そうっと優しく、まるで壊れ物を扱うかのように頭を雑渡さんに撫でられた。今日はまるでシンデレラのようだと思った。この魔法は永遠に続くわけではなく朝には消える。朝、家に帰ると彼がいるだろう。連絡もしないで、どこに行っていたんだと尋問されることになるのは目に見えていた。
それでも。それでも私はここにいたい。今が幸せなら私はそれでいい。彼を好きになることができて、本当によかった。
「ねぇ、雑渡さん」
「うん?」
「私、恋をしたの」
「…そう」
「幸せだったの…」
そう、幸せだった。あなたに会えて幸せでした。雑渡さん、ありがとう。
なるべく明るく私は微笑んだ。彼の記憶の片隅に少しでも長く私が残るように。満面の笑みを浮かべると、雑渡さんは手を頭からどけて煙管をそっと口にした。突然、空気が悲しげなものへと変わる。
「…雑渡さん?」
「…なまえちゃん」
「はい」
「私はなまえちゃんが…」
「え?」
「…いや、何でもないよ。でも、そっかぁ…」
「あの…」
「少し、泣きそうだ」
「えっ!」
「年を取ると涙もろくなるもんでね」
「私、何か失礼を…」
「…いや。私が悪い」
雑渡さんはそれ以上は何も言おうとしなかった。私もそれ以上は聞けなかった。本当に弱々しく息を吐く雑渡さん。煙管の煙はいつものように甘くはなかった。突如、訪れた重い空気を破るように雑渡さんは私に寝るように促してきた。
雑渡さんの悲しそうな顔が頭から離れなくて、結局眠ることが出来なかった。翌朝、どことなく余所余所しい雑渡さんに丁重にお礼を言って私は家に帰った。引き留めて欲しい、なんて贅沢なことは望まない。今はただ、雑渡さんにいつものように優しく微笑んで欲しかった。
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