珈琲館での仕事を終えた私は神社でお参りを済ませ、シナさんのお店へと歩いた。お店にいるかな、と期待していると、店から丁度シナさんが出てきた。


「シナさん!」

「あら、なまえちゃん。元気?」

「はい。シナさんは…えっ」

「あぁ、これね」


これ、とは「閉店」と書かれた張り紙だった。閉店?シナさんのお店が?あんなに賑わっていたのに?
次々と浮かぶ疑問を察したのか、シナさんは笑いながら教えてくれた。お母さんが倒れたからこのお店を畳んで田舎に帰ること、もうこの街に未練がないことを。だけど、実家の側でまたお店を開こうと思っている、と付け加えてシナさんは荷物を抱えた。


「あの、出発って…」

「2時間後に東京を出る新幹線よ」

「2時間後!?」


ここから東京まで1時間はかかるし、最寄駅まで歩くことを考えたら残された時間はあまりにも少ない。
シナさんと二度と会えなくなるかもしれない、と知って真っ先に浮かんだのは雑渡さんだった。きっと、二人はもう別れを済ませたからと言うだろう。だけど、知らないうちに二度と会えなくなるのは寂しいとは感じないのだろうか。私だったら…絶対に寂しい!


「私、雑渡さんを呼んできます!」

「いいわ。もう話すことなんて…」

「駅で待っていて下さい!」


私は慌てて石畳みを走った。きっと、珈琲館にまだいるはずだ。
息を切らせて珈琲館の扉を開けるとマスターと雑渡さんが驚いたようにこちらを見た。鈴を鳴らしながら扉を閉め、赤い絨毯を踏みしめながら雑渡さんに近づくと雑渡さんは心配そうに顔を覗き込んできた。


「なまえちゃん大丈夫?そんなに慌ててどうしたの?」

「シナさんが…っ」

「うん?」

「シナさんがこの街を出るんです!」

「……、そう」


シナさんの名前を出すと、雑渡さんは目線を落とし、しばらく時間を置いてから再び私を心配そうに見た。そしていつも通りののんびりとした口調で水を勧めてきた。


「大丈夫?落ち着いて」

「早く、行かないと…っ」

「行くってどこに?」

「見送りにです!もう会えなくなるかもしれないんですよ!?」

「そうだね」

「いいんですか!?」

「うん」


至極当たり前のように雑渡さんは頷いた。二人には本当に未練なんてないのかもしれない。だけど、お互いが離れることを寂しがっているような気がして仕方がないのだ。
複雑な思いを抱えて立ち尽くしていると、入り口で鈴が鳴った。


「相変わらず素敵なお店ね」

「シナさん!」

「…帰るんだって?」

「ええ」

「そう」


スーツケースを引きながらシナさんが近付いてきた。こうして改めて雑渡さんと並ぶとお似合いだな、と思う。シナさんからは柔らかい香りがして自分とは違う、大人の女性だということを自覚させられた。
雑渡さんとシナさんは短い会話をして、微笑んでいた。二人ともどこか寂しそう。
そっと雑渡さんが手を出した。


「今までありがとう」

「ええ、私こそ」

「元気でね」

「あなたも」


シナさんが雑渡さんの手を握り、短い握手を交わした。そして、雑渡さんは私を見た。


「なまえちゃん、駅まで送って行ってやってくれないかな」

「雑渡さんは…?」

「私はこれを仕上げたいから」


机の上に置かれた原稿用紙を見せながら雑渡さんは笑った。私がでも、と言葉を発する前にシナさんが私の背中を押した。
シナさんに促されるまま店を出て、駅まで歩き出す。大正浪漫通りを抜けると大きな商店街に出る。今日も商店街は混んでいて、騒音に掻き消されそうな声で私はシナさんに話しかけた。


「私、シナさんが好き」

「ありがとう。私もなまえちゃんが好きよ」

「…シナさん、この街に未練がないって言っていたけど、本当ですか?」

「ええ。まぁ、正確に言えばあいつに未練がないというか。不思議なものね。話してみたら、離れるずっと前から駄目だったんだって気付いた。お互い、自分のことしか見えていなかった。だから、私たちは別れたの」


あなたのせいじゃない、と私に言い聞かせるようにシナさんは笑いながら言った。


「私も自分のことしか見えていません。今日も二人を無理に会わせようとしたし…」

「そうね。最後に会っちゃった」

「すみません…」

「いいえ。これで、本当に終われた。心置きなく未来へ歩めるわ」


改札の前でシナさんは私に握手を求めた。温かい手を握りしめると、涙が出た。シナさんが行ってしまう。本当に寂しいのは私だ。もう会えなくなってしまうという事実を私だけが受け入れられない。
あぁ、どうして私だけがこんなに子供なんだろう。雑渡さんのように笑って送り出すことがどうして私には出来ないんだろう。


「ここで別れましょう。いつまでも一緒にいたら私も泣きたくなっちゃう」

「シ、シナさん…」

「さよなら、なまえちゃん」

「シナさん、本当にありがとうございました。あの、お元気で…っ」

「ありがとう。なまえちゃん、お幸せに」


雑踏に紛れてシナさんは見えなくなったけど、私はいつまでも手を振り続けた。
ありがとう、シナさん。そして、ごめんなさい。どうかシナさんも幸せになって下さい。あなたは私の憧れでした。今までも、これからも。ずっと、あなたは私の目標です。
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