「ねぇ、雑渡ってさ」
「んー」
「モテるでしょ?」
「うん」
「わぁ、ウザいわぁ」
「事実だし?」
酒を飲み交わしていた私たちは、うだうだと男だったり女の話をしている。
分かってはいたけど、雑渡はモテるらしい。そらそうか。組頭さまだしね。
「なまえぐらいだよ、なびかない女」
「今さら惚れるか、バーカ」
「あっそ」
「あれ?がっかりした?」
「ウザイ」
ぐいっと酒を煽る雑渡の皮膚が月に照らされていて、美しいなと思った。雑渡は火傷をやたらと隠したがる傾向にあるけど、むしろ誇るべき傷だと私は思っている。名誉の負傷だろう。
雑渡と私は古くからの(といっても3年だけど)友人で、今さら男女の仲に発展することはないと思われる。私が男にフラれた時は慰めてくれた。雑渡が昇格した時は共に祝った。言うなれば、戦友のようなものだ。
「雑渡って女はいないの?」
「いない」
「男は?」
「お前、阿呆なのか」
「や、そっちかと思ってさ」
だって、モテるくせに女がいないだなんておかしい。少なくとも私が知る限りでは雑渡に女がいた試しがない。
「溜まらないの?」
「お前…」
「溜まるでしょう」
「下世話なことを聞くな」
「やっぱり溜まるんだ?」
「あーもう、喋るな。くだらん話をしていたせいで酒が不味くなった」
雑渡は溜め息を吐いて、庭に目をやった。雑渡の家ではない。詰所の庭。よく手入れされた木の下に積もっている白い雪。その下に落ちた椿の花。ここはいつ来ても美しいと思う。だからだろうか、雑渡が住み込むのは。
「雑渡、家はないの?」
「あるよ」
「ね、連れていってよ」
「嫌だね」
「あ。まさか嫁がいるの?」
「おらん」
「うわー。隠し子まで?」
「おらんと言うに。単に、他人に私生活を踏み時られるのが嫌なだけだ」
「む。他人て…」
「他人だろうが」
「そうだけど…」
そうだけど、そんなにきっぱりと言われたら傷付く。これでも心を開いた数少ない友人だと思っているのに。雑渡はいつも冷静で、冷たい。それでいて話せばお茶目な一面もある。なるほど、モテるはずだ。しかし、何故雑渡には女がいないのだろうか。
「もしかして好いた娘がいるの?」
「やたら気にするな」
「だって気になるし」
「はあ…生娘だがな」
「え。いるんだ、好きな人が」
「もう3年になるか」
「えーっ。告白しなよ」
「残念ながら相手は私を男として見てはいないようだ。諦める他はない」
「何それ。らしくない」
「うるさい」
「言えば案外、道は開けるかもよ」
あくまでも他人事だから言えるのかもしれないが、思案していても何も始まりはしないのだから言うべきだ。万が一、それで今までの関係が崩れたとしても、それはそれで前進てきる。
私が盃を持ちながら雑渡にニンマリと笑ってそう言うと、雑渡はおもむろに立ち上がって素足のまま庭に出た。雪が積もっているのに馬鹿かと咎めようとしたけど、雑渡は気にも留めずに落ちていない椿を取って戻ってきた。
「しもやけになるよ」
「いいさ」
「よくないでしょう」
「いいって」
「…で?何で椿を?」
「ああ…」
生き残った右目を閉じて、雑渡は椿を大事そうに唇に当てていた。まるで、椿の姫君に恋しているよう。
そして、ゆっくりと目を開けて、雑渡は静かな声で私の目を見て言った。
「椿は美しい花だ」
「うん。花が枯れる前に地に落ちて、美しさを保とうとするんだもんね」
「落ちた椿は雪原に色を宿す。日に日に白は朱に染まっていく」
「うん」
「まるで私の恋心のようだ」
雑渡がこんなことを言うだなんて珍しいなと私が見つめていると、雑渡は自分が醸し出した空気に耐えられなくなったのか、私から目を背けた。そして、私の髪に椿を挿して私の手を取り、今にも消えそうな声で言った。
「どうか、世界を朱に染めて欲しい」
「…は?えっと、それは…」
「誰よりもなまえを好いている」
「は、」
「なまえは私を男として見ていない。だから諦めようと何度も思った」
「や、えっと…」
「なのに、想いは強まるばかりだ」
握られた手にそっと口付けられ、雑渡の弱々しくなった右目が私を捉えた。
いよいよもって言葉に詰まった私は逆に世界が朱から白へ染まっていくような感覚に陥った。胸が、息が苦しい。
「ざ、雑渡…」
「…返事はすぐにとは言わん。ただ、一度冷静に考えてもらいたい」
「でも、私は…」
「いずれ、私のもとに嫁いで欲しい」
「と!とっ、とっ…!?」
「…まぁ、無理強いはしないが」
ふと、雑渡は何とも悲しそうな顔をして笑った。今にも消えそうな顔。
そして、また酒を静かに飲み始めた。
雑渡の手によって髪に挿された椿をそうっと触ると、まだ水々しかった。乙女の心なんか、私には分からない。されど、この胸の高鳴りは恋だろう。
私は雑渡の稚拙な愛を真に受け取り、また、稚拙な愛を雑渡に返すようにそっと雑渡の肩にもたれ掛かった。
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