夏侯覇



「どうだ?この前紹介した子は良かったろ」

夏侯覇が一人素振りをしていたところへ、父である夏侯淵はぶらりと現れた。
父のその言葉にいち早く体が反応する。勢い良く大剣を地面へ突き刺し、深々とかぶっている兜を脱いだ。
いかめしい鎧に似つかわしくない幼顔がほんのり赤みがかっている。ふわふわした髪は汗でしっとりと湿っていた。

「いやいやいや、本当にめちゃくちゃいい子だよ…」

「だろ。俺の目に曇りはなかったな!」

「いやいや…親に女の好みが知られてるとか恥ずかしすぎるんだって…」

「何言ってんだ、親だからこそ息子の女の好みが分かるってもんだぜ」

大げさな鎧と兜を揃えて戦場に出る己が息子の臆病さに、幼少から父は気付いていた。
それは大人になってからも変わりなく、うまく女性を捕まえることが出来ても関係が長続きしなかったようだ。
男と女の破局の元は概ね言葉足らずであることは世の常だろう。臆病がゆえに深く相手に踏み込めないということは、男女関係において致命的である。
親心で夏侯淵は夏侯覇に女性を紹介していたのだった。
しかし親の心子知らず。的確とも言える女性の紹介に、夏侯覇本人は恥ずかしい気持ちが大きかった。

「お、噂をすれば帰って来たんじゃねえか?」

その紹介した女性というのも、甄姫の護衛隊の一人であるいちこ。
名家の出ではないが楽の嗜みがあり、曹丕の妃である甄姫を守る立場があると同時に良き友人でもあるという。
その甄姫はどこかへ出歩いていたのか、護衛を引き連れ今しがた自室に戻るといった様子だった。

「じゃあ俺は仕事があるからな。あの子はここに呼んでおくぞ」

「ちょっ、いやいやいや…」

素振りで汗をかいた状態で会えるわけがない、と夏侯覇は慌てふためく。
そんな息子の様子など見て見ぬ振りで、夏侯淵は甄姫一行に向かって手を振った。
妖艶な笑みでそれに応える甄姫。と同時に何かを悟ったのか、横で姿勢良く立ついちこに話しかける。
すると一行はいちこを残し、再び自室に向かって歩き出した。残されたいちこは夏侯覇を目指して小走りになる。
仕事に戻ると言った父はさっさとその場から消えていた。
汗を拭おうにも乾布は自室。突然二人きりだの、汗臭かったらどうしようだの、焦燥感が波のように襲う。

「こんにちは、夏侯覇殿」

「…よっ!」

「鍛錬していらっしゃったのですか?お疲れ様です」

そんな焦り散らす夏侯覇の心を知ってか知らずか、いちこは身構えもなく爽やかに夏侯覇に話しかけた。
服飾に造詣の深い甄姫のお付きになっただけあり、武具も女性らしい可憐な作りになっている。

品のある落ち着いた女性とも見て取れるが、話してみると案外若い子らしさや気さくなところがある。
そんな彼女に、夏侯覇は気付けば心を奪われ始めていた。
出来れば自分より背が低ければいいと思っていたが、同じような背丈のせいで顔が近く感じられる。
黒く綺麗な瞳に自分が映っていそうだ。

「私も夏侯覇様のように頑張らなくては。もっと甄姫様のお役に立ちたいと思っているのです」

「いやいや、もう十分立派だと思うぜ。
…できれば、いちこ殿も女性なんだから怪我に気をつけてくれよな」

いちこが気になっているから、ではなく一般論として女性だから、という逃げの姿勢を披露してしまう。
憶病がゆえに素直になれない自分に気付いているが、どうしても言葉が遠回しになる。
夏侯覇の心の中では焦燥感と己の弱さに今にも叫び出しそうになっていた。

「あなたも、ですよ」

「うん?」

「夏侯覇様も怪我には十分お気をつけください。
私は甄姫様をお守りする立場ではありますが、夏侯覇様のことも心配です」

「…あ、ありがとうな…」

自分では心に秘めた素直に言えない気持ちを、いちこはまっすぐに伝えてくる。
分厚い鎧を来ていても、直接心の臓に矢を突きつけられたような衝撃が走った。
いよいよ喉から声が出なくなってくる。精一杯ひねり出した感謝の言葉の後は、ぱくぱくと空気を吐き出すことしかできなかった。
いちこは少し照れたような笑みを浮かべ、夏侯覇に一礼する。
そのまま振り返らずに甄姫の居室の方面へ駆けていった。
一連の彼女の動きを見送った夏侯覇は思わずほっとしたような感覚になり、その場に座り込んでしまった。
このままますますいちこという底なし沼へ落ちて行きそうだ。
とんでもない嫁候補を紹介して来たもんだと、ほころんだ顔で青空を仰いだ。





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