涼花ちゃんストーリーまとめサイト(改)
詩人は語る
西に傾き始めた太陽は、幻想郷を朱色に染め上げます。
先ほどまで忙しく鳴いていた蝉の声に代わり、今は蜩(ヒグラシ)の鳴き声が、夕焼けを物悲しく演出しています。
涼花ちゃんを家まで送り届けた霊夢、魔理沙、さとりの三名は、今回の元凶を退治すべく、その場所へと向かいます。
時は少し遡り、涼花ちゃんの夢の中。
白装束を身に纏った少女は、霊夢達にある事を伝えました。
「私の身勝手なお願いを、もう一つだけ聞いてもらえないでしょうか?」
「なに?」
「それは……それは、もう一人の涼花ちゃんを、未来から来た涼花ちゃんを、止めてほしいのです。こちらの涼花ちゃんは、皆さんのお陰で、過ちを犯すことは無くなったと思います。ですが、未来から来た涼花ちゃんは、今まさに、過ちを犯そうとしている。それを、止めてほしいのです」
「あいつか…」
霊夢は軽く溜め息を吐きます。
「彼女は夢現封遙を使って、何か良くない事をしようとしています。それが何かは分かりません。もしかしたら、今回と同じ様に…。お願いします。涼花ちゃんの為にも、彼女を止めてください。もし、彼女に何かあったら…涼花ちゃんは…」
霊夢は涼花の前にしゃがみ込み、目線を合わせると、そっと微笑みます。
「分かった。現実に戻ったら、何とかしてみるわ」
そして涼花の頭を優しく撫でると、霊夢達は現実へと目覚めていきました。
「お願いします…。頼れるのは、霊夢さん達しかいないから…」
そして現在。
白装束の少女の願いを聞き入れた三人は、未来から来た涼花の行方を追っていました。
しかし、いくら狭い幻想郷とは言え、人一人を探すのは骨が折れます。
霊夢のいつもの勘も、今回は何故か働きません。
しばらく宛もなく飛んでいると、三人の目の前に突如、紫が現れました。
三人は急ブレーキをかけます。
「いきなり目の前に出て来たら危ないじゃない!」
霊夢は怒りを露わにしています。
時間の余裕はありませんし、紫に構っている隙など無いと、霊夢は紫を無視して先へ進みます。
行く宛はありませんが、今、紫と関わるのは内心嫌なのです。
しかし。
「貴女達、未来から来た涼花ちゃんを、探しているのではなくて?」
紫の言葉に、霊夢は振り返ります。
「なんで、その事を知ってるのよ?」
「それは、あの子が今回の黒幕だから。霊夢には夢の中での恩もあるし、あの子の場所を教えてあげても良いわよ?」
霊夢は、魔理沙とさとりの方を見ると、二人は無言のまま頷きます。
霊夢は小さく溜め息を吐くと、紫に涼花の居場所を聞きます。
「それで?でかい方の涼花ちゃんは、どこにいるの?…まさかまた、夢の中に行けって言うんじゃ?」
「安心して。あの子はこちら側に居るわ。あの子の存在に気付いた私は、その動向を藍に探らせていたのよ」
「その結果、あんたも藍も、涼花ちゃんの良いように操られていたと」
「い、痛いところを突かないで?その事については反省してるから…と、今はこんな事を話している場合ではないわね。話を戻すけど、あの子はこちら側に居る。今は動きも見られないわね。まるで、貴女達を待っているかのようね」
「そう。待っていてくれてるのなら話は早いわ。さあ、その場所を言いなさい?」
辺りには夜の帳が降り、初夏の夜空には星々が瞬いています。
周囲では夜虫達のコンサートが始まり、清涼な音色を奏でます。
博麗神社の屋根の上で、一人の少女が夜空を見上げています。
満天の星空に浮かぶ、大きな弓張りの月。
少女はそっと手を突き上げると、手の平を月に重ねます。
それをぎゅっと握り締め、少女はその意志を固めます。
「…待っててね。今、貴女を…」
少女の脳裏には、掛け替えのない親友の笑顔が過ぎります。
「奥義の最後の一節。これさえあれば…。でも、その前に…」
「やっと見つけたわ」
霊夢達が、少女の元に辿り着きました。
突き上げた手の平を下ろすと、少女はゆっくりと振り返ります。
「あんたが黒幕だったなんてね。涼花ちゃん」
月の光が、少女を照らします。
霊夢達の目の前に居るのは、十年後の未来から来た少女。香雪蘭涼花でした。
「黒幕…か。そうかもしれないね」
涼花は夜空を見上げます。
「みんなは、私を退治しに来たんでしょ?」
「ええ。何をしたかったのかは知らないけど、あんたが黒幕であるのなら、退治するのが私の役目なのよ」
「そう…分かったよ。でも、みんなが私を退治する前に、少しだけ話をしよう?」
雲の絨毯の上を、少女達は歩いていきます。
どうして雲の上を歩けるのか。そんな理屈、今はどうだって良いのです。
眼下には幻想郷の深緑が、まるで海原のように広がり、空に輝く月は、手を伸ばせば届きそう。
時折吹く夜風は少女達の間を通り抜け、髪を靡かせます。
「一度みんなで、夜道の散歩をしたかった。それが私の、ささやかな夢…」
涼花は足を止めると、夜空に瞬く星々を見上げます。
その表情は、どこか物悲しさを漂わせています。
しかし、霊夢達の方へ振り返ると、その表情は笑顔でした。
「私が何をしようとしたのか。これからそれを教えてあげる」
所変わって、ここは守矢神社。その裏に広がる湖。
湖に、無数に突き立てられた御柱。そのうちの一本に、神奈子は座っています。
神奈子の目の前には吟醸酒と、二人分の盃。
ひとつは神奈子のものですが、もうひとつは諏訪子のものではないようです。
神奈子は腕を組み、そっと目を閉じます。
穏やかな風が頬を撫で、湖を少しだけ波立たせます。
「…来たか」
神奈子は、閉じた目を開きます。
すると、先ほどまで誰もいなかったその場所に、夢獏 莫奇が現れました。
神奈子は、莫奇に座るよう促すと、盃に吟醸酒をなみなみと注ぎます。
そして自分の盃にも吟醸酒を注ぐと、神奈子は一気に飲み干しました。
それを見て莫奇も、両手で盃を持つと、ゆっくりと飲み干しました。
そして、ふうっと溜め息をひとつ吐くと、夜空を眺め、余韻を堪能します。
「なかなかの代物だろう?」
二杯目を注いだ盃を片手に、神奈子は莫奇に問います。
「ええ。とても清らかで、洗練された味ですね。少し強めでピリッとくるのも、また何とも…」
「それは、私のとっておきだからな。普段は、諏訪子以外には呑ませないんだ」
「現実のお酒は久々ですから、本当に美味しいです」
それを聞いた神奈子は、莫奇の盃にも二杯目を注ぎます。
なみなみと注がれた盃には、夜空の星々が映り込みます。
その盃を口へ運ぶと、今度は吟醸酒の味を、しっかりと堪能するように、少しずつ呑み始めました。
そこへ神奈子が切り出します。
「さて、本題に入ろうか」
「本題…ですか?」
「酒を酌み交わす為だけに、わざわざ呼んだわけではないさ。言っただろう?話をしたいとな」
神奈子は盃を口に運ぶと、一口だけ吟醸酒を飲み込みます。
「お前は、十年後の未来から来た涼花の目的。それを知っているのではないか?」
神奈子の言葉に、莫奇の動きが止まります。
その表情は至って冷静ですが、一瞬の動揺を、神奈子は見逃しませんでした。
「図星かな?」
莫奇は盃を置くと、小さな溜め息を吐きました。
「それを聞いて、どうするのですか?」
「どうするかは、博麗の巫女の仕事だ。私のは、ただの好奇心」
「好奇心は猫を殺すと言いますよ?」
「とは言え涼花ちゃんに関しての事だ。そんな大それた事でもないんだろう?」
莫奇はもうひとつ溜め息を吐くと、観念したのか、今回の一件について話し始めました。
涼花が行動を開始したのは、今年の五月の事。
あの時、鍵山雛に近付いた涼花は、現実世界で夢蛾を取り付かせました。
夢蛾に取り付かれた者を、ある程度なら操れる事を、涼花は知っていたのです。
そして涼花は、涼花ちゃんに厄を集めさせた。
その理由は、夢蛾を増やし、操れる者を増やす為。
しかし、これ自体は涼花の目的ではなく、あくまでも保険としての事でした。
万一、自分の邪魔をする者が現れた際の、手駒とするために。
そうして夢蛾を増やし、めぼしい人物に取り付かせた涼花は、涼花ちゃんの夢に侵入する機会を窺っていました。
「やっぱり、夢蛾はあんたの仕業だったのね?」
いくつか盛り上がった雲の、そのひとつに座った霊夢が、涼花に問います。
「それだけじゃない。ドリームコネクトで、みんなをひとつの夢に集めたのも私」
「あれもあんただったか。大方、現実での準備の時間稼ぎと言ったところかしら?」
「それもある。でも、それだけじゃない。私は、私自身が涼花ちゃんの夢に侵入する為に、あのスペルカードを使ったの。自分に足りない物を補うためにね」
「足りない物?」
雲の平らな所に、胡座をかいた魔理沙が涼花に問います。
「私に足りない物。それは、奥義『夢現封遙』の、最後の一節。私は、この時間軸の涼花ちゃんとは違う。私の持つ奥義は、夢の深淵に、ただ雑に封印されてるだけだったの。十年でそれなりの力をつけた私は、その封印を解いて奥義を使用した。…でも」
こんな危険な奥義。その封印が雑だった事に、涼花は疑問を抱くべきでした。
涼花の時間軸の莫奇は、奥義の発動に必要な呪文の、最後の一節だけを、完全に消滅させていたのです。
その事を知らなかった涼花は、不完全な呪文を唱え、無理やり奥義を発動させてしまった。
その結果起こったのは、奥義の暴走。
その暴走を止めるため、そして涼花を守るため、涼花の夢魔は、暴走する奥義を一手に引き受けてしまいました。
「奥義の暴走か…。涼花の時間軸のお前は、それを止める事が出来なかったのか?」
盃を傾けながら、神奈子が莫奇に問います。
「涼花の過去も、現在も、未来も。私達とは異なります。彼女の中に、私は存在している筈なのですが、彼女の時間軸の私は、何故か涼花の行いを止めようとしていません」
「止めようとしていないのか、止めようとしたが失敗したのか、止めるつもりも無かったのか…」
「…話を戻しましょう」
奥義を一手に引き受けた夢魔は、生命エネルギーを吸い尽くされ、昏睡状態に陥ってしまいました。
涼花ちゃんが涼花に渡した、生命エネルギーの結晶により、涼花の夢魔は一命を取り留める事が出来ましたが、それでも涼花は、奥義を諦める事が出来ませんでした。
「いったい何が、貴女を奥義に固執させたのですか?」
雲の縁に腰を下ろしたさとりが、涼花に問います。
その言葉を聞き、掛け替えのない親友の笑顔が、涼花の脳裏を再び過ぎりました。
「それは……私にとって、とても大切な人。私の一部と言っても過言ではない、掛け替えのない存在。その人に再び、生を与える為。その為に、私には奥義が必要なの」
「そうか。どうやら涼花ちゃんは、今回の一件で懲りていなかったようだな」
魔理沙はその場から立ち上がると、涼花を睨み付けます。
そんな魔理沙の視線など意に介さず、涼花は続けます。
「涼花ちゃんは、もう理解してる。私はあの子とは、辿ってきた歴史が違う。この時間軸の涼花ちゃんなら、もう二度と、こんな事はしないわ。これは、私の時間軸の問題なの」
「では貴女にも、その事をよく理解させてあげます」
さとりも立ち上がり、涼花に厳しい視線を向けます。
今にも弾幕ごっこを始めてしまいそうな二人を、霊夢はたしなめます。
「待ちなさい。まだ聞きたいことがあるんだから、どうするかはその後」
「なにを聞きたいの?」
「莫奇は、奥義の呪文をバラバラに封印したと言っていたわ。それも、既にこの世には存在しない言語に、呪文を訳し直してからの封印と言う徹底ぶり。それを涼花ちゃんが解読し、尚且つ発動させようとしていた。そこが解せないのよ」
霊夢の言う通り。
知るはずのない言語の翻訳。たとえ、涼花ちゃんが夢を操作したとしても、知らない言語は訳す事など出来ないのです。
霊夢の問いに、涼花は星空を見上げ、小さな溜め息を吐きます。
しばしの沈黙。
今は上空、雲の上。
少女達の小さな息遣いと、時折吹く風の音以外、他には何も聞こえません。
涼花はその静寂を堪能したかのように、視線を霊夢達へ向けます。
「その方法を知ったら、もう風は止まなくなる。蝶の小さな羽ばたきは、この場でハリケーンになるよ?それでも聞きたい?」
「良いから、早く言いなさい。それでどうなるかは、私が決める事よ」
「…分かった。でも、心の準備くらいはしてね?」
涼花は、ドリームコネクトを発動させ、涼花ちゃんの夢へと侵入しました。
涼花ちゃんの夢。その深淵へ向かうのは、涼花にとっては造作もない事でした。
何せ涼花は、十年の歳月を経ているとは言え、肉体も精神も魂も、涼花ちゃんと同じなのですから。
霊夢達が莫奇と接触していたのも、涼花にとっては良い目眩ましとなりました。
夢魔はおろか、莫奇の目すらも欺くことが出来た涼花は、誰にも悟られる事なく、悠々と夢の深淵への侵入を果たしたのです。
後は、奥義の封印を解くだけでしたが、ここで誤算が生じます。
奥義の発動に必要な呪文が、見たこともない言語に訳されていたのです。
しかし、これは涼花にとっては誤差の範囲。
霊夢達よりも一足先に現実世界へ戻った涼花は、次の行動に移ります。
「その前後ね。私と藍に、夢蛾を宿らせたのは」
神奈子と莫奇が酒を酌み交わしている所へ、唐突に紫が現れました。
どちらも驚いている様子はなく、どちらかと言うと呆れた表情をしています。
「どうせ、今までずっと盗み聞きしていたのだから、わざわざここに来る必要もないんじゃないか?」
神奈子が溜め息を吐きながら、紫を軽く睨みます。
そんな視線を無視して、紫も御柱の上に座ります。
「お酒は大勢で呑んだ方が楽しいのよ。…眩暈『ドリームクロス』というスペルカード。あれは、夢蛾を取り付かせる為のスペルカード。夢の中にしか存在しないものをぶつけてくるのだから、防ぎようが無いってわけね。おかげで、私も藍も操られちゃったけど」
紫はどこからか盃を取り出し、勝手に吟醸酒を注ぎます。
どうせ止めても無駄だと理解している二人は、そのまま話を続けます。
「貴女は、夢にも直接介入出来る。だから、貴女の目の前にあえて姿を晒し、動揺を誘い、夢蛾を取り付かせた。自分の目的を果たすために」
「まさか、あそこまでのやり手に成長しているなんてね。ほんと、油断したわ」
「貴女と貴女の式に夢蛾を取り付かせた彼女は、機会が訪れるのを待っていました。本居小鈴が涼花に接触する、その機会を」
霊夢達の計らいで、ようやくわだかまりから解放された小鈴と涼花ちゃん。
今まで話せなかった分、たくさんの事を話し合った二人は、疲れ果てて眠ってしまいました。
端から見れば、そうにしか思えないでしょう。
しかしそれは、涼花によって引き起こされていたのです。
涼花は、小鈴と涼花ちゃんを、誰にも気取られないように夢へと誘った。
次に、夢蛾を取り付かせた者達。そして、自らの邪魔をしようとするであろう霊夢達も、夢の世界へと誘った。
夢への誘導は完璧でした。
誰も、自分が意識を失ったことにすら気付きません。
そして、涼花自身も夢の中へ行き、更なる工作を始めました。
まずは、稗田阿求の夢に侵入。
どうやら、阿求はその時、書籍に必要な書類をまとめている最中に、居眠りをしていたようなのです。
これは好都合と、涼花は阿求の無意識を誘導し始めました。
阿求に夢蛾を取り付かせていた訳ではありませんが、誘導するだけなら容易いこと。
阿求を鈴奈庵へと誘います。
魔理沙が事前に、涼花ちゃんの存在。涼花ちゃんが小説である事は、小鈴には秘密にしておくよう伝えておきました。
だからこそ、心に隙が生まれます。
阿求は涼花の意図により、口を滑らせてしまいました。
涼花ちゃんに対して、能力を使ってはならないと。
それを聞いた小鈴は、当然の如く、涼花ちゃんに疑問を抱きます。
涼花ちゃんに対する疑問。疑心。そんな小鈴の心に、涼花は付け入りました。
二度、三度、揺さぶりをかけたところへ、涼花は夢の世界から、小鈴に夢蛾を取り付かせます。
揺さぶりをかけた理由は、小鈴の本来見ていた些細な夢を、涼花ちゃんの秘密を知りたいという夢にすり替える為。
後は、涼花ちゃんの元へ誘導するだけ。
たとえそれが、小鈴の望んだ結果にならなくとも、夢蛾はその夢を叶えようとする。
涼花ちゃんを、文字通り読み解いていった小鈴は、涼花ちゃんの過去に触れ、胸が張り裂ける思いでした。
しかし、一度読み解く事を始めてしまったその手を、最早止める術はありません。
こうして涼花は、奥義の最後の一節を手に入れる事が出来ました。
「お前…ふざけんなよ」
そこまで聞いた魔理沙は、涼花に対して激昂しています。
「何を怒っているの?小鈴お姉ちゃんは、あの事を覚えてない。楽しい夢で塗りつぶしたからね。小鈴お姉ちゃんは楽しい夢を見て、私は奥義の最後の一節を手に入れる事が出来た」
「貴女、最低ですね」
さとりの言葉にも、怒気がこもります。
「貴女のやっている事は、涼花ちゃん、本居小鈴の想いを踏みにじる行為。私は、そんな事をした貴女を許せそうにありません」
「誰も許してくれなんて言ってない。許してもらおうとも思ってない。涼花ちゃんも小鈴お姉ちゃんも、私の夢を叶える為に必要な犠牲だった。ただそれだけの事」
涼花の言葉に、怒りの限界に達した魔理沙は、涼花の胸ぐらを掴み上げます。
しかし魔理沙は、それ以上は何も出来ません。
「そう、何も言えない、言えるはずがない。小鈴お姉ちゃんは、その事を覚えてないんだから。小鈴お姉ちゃんが奥義の呪文を読み解いた事で、涼花ちゃんも奥義の呪文を知ってしまった。これに関しては完全に誤算だったけど、奥義の呪文を知ったところで、それを使うかどうかは涼花ちゃん次第。私が奥義を使うように促した訳じゃない」
その言葉に、魔理沙はいよいよ殴りかかろうとしたところを、霊夢が止めます。
そして、魔理沙を涼花から引き離すと、霊夢は涼花と対峙します。
魔理沙は到底納得出来ませんが、霊夢が止めに入ってしまった事で、魔理沙は何も出来なくなってしまいました。
魔理沙はひとつ舌打ちをすると、二人から視線を逸らします。
「霊夢お姉ちゃんは、他の二人と比べて随分と静かだったね。もしかして、呆れて物も言えない?」
「…あんたは、本当に大馬鹿者よ」
そう言うと霊夢は、涼花にゆっくりと近付きます。
そして。
「霊夢お姉ちゃん…?」
霊夢は、涼花の体を強く抱き締めました。
「私はさとりじゃないけど、あんたの心が分かるわ。あんたは、涼花ちゃんと同じだから。なんでもかんでも、ひとりで背負おうとしてる。涼花ちゃんと小鈴ちゃんを利用してしまった事に、ちゃんと引け目を感じてる。でも、それじゃあ駄目だと、自分に言い聞かせてる。だから、私達を怒らせて、私達と戦おうとしてる。自分の決意が、揺らいでしまわないように」
霊夢の言葉に、涼花は震えています。
ひとつふたつ、涙を流しています。
霊夢の優しさに、甘えたくなります。
しかし、涼花は霊夢を振り払いました。
本当はこんな事をしたくない。そう思っていながらも。
そして霊夢を、渾身の怒りを込めて睨み付けます。
「どうして…どうして、皆と同じように厳しくしてくれないの!どうして、私を受け止めようとするの!どうして、私の事を理解しようとするの!いつもそう!いつだってそう!皆はいつだって、私の為に何とかしようとする!でも!でも……」
ここで泣いたら、全てが崩れてしまう。
声を上げて、大声で泣き崩れてしまう。
だから涼花は、唇を強く噛み締めます。
手を、力強く握り締めます。
唇から、手から、紅色のものが溢れ出ますが、涼花に痛みはありません。
痛みを感じないほど、様々な感情が渦巻いているのです。
その全てを押し殺し、その全てを飲み込むと、涼花は震える唇を動かし、霊夢達にある事を告げました。
涼花が、初めて過去に行った日から数日前のこと。
この日、ある少女の命の灯火が、今まさに消えようとしています。
「ねえ…どうして?…どうして、急に…?」
「涼花ちゃん、ごめんね?私、今まで隠し事をしてたんだ」
病室のベッドに横たわる親友。
その体は痩せ、白い肌は更に白さを増しています。
涼花は、親友のそばに座ります。
「隠し事?」
「十年前、涼花ちゃんに宛てた手紙。あれに、病気が再発したって書いてあったでしょ?涼花ちゃんには黙ってたけど、あの後ずっと、病気と戦ってきたんだ」
親友は窓の外を眺めます。
「でもあれは、海外に行って治療したって…」
「ううん。本当は治らなかった。だから、今までずっと戦ってきたの」
「…どうして、ひとこと言ってくれなかったの?」
涼花の問いに、親友は首を振ります。
「言えるわけない、言えるはずがない。涼花ちゃんは優しいから。私が病気だって知れば、涼花ちゃんは悲しむよね?私の為に、何とかしようとするよね?」
「だからって…」
「それに…私の命は、あの時終わるはずだった。それが、今日まで延びただけ」
涼花の目からは、涙が溢れ出ています。
それを親友は、指で拭い去ります。
そしてそのまま、涼花の頬に手を添えます。
涼花はその手を握ります。
「泣かないで?私に、いつもの笑顔を見せて?…あの時と同じように」
「……駄目だよ……出来ないよ……」
「お願い……」
涼花は親友の最期に、遂に笑顔を見せることが出来ませんでした。
目の前で息を引き取る親友。
涼花は叫びました。
親友の死を嘆いて。
自分の無力さを嘆いて。
涼花の慟哭は、いつまでも、終わる事はありませんでした。
過去を語り終えた涼花は、その場に膝をつき、固く握り締めた拳を太腿に叩き付けます。
「どうして!どうして、もっと早く言ってくれなかったの!もっと早く言ってくれれば、幻想郷の人達が治せたかもしれないのに!私の能力でも治せたかもしれないのに!」
そのやり場のない、やるせない感情は、怒りとなって涼花の心を埋め尽くします。
「本人は蘇る事を望んでいない?過ぎた運命は変えられない?だから何だって言うの!こんなのは独り善がりだって分かってるよ!こんな事をしたって喜ばないって分かってるよ!」
涼花は、拳を何度も叩き付けます。
固く握り締めた拳から溢れ出たものは、叩き付ける度に、その飛沫を辺りに撒き散らします。
「私は許せないの!ずっと病気の事を黙ってた親友も!私の事を慰めてくれた周りの皆も!最期に笑顔を向けられなかった事も!…その事を許せないと言ってる自分自身も…。怒りに駆られてる自分自身も…。何もかもが許せなくなってるの…」
憤然の叫びの末、涼花はふらふらと立ち上がります。
指先から紅色が滴り落ち、足元の雲に染み込みます。
「…もうこれは、親友の為なんかじゃない。私が望むからやってる事。だから…ね?」
涼花の背中から、魔力で出来た、二本の桜色の帯が伸びていきます。
それは無数に枝分かれをし、巨大な蝶の羽を形成しました。
「お願い、私と戦って。これ以上、私の気持ちを揺るがさないで…」
涼花に、魔力が集束していきます。
涼花の想いに答える為、さとりと魔理沙は符を構えますが、霊夢がそれを制止します。
「霊夢さん…」
「霊夢、お前…」
「ここは、私に任せて…」
涼花の想いに答えたい。しかし…。
暫しの沈黙の末、霊夢の意志を見た二人は、符を下ろします。
「ありがとう…」
霊夢は、涼花の方へ向き直ります。
そして涼花へ向かって、ゆっくりと歩を進めます。
「ッ!」
霊夢に対して、涼花は光弾を放ちます。
光弾が間近まで迫ります。
そして。
「霊夢!」
光弾は、霊夢の肩に直撃しました。
当たった場所は焦げ、煙が上がります。
しかしそれでも、霊夢の歩は止まりません。
「…どうして?どうして避けないの?霊夢お姉ちゃんなら、このくらい…」
霊夢は応えません。
涼花は更に、二度、三度と、光弾を放ちます。
脚に当たり、腕に当たり、顔を掠め紅色が流れ出ても、霊夢はその歩みを止めようとしません。
「どうして…どうして…」
そして遂に、霊夢は涼花の目の前まで来ました。
「…どうして避けないの?…どうして?」
困惑する涼花を、霊夢は抱き締めます。
「は、放して!」
涼花は霊夢を振り払います。
しかし、霊夢はもう一度、強く涼花の体を抱き締めます。
「なんで…なんで何も言わないの…?」
涼花の目から、大粒の涙が溢れ出します。
「なんで…なんで私は泣いてるの…?」
涼花には、この感情が何なのか分かりません。
「なんで…霊夢お姉ちゃんは泣いてるの…?」
涼花には、霊夢が何故、涙を流しているのか分かりません。
ただそれは、とても暖かく、涼花の中に流れ込んできます。
それはとても優しく、涼花の怒りを解いていきます。
今まで、怒りによって繋ぎ止めてきた感情が、一気に溢れ出します。
涼花は叫びました。
声を上げて泣きました。
その感情の全てを吐き出すように。
霊夢も静かに涙を流します。
その感情の全てを受け止めるように。
数日後…。
霊夢はいつも通り、境内の掃除をしていました。
そこへいつも通り、魔理沙が訪れました。
二人はいつも通り、軽く挨拶を交わします。
ふと、魔理沙が空を見上げ、つられて霊夢も空を見上げます。
「あいつは行ったのか?」
「ええ」
「まったく…今回はかなり引っ掻き回されたな」
「そうね」
「…で?お前はあいつをどう思う?」
「どうするかは、あいつが決める事だからね。私達に見守る術は無いけど、今のあいつなら、上手くやっていけると信じてるわ」
「お前って奴は…普段は隠してるが、本当にお人好しだよな」
「あんた程ではないわ」
「うん?」
「涼花ちゃんにゆーちゃんの事を話したの、あんたでしょ?」
「さあ?何の事だか?」
「こっちを変えたって、あいつが居た未来が変わるとは限らないわよ?」
「それでも良いさ。あいつが辿った道を、涼花ちゃんが辿る事は無くなるんだから」
霊夢は魔理沙を見ると、小さく溜め息を吐きます。
「…お茶でも飲んでく?」
「ああ、有り難くいただこうかな」
「霊夢お姉ちゃん」
石段を上って、涼花ちゃんがやってきました。
「涼花ちゃん、いらっしゃい。久々の外の世界はどうだった?」
「うん。魔理沙お姉ちゃんに聞いた事を確認したら、やっぱりゆーちゃんは…。その事でゆーちゃんとお話しをしたら、少しだけ喧嘩になっちゃったけど…でも、ゆーちゃんも分かってくれたみたいで、今度幻想郷に来て治療を」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。そんな一度に言われても…。とりあえず、これからお茶を煎れるから、話はその後ね」
「ご、ごめん…つい…」
「それに、外は暑かったでしょ?中でゆっくりしていきなさい」
「うん。あ、でも、その前に」
涼花は霊夢の胸に飛び込みました。
「涼花ちゃん?」
そして、霊夢の体をぎゅっと抱き締めます。
「霊夢お姉ちゃん、大好き」
ここは、外の世界にある秘密の場所。
初めて親友と出逢ったこの場所は、十年の時を経て、花畑へと変貌していました。
この場所で涼花は、花を摘んでいます。
ふと、洞穴の中を見ます。
大人の体からすると、少し小さいその洞穴の中に、季節はずれの花が咲いていました。
白く小さいシオンの花が、フリージアの花に寄り添うように咲いています。
その花に、涼花はそっと触れます。
「何をしているの?」
背後から聞こえてきた声。
その聞き慣れた声に、涼花は手を止め立ち上がります。
「…ある人に供える為に、花を摘んでいるの」
「その人って、涼花ちゃんにとって大切な人?」
その優しく愛おしい声に、涼花はひとつ、ふたつと、涙を流しています。
「とても…とても大切な人」
「そうなんだ。私も会ってみたかったな。その大切な人に」
涼花は声の方へ振り返ります。
目の前には、白い肌、白い髪、そして、白い衣服に身を包んだ少女が立っていました。
そう、それはかけがえのない、涼花の親友の姿でした。
親友の姿を見た涼花は、感情が溢れ出します。
涼花は走り出していました。
親友へ向かって。
そして涼花は、親友を抱き締めます。
その、強く優しい抱擁に、親友も応えます。
風に舞い上がった花びらが、二人を包みます。
「ごめんなさい…ごめんなさい…。私は……私は……」
「ううん、謝らないで?涼花ちゃんの事は、私が一番、良く知ってるんだから。謝らなければならないのは、私の方」
「ううん…そんな事ない…。私が…私が間違ってたんだから…」
二人は謝罪の言葉を重ねながら、その体をいつまでも抱き締めていました。
互いの存在を確認し合うかのように。
洞穴の中の、寄り添った季節はずれの花が、静かに揺れました。
親友の花言葉は『追憶』『遠方にある人を思う』そして
『君を忘れない』
涼花の花言葉は『無邪気』『慈愛』そして
『親愛の情』
終わり