出された4杯目の茶を飲み終わったところで、なまえの家を出た。このままだと思い出話に花が咲き続けて帰れなくなる。明日は休みだが、引越し業者が来るのが早いから徹夜はさすがにマズい。
コートを羽織ると、なまえが玄関先まで見送りに来た。これが幼子なら微笑ましいところだろうが、自分の恋心に気付いてしまった以上、連れ込まないようにするので精いっぱい。早い話が、大迷惑だ。


「寒いからここでいいよ」

「ねぇ…」

「なに」

「キスしたい」

「駄目」

「何で」

「何ででも」

「ねぇ。キスしたい」

「我が儘言わないの」


鼻をつまむと、両目をぎゅうっと閉じさせて痛がっている顔がかわいらしい。こういう顔もつい先日まではかわいいとしか思わなかったのに、今、とても愛しい。
自分でも面白いと思った。ほんの数時間前までは単なる近所の子だったんだけど、今は本当に愛しくて堪らない。かわいくて仕方ない。


「ねぇ、明日のお弁当は何がいい?豚肉で巻いたおにぎりとかどうかな」

「いいよ、いらない」

「…大丈夫だよ。もう怪我しないようにするから」

「もういらないって」

「ふ、ふぇ…」

「子供じゃないんだから泣かないの。ほら、手を出しなさい」


ぐしぐしと泣くなまえの手に唇を這わせる。こんな綺麗で細い指が私のために傷ついてしまったということが悲しかった。私にはそんな価値などないのに。
連れて帰りたい衝動に駆られたけど、さすがにマズいから手を離して呆然としているなまえの鼻をまたぎゅうっとつまんだ。


「むにゃ…」

「ほら。寒いから入りなさい」

「…家に行きたい」

「駄目。帰りなさい」

「う、うぅーーっ」

「泣かないの。そんなに泣く子には、私のマンションの鍵をあげないよ」

「え。くれるの…?」

「明日、来なさい。で、夕飯を作ってよ」


鍵を渡して、わしわしと頭を撫でるとなまえは大きな目をパチクリとさせてから、嬉しそうに鍵を握りしめて笑った。うわー、連れて帰りてー。


「ね、昆兄ちゃん」

「はいはい、何?」

「…好き」

「知ってる」

「本当に好き。大好き」

「そう」

「ねぇ、私のこと好き…?」

「分からない?」

「…聞きたいの」

「餓鬼だねぇ」

「むぅ。もう20歳だもん」

「はいはい」


このままだと家に連れ込みそうだから、ぐいっと不服そうな顔をしているなまえを押して家に帰した。
好き、ね。大人はずるいから好きなんてそうそう口に出したりしないんだけどね。むやみやからに好き好き言っていたら駆け引きに負けるし。でも、そういう大人の恋愛ではなく、純粋な恋愛をしてみようか。学生の時のような、本当に好きという気持ちだけで一緒にいる恋愛。36歳にもなって乳臭い恋愛は恥ずかしいが。
携帯をポケットから取り出して、なまえにとても短いメールを打った。嬉々とした長いメールがなまえから届いたのは言うまでもない。
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