最近きり丸の付き合いが悪い。態度も何だかいつもより冷たいような気がする。同室の乱太郎としんべエに聞いてみたけど、彼らも最近のきり丸は付き合いが悪いと言ってた。事情は知らないようだ。浮気はない。きり丸が浮気なんてするわけがないから、その心配はしていない。単純に隠し事をされていることが嫌だ。彼女が彼氏に隠し事をされるなんて嫌。
仕方がない。私は最終手段を使うことにした。きり丸の一日を隠れて見てみる。人はそれをストーカーと呼ぶ。そんなツッコミを入れる隙さえ与えず私はきり丸を徹底的に朝から晩まで調べてみた。ところが、きり丸は特に怪しい行動をしなかった。まさか私が見張っていることを気付いたのだろうかとヒヤリとした。
「なまえ」
「な、何?」
「…変じゃない?」
「何が?」
「最近のなまえ、変」
「失礼ねぇ…」
冷や汗が流れる。でも、変と言われたくはない。だって、きり丸が変な行動をしているから私も変になっちゃったんだからね!…なんて、とても言えないけど。
「あはは…」
「…まぁ、いいけど。じゃあ、俺はこれから少し出かけるから」
「バイト?」
「まぁ、ね」
尾行チャンス到来だ。私はきり丸を尾行するために着替えて急いで後を追った。こんな時、くの一でよかった!と切実に思う。気付かれずに尾行できるなんて、そうそう普通の娘さんならばできまい!
さくさくと進んでいけば誰かと会話しているきり丸を発見した。こそっと近付き耳を澄ませ、目を凝らして相手を見た。その相手は私の友人だった。同室の、仲のいい子で、きり丸の相談をしていた。
「悪いな、付き合ってもらって」
「いいよ。行こっか」
「あ。なまえには…」
「分かってる。内緒でしょ?」
「サンキュ」
嘘だと思いたかった。信じたかった。でも、目の前に広がっている光景が現実。きり丸が女の子と町で合う約束なんてするはずない。しかも、相手が私の友達なんてことがあるはずがない。ないんだ。頭の中で否定しても心が軋む。ズキズキと激しく痛む胸を押さえて呼吸するのが精一杯で。私はきり丸を追えなかった。
私はふらふらと部屋に帰って、布団を頭からすっぽりと被り、ひたすら泣いた。どんなに涙を流しても、きり丸が浮気をしていた事実は流れないことは分かっている。それでも、涙は止まらなかった。
やがて、友達が帰ってきた。私が布団を被っているものだから、心配して話しかけてきてくれた。しかし、私はショックのあまり何と答えたかは覚えていない。もう、私は何もかもが終わりだ。いっそのこと、もう学園を辞めてしまおうか。あれほど会いたかった人に私は今、とても会いたくない。なのに私は食堂できり丸に会ってしまった。会いたい時には会えないというのに。神も仏もないなぁ。
「あのさ」
「…え?」
「話、あるんだけど」
「……!」
きっと別れ話なんだろう。もう全てがお終いなんだ。きり丸との関係が終わる。そう思うと息苦しくなって、視界が滲んだ。前を歩くきり丸の首に巻かれた布がバサバサと風に揺れている。広い背中に抱きついて、すがりつきたくなった。
「なまえ」
「はい…」
「…何、縮こまってんの?」
「な、何でもない…」
きり丸の顔が見ることができなかった。下唇を噛みしめながら涙を堪えるだけで精一杯だった。処刑宣告待ちはつらい。
「…まぁいいけど」
「………」
「それより。目、閉じろ」
「…もう既に閉じてるよ」
「あ、そう」
私が顔を上げないことをきり丸は何も言わなかった。これは最後の優しさだろうか、と思うと涙が床にポタリと滲んだ。きり丸は私の背後に回ったから気付いてはいない。それでも、背中が震えているだろうから気付いているかもしれない。
「なまえ」
「はい…」
「あげる」
「…あげ、る?」
あげるなんて、きり丸に似合わない言葉が聞こえて思わず振り向いてしまった。頬に垂れた涙を見て、きり丸は驚いたような顔をして私を見ていた。しまった。
「どうしたんだよ」
「なんでもない…」
「泣くなよ。もしかして最近俺と一緒にいられなかったから寂しかったとか?」
「うん、まぁ…」
すっごく寂しかった、と言えばきり丸は手を広げて優しく笑った。これは抱きついてもいいよ、って意味なのだろうか。躊躇している間に私はきり丸に抱きしめられた。久しぶりに抱きしめられて私の胸は張り裂けそうなほど苦しくなった。
「俺も寂しかった」
「…嘘だ」
「何で嘘なんだよ」
「だって昨日!」
「あぁ。あれはなまえに似合う髪飾りを選んでもらったんだ」
「…髪、飾り?」
「今付けてるやつ」
髪飾りなんて…と思って頭を触ってみると確かに付けた覚えのない物があった。いつの間に付けられたんだろう、と考えていたら笑いを含んだ声がかけられた。
「全く気付かなかった?」
「い、いつの間に…」
「昨日の尾行もヘタだったし」
「え。…バレてた?」
「バレバレ」
髪飾りはきっとショックのあまりに気付かなかったんだと思うけど、尾行がバレてたのは問題だ。しかも恥ずかしいし。
「なまえはくの一に向いてない」
「ぐっ…」
「だから俺の嫁になれよ」
「はい……って…え!?」
別れ話どころか求婚された。何が何だかもう分からなくて、私はおろおろした。そんな大混乱の中、急に現実に引き戻される。きり丸に口付けをされたからだ。
「何…」
「接吻」
「違う、そんなこと聞いてない!嫁って何?私が?きり丸の?」
「嫌?」
「嫌じゃない、けど…」
嫌どころか嬉しい…けど。でも、疑問が残っている。私に隠れて何をしていたのかを聞かなければ何も解決していない。そんなわけで、唇を寄せてくるきり丸を手で必死に拒んで話すように促した。拒むと、きり丸は機嫌が悪そうになった。
「…何だよ」
「私に隠れて何してたの?」
「バイト」
「何で隠すのよ」
「なまえに贈り物する為にバイトしてるって知られたくなかったから」
「2人に手伝ってもらわなかったの?」
「だって意味ないじゃん」
「意味?」
きり丸は盛大にため息を吐いた。そして腕の力が強くなって、抱きしめられている私は息苦しくなる。訳が分からない。
「…忘れてるだろ」
「何?」
「今日、一年目だろ?」
「一年…?」
一年前に何かあったかと頭の中の記憶を探ってみると大事なことを思い出した。
きり丸が付き合うようになった日、だ。
「あー…」
「思い出した?」
「スイマセン…」
「浮かれてた俺がバカみてぇ」
「浮かれてたの?」
「でなきゃ俺が贈り物なんかするかよ」
そりゃあそうだ。明日は嵐か雪か雹か。槍が降るかもしれないね。マジな話で。
抱きしめられているから髪飾りは全く見えないけど、この日のために働いてくれていたんだと思うと視界が再び滲んだ。謝罪と感謝の意を込めて胸に顔を擦り付けたら、上を向かされて口付けられた。あっという間に脱がされて、一瞬視界に入る赤くて綺麗な髪飾り。後でゆっくり見ようと思って私は目を静かに閉じた。
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