寒かった冬が終わり、春がきた。厚手のコートを脱ぎ捨てられるからだろうか、浮わついた奴が多かった。社長もその一人のようで、廊下で呼び止められ、小綺麗な娘の写った写真を見せられた。そして言われる。お前、出世したければそろそろ身を固めろ。営業は体力勝負。独身では勤まらん、と。
仕方なく私は、たまの休日だというのに割烹料理屋に一張羅のスーツを着て出向いた。早い話が見合いだ。今年で36歳になった私は、生憎と結婚に憧れなど微塵も持ち合わせてはいなかった。女と付き合っても長く続かない私が生涯、誰かと共に生きるだなんて絶対無理。
目の前に座る少女…いや、女性は大して興味もなさげにお茶を飲んでいた。これはどう考えても破談になるだろう。
やがて、社長がいなくなって二人きりにさせられる。困った。こんなお上品そうなお嬢さんと話すことなんてない。趣味はお茶とお花。何、この安っぽいドラマみたいな趣味は。本当にいるんだ、こんな絵に書いたような趣味の女。
何にしても、帰りたい。帰って、テレビでも見ながらゴロゴロしたい。思わず欠伸をしそうになると、私よりも先に見合い相手の女が大きな欠伸をした。


「ふぁー…退屈だったぁ」

「はぁ…は?」

「あ、失礼。お見合いなんて、退屈ですよねー。セオリー通り過ぎてつまらない」

「はぁ、まぁ」


猫かぶりだったのか、女は笑いながら綺麗に結われていた頭をほどいていった。少しだけ冷たい春の風が髪を揺らし、いい香りがした。
ふぅん、と思った。この子も無理矢理見合いをさせられたくちなのかもしれない。


「ね、煙草いい?」

「はい」

「あんた、なまえだっけ?」

「ええ」

「何で見合いなんか?あんた、まだ24歳でしょうに」

「出世させてやるから、と」

「うわー。私と一緒じゃん」


やっぱり、どこも一緒なんだな。それはそうか。このご時世に見合いだなんて。今は、結婚がしたい奴は自らパーティーに出向くというのに。
しかし、このなまえという子。なかなかの別嬪さんだ。そして、その綺麗な顔をくしゃくしゃにして子供みたいに笑う笑顔、表裏のないさっぱりとした性格。この子、結構タイプかもしれない。


「あんた、彼氏はいるの?」

「いたらお見合いなんて…」

「そっか。それはそうだね」

「あなたは?」

「いないかな」

「あら。色々とありそうね」

「ま、それなりに」


遊んでいますけど、何か。
結婚を考えてもいないのに、本気の恋愛なんてする意味が分からない。ただただ楽しく遊べればそれでいい。でも、ね。遊びばかりじゃ刺激がなくて退屈なんだよね。本当は本気で恋愛とか久々にしたいなぁなんて…おっと。危ない危ない。春だからかな。うっかり、なまえともっと会いたいだなんて口にするところだった。24歳の女の子が、わざわざ36歳のおっさんと恋愛なんかしれくれるはずがないだろうに。遊びのいいところは傷つかないところ。ただ、それだけ。傷の治りが遅い心を引きずって生きる時間はいらない。


「…帰りましょうか」

「そうですね」

「送ろうか?」

「いえ、大丈夫です」

「そ。じゃ…」


カランと下駄の音が響いた。着物のよく似合うなまえは、肩までの髪を揺らしながら私に背を向けて歩いていった。
さて。帰って何をしよう。テレビを見てゴロゴロして…いつもの退屈な日常を送ろう。溜め息を吐いて、駐車場の方へ歩こうとしたら、なまえが遠くから私に声をかけてきた。


「雑渡さーん」

「…お?」

「私、本当はあなたの写真を見て、お見合いを決めたの。格好いい人だなぁって」

「へっ?」

「じゃあ、さよなら」


また、私に背を向けて歩き出すなまえ。心なしか、さっきよりも速いところを見ると、照れているのか。照れているのはこっちなんですけど。さっきから心臓が煩いぐらいに高鳴っている。
不自然なまでに慌てて歩くなまえの腕を取り、風で乱れた柔らかい髪をすいて顔を見る。桜色というよりは、林檎色。でもきっと、私も同じような顔色をしていることだろう。
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