朝から晩まで雑渡さんはお店にいた。ランチは一緒に外で食べたけど、それ以外はずっと珈琲館で原稿を書いていた。
お店を閉めて、二人で店を出る。少し冷えた空気が心地よかった。


「ね、なまえちゃん」

「はい」

「名前ちゃんは照星のことをどう思ってる?」

「へ?」

「…いや、何でもない」


もしかして、と思って雑渡さんの手を握った。案の上、雑渡さんは頬を染めて気まずそうにしている。


「嫉妬、ですか」

「…駄目?」

「いいえ?」

「…何で笑ってるの」

「笑ってませんよ?」

「もう…」


可愛いと思いながら、ぎゅっと雑渡さんの大きな手を握り締めて家に帰った。私が雑渡さんのお付き合いしていた人に嫉妬していたように、雑渡さんもマスターに嫉妬していたんだと分かると、ほんの少しだけ安心した。
雑渡さんの大きな手に守られていた人が何人いたにせよ、今はこの手は私の頭を撫でてくれる。それだけで心は満たされた。


「ねぇ、雑渡さん。私、今のままで幸せです。これ以上はもう何もいりません」

「…そう」

「今が続いて欲しい」

「うん…」

「雑渡さん…?」


靴箱に鍵を置いて部屋に入っても、雑渡さんは私の手を離そうとはしなかった。不思議に思って雑渡さんの顔を覗き込むと、雑渡さんとバチリと目線が合う。
あ、と思った。
雑渡さんが男の人の目をしている。捕らえられて目を反らすことができないぐらい、熱い眼差しを向けられていた。胸がじわりと熱くなって、その熱が顔まで上がっていくのが分かった。


「…そういう顔、他の男に見せちゃ駄目だよ」

「え…?」

「欲しくなっちゃう…」

「ん、っ…」


ぎゅっと抱き締められて、少しだけ強引にキスをされた。雑渡さんとキスをしたことはまだ数えるぐらいしかないけど、いつもの優しいキスとは違っていた。
その時、ふとまた胸にモヤがかかった。雑渡さんには婚約まで考えた恋人がいたということは彼女とは何回も…なんて、考えても仕方のないことなのに。
こういうことは言っても仕方がないから、なんて思った私は後に病院で後悔して泣くことになる。ただ、雑渡さんにベッドで優しく抱かれていた時は嘘でも大袈裟でもなく、とても幸せだと、そう思った。
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