照星さんに火縄銃を教えていただく為に虎若には内緒で私は佐武村に出向いた。照星さんはいつも冷静沈着で、顔色一つ変えずに物事を対処していかれる方だ。火縄銃の扱いは難しいのに容易く扱われる照星さんを私は心から尊敬している。
佐武村に到着するなり、照星さんの聞いたこともないような辟易した声が聞こえた時は、空耳かとさえ思ったぐらいだ。照星さんは綺麗な女性ともめているようだった。艶やかな黒髪を綺麗な色の紐で束ねている、桃色の着物を纏った女性。照星さんの彼女だろうかと思った。照星さんほどの凄腕の狙撃主ならば、綺麗な女性と一緒でも絵になるというものだ。
あまり邪魔をするのは申し訳ないだろうと思った私は、ここは、ひとまず退散しようと背を向けて村から出ようとした。
その時だった。今まで聞いたこともないような綺麗な声で私の名前を呼ばれた。綺麗な声の主は笑って私に手を振ってくれていた。笑顔も何と綺麗なんだろう。
ただ、一つ気になるのは照星さんの顔色だった。青い顔をして、気まずそうに私を見つめていらっしゃる。これはもしや私はお邪魔をしていまったのだろうか。男、田村三木エ門。照星さんと恋仲であられる女性との逢い引きを邪魔してしまうとは何たる失態。今日のところはここで失礼しようと頭を深く下げて、再び背を向けて走るように立ち去ろうとした。
だが、先程までは少し離れた木の下にいたはずの女性が何故か私の腕を掴んだ。音も気配もしなかった。ヒヤリとした。まさか、こんなに綺麗な方なのに忍者をしているのだろうか。いや、まさかそんなことはあるまい。きっと気のせいだ。女性はふわりと綺麗な顔をほころばせて私に会いたかったと言ってくださった。私に会いたい?そうか、きっと照星さんが私のことを話してくださってるんだ。これほど嬉しいことはない。照星さんが彼女に私の話をしてくださるだなんて。
感謝の意を込めて照星さんの顔を見た。照星さんは何故か目頭を押さえていらっしゃる。何だろう、何かしただろうか。


「田村くん、照星に用事かな?」

「はい。でも今日はもう帰ります」

「いいの?用があったんでしょ?」

「彼女さんとの仲を邪魔できませんし」

「彼女?私のこと?」

「…違うんですか?」

「違う違う。照星の彼女じゃないよ」


あの、では何で照星さんが青い顔を益々青くしたんでしょうか。心なしか、照星さんが今にも泣きそうなんですけど…。
私の知っている照星さんの声は低くて、落ち着いたものだった。だから照星さんの唇が動いていることを確認しないと、この声が照星さんだと分からなかった。


「なまえ…」

「照星、私もう帰るね」

「待て。冷静に話を…」

「もう話すことはないよ?」


照星さんがまるで果汁を搾り取るようなか細い声を発したから驚いた。これはもしや、別れ話の途中だったのだろうか。いずれにしても、私は場違いであることには違いない。これはどう見ても照星さんが彼女にフラれるところじゃないか。よりにもよって、そんなところは見たくない。というか、照星さん、すみませんでした。こんな時に私が来てしまって。
いたたまれなくなった私は、大声で謝って頭を地面に擦り付けるように謝った。


「あの!帰ります!」

「ほら。照星が余計なことを言うから」

「…田村くん、違うんだ。これは」

「照星は違うんだって言葉が好きねぇ」

「………」

「あのののの…か、帰りますから」


というか、帰らせて下さい。照星さんがこの世から消えそうなほど小さくなっているんですけど。震えてるんですけど。


「田村くん、またね」

「あ、あの…」

「照星。さようなら」

「………!!」


照星さん、遂に崩れ落ちちゃったんですけど。あの、本当にすみません。こんな時に来てしまって、本当にすみません!
彼女が帰った後、恐る恐る照星さんに話しかけると、虚ろな目をしている照星さんは私に何でもないんだと短く言った。何でもないことがあるか!という気持ちよりも何故、彼女が怒っているのかの方が気になった私は不躾だが聞いてみた。


「何があったんです…?」

「…髪を」

「髪を?」

「なまえが髪を切ったんだ…」

「はあ…」

「髪結い処、斎藤で」

「あぁ、タカ丸さんの所の…」

「そのタカ丸という子が切ったそうだ」

「タカ丸さんが髪を切った…」

「単に、単に私は…」

「あの、もう結構ですから…」


震えている照星さんに、何も声をかけられなかった。つまりは照星さんは男に髪を触られたことに嫉妬をして、その旨を伝えたところ、怒られたということか。
以前、山田先生が言っていた。女が髪を切った時はまず初めに誉めねばならないんだと。それが複雑な乙女心なんだと。


「あの、今からでも…」

「女の扱いは難しくて分からん…」

「そ、その通りですね」


照星さんがここまで憔悴しきっているところを見ると、溺愛しているんだろう。若輩者の私がかけられる言葉などは何もなく、この日は大人しく学園に帰った。
何となく気になって、夏休み明けに虎若に照星さんの様子を聞いてみた。すると何も知らない虎若は笑顔で照星さんが長年付き合った彼女と結婚したと言った。大人の恋愛事情はよく分からないが、とりあえず私には分かったことがある。女の扱いは火縄銃の扱いより難しく、男とは女より弱い生き物だということだ。身をもって学ばせていただきました。照星さん、どうもありがとうございました。
ALICE+