナギと、呼んでくれれば良いわ」


少女は言わば、とても“良い子”であり、 その村のみならず、隣村の者達ですら、少女の事を知らぬ者は居ない程、少女はとても良い子であり、優しい子だったのです。
そんな、皆に愛される少女。その少女が見る、穏やかで優しい夢に揺られながら、莫奇はその、神としての永い人生の、束の間の安らぎを堪能していました。
いつまでも、この安らぎが続いてほしい。そう願ってもみた程です。


それから、幾度かの季節が過ぎた頃。
少女は親の手伝いで、麓の町に来ていました。
絹織物を売り、村の収入とする為です。
絹織物を売り、暫く町を散策していると、少女はある噂を聞く事になるのです。
近隣の村で、眠り病が流行っている。と。
眠り病に罹った者は、みるみる衰弱していき、最後には親族の顔を見ることなく、眠ったまま息を引き取るのだと。
そして、眠り病に罹ったら、治す術が無いと。
少女と両親は、この事を村長に報告しました。


「眠り病…」
「はい。近隣の村々で流行り始めているようで。しかも、治す術も防ぐ術も無いとの事」
「そうか…」
「まだ噂の段階ですが…」
「…男衆を集めてきなさい。これからの事を話そう。……噂で済めば良いが……」


少女は早めに床につき、莫奇に眠り病の話をしたかったのですが、なかなか寝付けずにいました。
あんな噂を聞いてしまったのですから、無理もありません。
しかし、まだまだ子供。次第に睡魔に勝てなくなり、いつの間にか、少女は眠ってしまいました。


夢の中。
いつの間にか、眠ってしまった事に気付いた少女。
しかしそれよりも、今は莫奇に、噂の事を話す方が先決だと考えた少女は、さっそく莫奇に、眠り病について話すのでした。


「眠り病か…気になるわね」


莫奇が少女の夢に留まって以降は、少女と村人以外の夢には行っていなかった為、そんな事が起こっているなど、知る由もなかったのです。
そして莫奇は、眠り病に対して、嫌な予感を覚えます。
しかし、少女の前で深刻な顔をすると、少女が心配してしまうため、莫奇は少女に、私が居るから何の心配も無いと告げ、少女を安心させます。


翌朝。
村長から話を聞いた男衆達の数名は、噂の真意を確かめる為、近隣の村へと出掛けていきました。
その間、残った男衆達はいつも通りに過ごすよう、噂の事は口外しないよう、村長から釘を差されていました。


暫くして、男衆達が帰ってきました。
再び、村の男衆達が村長の元へ集められます。
帰ってた者の話によると、やはり、眠り病の噂は真実でした。
近隣の村々では、既に眠り病で何人も亡くなっており、皆口を揃えて「眠りたくない」「夜が怖い」と話していたそうです。
その様な事が起こると、人は、更に悪い噂を生み出すものです。
眠り病患者の近くに寝ていた者は伝染する。眠り病患者に触れると生気を吸われてしまう。等と言った、根も葉もない事を言っている者も居たそうです。
そして、最も質の悪い噂が。


『眠り病患者を殺せば、その一瞬だけ目を覚ます』


と言うものです。
親族の顔も見れないままに、眠ったまま息を引き取るくらいなら。
どうせ、このまま助からないのなら。
その噂を信じ、何人の村人が、自らの家族を手に掛けたことでしょうか。
活気に溢れていたその村は、眠り病の所為で活気を失い、男衆達が着いた頃には、村人達は生きる気力を失っていたと言います。
次第にその村は廃れ、誰も寄り付かなくなるのも、時間の問題でしょう。


話を聞いた村長は、深く溜め息を吐きます。
男達も皆、俯き黙ってしまっています。
せめてこの村だけでも、眠り病が広まらないようにと願いたいところですが、原因も分からず、町医者も匙を投げている状況です。


「…この事は、他言無用だぞ。余計な混乱を招くからな」


村長のその言葉で、その場は解散しました。
そうして各々、当たり前の日常に戻っていくのです。
そう、それはまるで、眠り病の事など忘れてしまおうとするかのように。
目の前の現実から、目を背けようとするかのように。
悪い夢を、見てしまわないようにするかのように。


そうしてまた、幾度かの季節が過ぎた頃。
眠り病の事も、近隣の村の事も、漸く忘れる事が出来、村人達はいつも通りの生活を送っていました。
眠り病の噂も無くなり、事態は沈静化したと思われていました。
しかしそれは、ゆっくりと着実に、この平和な村に迫っているのでした。


始まりは、村長の息子。
彼は若いながらに、仕事をよくこなし、真面目で、村人からも尊敬され、頼られていました。
そんな彼が、その日は、畑仕事に出て来なかったのです。
最初のうちこそ、たまにはそんな日もあるだろうと、男達は思っていました。
しかし、それが二日、三日と続き、流石に心配に思った少女の父親は、村長の元を訪れました。


「村長。貴方の倅(せがれ)が仕事に出て来なくなって、もう三日目だ。何かあったのか?」
「………何も無い。ただ……眠っているだけだ」
「…それは、どういう?」
「……そのままの意味だ。頼む……放っておいてくれ……」


村長の態度に不吉な予感を覚え、少女の父親は、村長の制止を振り切り、家の中へと上がります。
廊下を進み、奥の襖を開けると、部屋の中央で眠っている、村長の息子の姿がありました。
逞しかった体は痩せ細り、一見しただけでは、それが、村長の息子だと判断するのが難しいほど、変わり果てた姿になっていました。
遅れて村長が、部屋に入ってきます。


「そ、村長……。これは、まさか……」
「そう……そのまさかだ。さあ、もう出て行きなさい」
「しかし……」
「出て行け!」


普段の、優しい村長とは思えないほどの激しい剣幕に圧倒され、少女の父親は何も言えないままに、部屋を後にしました。
少女の父親が見たもの。村長の息子の状態。それは、紛れもなく。
しかし、その事を皆に話すかどうか、少女の父親は悩んでいました。
しかし結局、皆に話す事など出来なかった彼は、男達には、体調が優れないようだと伝えるのみでした。


午後になると、空には厚い雲が掛かり、冷たい雨を落とし始めました。
薄暗い部屋の中、変わり果てた最愛の息子の、その痩せ細った手を握り締め、村長はある、恐ろしい決断を下すのです。


翌日になっても、雨が上がる事はありませんでした。
そんな中、村長の家に集められた村人達。
泣き崩れている村長とその妻。その前には、大きな桐箱。
村人達は手を合わせています。
少女は、これが何なのかは分かっています。
だから少女は、他の子供達のように見様見真似ではなく、しっかりと、桐箱に向かって手を合わせているのです。
桐箱の中の者へ、安らかな眠りを祈って。


後日、村の男達は、村長の家に集まっていました。
村長の息子の、変わり果てた姿を目の当たりにして、何があったのか、村長から話を聞くためです。
男達の脳裏を過ぎったのは、近隣の村々で流行っていた、あの眠り病です。
頑なに口を結んでいた村長でしたが、男達に詰め寄られ、とうとう観念し、自らの息子に起こったことを、語り始めたのです。


「息子は……眠り病を患っていた。それは、お前にだけ伝えたな」


少女の父親を見つめる村長に、小さく頷きます。


「この事だけは…眠り病が再び現れた事だけは、村の誰にも知られてはならない。そう考えた。……だから」


村長は俯き。


「儂は……短刀を手に取った。皆を、不安にさせぬ為にも……眠り病の事を、誰にも知られぬ為にも……そう思い、儂は……」


一つ二つ、涙を落とします。


「儂は……儂は、大馬鹿者だ……」


村長の姿を見て、誰も、何も言えなくなってしまいます。
しかし、眠り病が再び現れた事実は、受け止めなければなりません。
翌日から、村の数名は町へ出向き、眠り病の治療方法を探しました。
また、妖怪の類の仕業であるとの可能性も考え、山奥の寺の住職や、隣町の神社の神主にも、協力を仰ぎました。
そうやって、眠り病の事を調べていくと、ある事実が浮き彫りになりました。


眠り病は、沈静化してなどいなかったのです。


あれ以来、近隣の村とは交流を絶っていました。
眠り病の噂を聞かなくなったのは、あの村は眠り病蔓延により、それを恐れ、村人が離れていってしまった所為だったのです。
だから今回、少女の村に眠り病が。
この由々しき事態に、莫奇が黙っている筈がありません。
莫奇は、独自に夢の中から、眠り病について調べる事にしました。
眠っているのであれば、眠り病患者の夢に侵入できるはず。そう考えたのです。


数日後。
村人達の努力も虚しく、少女の村では一人、また一人と、眠り病を患っていきました。
今のこの村に、かつての幸せだった日々、その面影を見る事は出来ません。
老若男女関係なく、眠り病に蝕まれていく村を、少女は悲愴の眼差しで見つめています。
それは莫奇も同じでした。
一刻も早く、眠り病の原因、治療法を探さなければ、少女にまで眠り病の魔の手が及んでしまう。
この少女の悲しむ顔を、これ以上見たくない。
悲壮の決意を固めた莫奇は、眠り病を患っていない村人の夢に侵入し、その瞬間を待ちます。


莫奇が調べた結果、眠り病患者は、何故かその夢が、夢の深淵から隔離されている事に気付きます。
本来、全ての夢は、その深淵では繋がっているのです。
莫奇は、この深淵を通って、他者の夢を渡り歩いていたのです。
これは、夢に属する者でなければ出来ない業。
しかし、眠り病患者の夢へは、莫奇の力を持ってしても、入り込むことが出来ませんでした。
そこだけが、何らかの要因で隔離されているかのようです。
故に、どの様な夢を見ているのかを、伺い知る事が出来ません。
眠り病特有の現象なのかもしれません。
しかしこれが、何者かの故意によるものだとしたら?
何者かが、眠り病患者の夢を、隠しているのだとしたら?
それを確かめるため、莫奇は予め村人の夢に侵入し、その者が眠り病を発症するのを待つことにしたのです。
当然、今侵入している者が、最期の眠り病患者になるかもしれません。
しかし、眠り病患者の夢に侵入出来ない以上、こうするしか方法が無いのです。


数日後、また新たに、眠り病を患った者が。
これで、村人の半数近くが、眠り病を患った事になります。
悪化の一途を辿る村を見て、村長はある決断を、村人達に迫るのでした。


村を離れるか。運命を受け入れるか。


しかし、慣れ親しんだこの村を離れようとする者は居らず、眠り病にかかっている者を、見捨てるつもりもありませんでした。
それは少女も同様で、きっと莫奇が何とかしてくれると、元の明るい村に戻してくれると、信じて疑わないのです。


眠り病患者の夢の中。
莫奇は、この夢に違和感を覚えます。
暑ければ涼しく、寒ければ暖かくなり、空腹を覚えれば質素な食事が並び、遊びたくなれば親しい友人が現れ、そして家族の顔が見たければ…。
その者が少しでも、心の中で望んだ事。とても小さな、欠片ほどの欲を叶えてしまうのです。
そして、夢を見ている本人にとって、ここは紛れもなく現実なのです。
更に、外からの刺激は全て遮断されています。
こんな夢を見ていれば、目を覚ます事など到底出来ないでしょう。
その夢を、外側から操作している人物を、莫奇は睨み付けます。
フード付きのローブを着ていて、顔を伺い知る事は出来ませんが、その者の正体など、莫奇にとってはどうでも良いのです。
目の前に居る者こそが、眠り病の元凶だと、莫奇は確信したのですから。


莫奇に気付いたローブの者は、夢を操作する手を止め、莫奇の方を向きます。
他者の夢の操作。人間には、到底出来ない芸当です。
莫奇は、今すぐこの者を、夢から解放するよう言います。
するとローブの者は、そのフードを取り、桃色の髪をかきあげました。
どうやら、女性型の夢魔族のようですが、その表情はどこか悲しそうです。


「こんなに村人を苦しめて…貴女の目的は何なの?」
「…私の目的は、夢の中で、彼等の夢を叶える事。他に、目的など無いわ…」


夢魔族の態度が気になりますが、これ以上村人達を苦しめないためにも、眠り病の元凶を絶たなければ。莫奇は臨戦態勢に入ります。
それを見た夢魔族は、更に悲しそうな表情を浮かべながら。


「お願い…私達の事は、放っておいて…」


そう言い放つと夢魔族は、下級の妖怪とは思えないほどの、強大な魔力を放出しました。
その魔力に弾き飛ばされた莫奇は、眠り病患者の夢から押し出されてしまいます。


夢の深淵。莫奇はそこで、波間に浮かぶ木片のように漂っていました。
痛手を負ったわけではありませんが、この場所は、考え事をするのに都合が良いのです。
考えているのは、先程の夢魔族と眠り病の関連性。
夢魔族であるなら、人間の生気が目的でしょうし、女性型の夢魔なら、反吐が出るような欲望の夢を見せる筈です。
しかし、彼女の目的は、夢を見せる事だと言っていましたし、夢の内容も、何と言う事はない、普段の生活内のささやかな欲。
彼女は本当に、眠り病の元凶だったのでしょうか?
そして。


『お願い…私達の事は、放っておいて…』


彼女のあの、悲しそうな表情。
そして“私達”と言う単語。
彼女からは色々と、聞かなければならない事が増えてしまいました。
兎に角もう一度、彼女に会わなければ。事態は一刻の猶予もありません。


莫奇は、少女の夢に戻ってきました。
もし、話し合いが拗れ、戦闘になってしまった場合、あの魔力に太刀打ちできる程、莫奇の力は強くはないのです。
そこで莫奇は、少女に協力を求めるのでした。
莫奇は、今は霊獣ですが、元は神。
信仰の力が、莫奇の力になるのです。
少女が莫奇の事を、強く信じてくれれば、莫奇は更なる力を発揮できるのです。
正直なところ、少女を巻き込みたくないと言うのが、莫奇の本音です。
しかし、眠り病を治療する。或いは、その方法を得るため。そして、話し合いで解決出来なかった場合に備え、少女に協力を仰ぐ他ないのです。
勿論、失敗すれば、少女のみならず、この村。果ては町にまで、眠り病の被害が及んでしまうかもしれません。
その事を、少女に伝えます。
すると、少女は快く、莫奇を受け入れてくれました。


「…本当に、良いのですか?もし、上手くいかなかったら…貴女だけでなく、村の者も…」
「そうならないように、ナギ様は頑張ってくださるのでしょ?」
「それは…そうですが…」
「大丈夫です。私、ナギ様を信じていますから」


少女は莫奇に祈ります。
すると莫奇の体に、力が溢れてきました。
これなら、隔離された夢の中へも入れそうです。
少女の協力に感謝し、必ず守ると約束すると、夢魔族の潜む夢へ向かうのでした。


その頃。
村人達の間では、あの噂が囁かれていました。
あの、最も質の悪い噂。
もう、この村でも数名、噂を信じた者によって…。
そうして、絶望が絶望を呼び、男達は、村人全員分の桐箱を作り始めました。
ある者は、目に涙を浮かべながら。またある者は、親族との思い出を振り返りながら。
自分が、そして親族が入る為のその箱を、ただ、黙々と作り上げていくのです。
そして女達は、箱に入る為の白装束を作るのです。
自分と親族の分を。
村長は、自らの身と、村人全員分の短刀を清めています。
自ら手に掛けた、息子の事を思い出しながら。
こんな事は間違っている。それは、村の誰もが思っていること。
しかし、その手を止める事など、誰にも出来る筈がないのです。
せめてもの…。せめてもの…。皆が皆、そう思っているのですから


その日の夜。
あの夢魔族を探そうとしていた莫奇でしたが、その手間が省けました。
夢魔族が、少女の夢に現れたからです。
早速、眠り病について聞くため夢魔族に近付くと、夢魔族は憎悪の眼差しを、莫奇に向けていました。


「放っておいてと…言ったはずよ…」
「放っておけるはずがないわ。貴女、眠り病について、何か知っているのでしょう?」
「…知ってどうするの?貴女に、何が出来ると言うの?」
「眠り病を止めるの。これ以上、あの子の悲しむ顔を、見たくないのよ」
「やっぱり…貴女は何も分かっていない。私達を放っておいてくれないのなら……容赦しないわよ?」


夢魔族は、その強大な魔力を解放します。
それと同時に、夢魔族は立方体の空間を作り出しました。
その空間は、莫奇と夢魔族を取り囲みます。


「待って!私はただ、この子と村人達を救いたいだけなの!お願いだから話を聞いて!」
「それが…その考えが、何も理解していない証明。…夢を司る神なら、もっと広い視野を持ちなさい。見えないものを見据えなさい」


夢魔族は、解放された魔力から、多彩な攻撃を仕掛けてきます。
出来れば話し合いで解決したい所でしたが、こうなってしまった以上は仕方がないと、莫奇も応戦を始めます。
そうして次第に、二人の戦闘は激化していくのです。


翌日。
少女の両親は、少女の傍らで泣いていました。
後ろでは村長が、やるせない表情で、少女を見つめています。


「……仕方のないことだ。どうするかは、二人で決めなさい」


そう言って、村長は立ち去ります。
分かっていた事とは言え、現実を突き付けられた両親は、暫くの間、その場から動けずにいました。
少女は、とても穏やかな表情で、すやすやと寝息を立てています。
両親は、自分達は眠り病にかかっても、この子だけは。そう思っていたことでしょう。
しかし、現実とは非情なものなのです。
揺すっても呼び掛けても、起きる様子を全く見せない少女。
その日は食事もままならず、両親はただただ、少女の傍らに居てあげる事しか出来ませんでした。


更に翌日。
両親は自分達の決断を、村長に伝えました。


「そうか……本当に良いのだな?」
「はい…。このまま目覚める事が無いのであれば…いっそのこと」
「皆まで言うな。…儂は準備をしてくる。最期まで、安らかにあるようにな」
「ありがとうございます…。出来る事なら、私が代わりになってあげたい…もっと色々な事を、あの子に教えてあげたかった…」
「……あの子は、両親にこんなにも愛されて幸せ者だな。明日、お前達の家に行こう。今日一日、側に居てあげなさい」
「ありがとう……ございます……」


村長に深々と頭を下げると、両親は少女の元へ戻っていきました。
今まで捧げる事の出来なかった、目一杯の愛情を注ぐために。




そうして運命の日。


夢の中では、莫奇と夢魔族の激しい戦いが、たった今、終わりを迎えました。
肩で呼吸をしている莫奇。
目の前には、仰向けに倒れている夢魔族。
どちらも疲弊しきっていますが、どこか清々しさも漂わせています。
夢魔族は仰向けのまま、莫奇に語りかけます。


「…楽しかった。こんなに楽しかったのは、この子と一緒に居た時以来…」
「知っていたの?」
「ええ…貴女が出会う前からね…」
「…何を知っているのか、教えてくれるわね?」
「……………」


暫しの沈黙の後、夢魔族はゆっくりと語り始めました。


莫奇が少女に出会う少し前。
この夢魔族も夢の中、放浪の旅をしていました。
そしてこの村に辿り着き、少女の夢に入った瞬間、夢魔族はある事に気付きました。
この少女は、夢を自在に操る力を持っている事に。
普通、人間が夢を操る為には、明晰夢(めいせきむ)と言う夢を見なければなりません。
訓練次第では、意図して明晰夢を見る事が出来るようになるのですが、この少女は、明晰夢など関係無く、夢を操る事が出来てしまうのです。
夢魔族は興味本位で、少女に近付きました。
そこで夢魔族は、ある事実を知ったのです。


「生気を…吸収してる…?」
「そう……夢魔族でもないのにね。その自覚も無い。他人の夢に入って生気を吸収する訳でもない。自分で自分の夢を操作し、疲弊し、生命力が少しでも落ちたら、他人から生気を吸収する。そこら辺の夢魔族より質が悪かったわ…」
「その事を教えたの?」
「…ええ。でも、無意識にやっている事を、止める事なんて出来なかった。そうして次第に、夢の情報量と生気の吸収量が増大していったわ。……人の命を奪う程にね。大量に生気を吸収された人間は、目を覚ます事が出来なくなってしまったわ」
「まさか、それが…眠り病?」
「…そうよ。そして、眠り病にかかった者は、悪夢を見ながら息を引き取るの。最期くらいは悪夢を見ないようにと、眠り病患者の夢を動いていたのが私って訳」
「そうだったの…」
「でも、これで漸く、あの子も、あの子の両親も、村人達も救われる筈よ…」


そう言って夢魔族は、そっと人差し指を“上”へと向けます。
そこには、夢の外側。現実世界の様子が映し出されていました。
目の前には、短刀を片手に何かを唱えている村長の姿。
横には、涙を流す、少女の両親の姿。
村人達も集まっているようです。


「…まさか!」
「そう…その、まさかよ」


夢魔族は小さな笑みを浮かべると、その体は霧となり、夢魔族は消えてしまいました。
莫奇は夢魔族の姿を探します。
すると夢魔族は、祈り続けている少女の傍らに居ました。
急いで目覚めさせなければ、少女の命が。
咄嗟に駆け寄る莫奇でしたが、夢魔族の作り出した空間の壁に阻まれ、近付く事が出来ません。
莫奇は透明の壁を叩きます。
少女の名を叫びます。
何度も何度も何度も何度も。
しかし、両手に血が滲み、声が枯れても、莫奇の叫びは少女には届きません。


そして…。


少女の手を取り、別れの言葉を告げる両親。
お経を読み終えた村長は、少女に歩み寄ります。


「幼子のお前に、こんな仕打ちをする儂を許してほしい。お前のその優しさに、儂も村人も、お前の両親も、どれほど救われたことか…。最期は両親に看取られながら、せめて安らかにあれ……」


涼花よ



白刃が、少女の胸に突き立てられました。
溢れ出たものが、少女を朱に染めていきます。
その場に居た全員が、少女の最期の目覚めを待ちます。
しかし少女は、もう二度と目覚める事はありませんでした。
母親は、少女を抱え上げます。


「どうして?…どうして?目を…開けて…お願い…」


泣き叫ぶ母親。それを支える父親。
あの噂を信じ、実行し、他の者は、最期に目を覚ましました。
しかし、少女は目覚めません。
この結果に、誰が誰を責められましょうか。
運が悪かった。そう、自分に言い聞かせるしかないのです。
村人達は親子の姿を見て居たたまれなくなり、一人、また一人と、その場を後にしました。


「儂は…間違っていたのか…?」


そう呟き、村長もその場を後にします。


命の灯火が消え、主を失った夢は崩壊を始めました。
もう、少女の姿はありません。
少女を救えなかった罪悪感から莫奇は、このまま、少女の夢と共に消えてしまおうと、その身を委ねていました。


莫奇が目を覚ますと、そこは夢の深淵でした。
莫奇は神。信仰ある限り、消えることは出来ません。
時折、そんな体を不便に思うこともあります。
ふと、あの夢魔族の姿が見当たらない事に気付きます。
体を起こし、辺りを見渡します。
すると、少女の夢の跡を前に、夢魔族が佇んでいました。
莫奇が近付くと、それに気付いた夢魔族は振り返り、莫奇に話し掛けます。


「ここに、あの子の魂があるわ。…これをどうするかは、貴女に任せる」


その意味を理解した莫奇は、小さく頷きます。
それを確認した夢魔族は、莫奇に、あるお願いをするのでした。


「私を……封印しなさい。あの子に対する、せめてもの罪滅ぼしよ」


莫奇は頷くと、呪文を唱え始めます。
それを見て、夢魔族は小さく呟きます。


「ごめんなさい…」




翌日、少女の入った小さな桐箱を、村人達は盛大に送り出しました。
しかし、こんな事をしても、少女の両親の、そして村人達の傷は、癒える事などありませんでした。


その日を境に、眠り病はその姿を消しました。
しかしその事に、誰も喜ぶ者など居ません。


村長は、近くの森の中にある、広場に来ていました。
この広場には、注連縄で括られた大岩があり、由縁は忘れられて久しいですが、村の御神体として信仰されてきました。
その大岩の前まで来ると、村長は御神体に、ある報告をするのでした。


「我々は、あの一件と向き合う事が出来ず、長年住み慣れたこの村を、去ろうと決意致しました。我が村の御神体よ。今まで村を見守って頂き、有り難う御座いました」


村長は深々と頭を下げ、御神体に一礼すると、その場を後にしました。
こうして、いつしかこの村は、誰からも語られる事がなくなり、思い出だけを残して、その姿を消しました。




続く