「きり丸、話がある」

「何すか」

「実は、その、そろそろ結婚しようと思ってるんだ」

「…先生、彼女いたんですか。初耳なんすけど」

「まあ、な」

「よかったじゃないすか。おめでとうございます!」

「そうか。よかった、賛成してくれるのか」

「いやだなぁ、当たり前じゃないっすか。じゃあ僕はバイトがあるのでこれで」

「あぁ。無茶するなよ」


土井先生の部屋を出て、ぼんやりとした頭でフラフラと行き場もなく歩き出す。あの土井先生が結婚か。全然ピンとこないけど、先生ももういい年なんだしな。今度から俺はどこに行こうか。住み込みでバイトさせてもらえるところを探すか、おりん婆さんに金を払って…嫌だな。ゼニを出してまで泊まりたくない。
ため息を吐いたら、後ろから明るい声が聞こえた。振り向くとなまえ先輩がいた。


「どうしたの?」

「いや、別に」

「元気ないじゃん」

「…実は、土井先生が結婚するらしいんです」

「反対なの?」

「いや、俺は邪魔者だから出て行かなきゃなぁって思って悩んでたんですよ」

「…まさか。邪魔ってことはないと思うけど?」

「だって俺は先生とは…」


赤の他人なんですから。その言葉が出てこなかった。どんなに長い時間を先生と過ごしても俺と先生は所詮、生徒と教師なんだ。今の生活が普通だとは思ってはいけない。頭では分かってはいるんだ。でも、俺は。俺はずっとこうして過ごせるのかと思っていた。まさか、こんなにも簡単に崩れるとは思っていなかった。


「きり丸は先生のお嫁さんと家族になるのは嫌?」

「邪魔者ですから」

「そうかなぁ、先生は反対しないと思うよ。もちろんお嫁さんも賛成だと思う」

「あーあ。なまえ先輩がお嫁さんならよかった」

「そ?ありがとう」


なまえ先輩は俺の頭を撫でてくれた。俺が泣きそうになるのを必死で堪えていたら、土井先生が来た。ますます気まずい。


「何だ、一緒だったか」

「先生…」

「あのね、あなたが結婚したら出て行かなきゃいけないと思ったんだって」

「え?」

「なまえ先輩…」

「ねぇ、先生。結婚してもきり丸は家族よね?」

「当たり前じゃないか。きり丸、お前はそんなことを考えていたのか?」


馬鹿だなぁ、と先生は笑った。思わず、涙が流れた。それをなまえ先輩が優しくぬぐってくれた。あぁ、本当になまえ先輩がお嫁さんだったらよかったのになぁ。


「…先生。先生のお嫁さんってどんな人なんですか?優しいですか?」

「優しいですか?」

「こら、なまえまで…」

「ふふ、ごめんなさい。ねぇ、きり丸。私がお母さんじゃ不満かな?」

「え?」

「実はね、土井先生と結婚するのは私なのよ」

「え。先生、まずくないすか、生徒に対して」

「…まぁ、そこは突っ込むな。きり丸、誰にも言うなよ。なまえが卒業するまでは三人だけの秘密だ」

「じゃあ、何でいま俺に教えてくれるんすか?」

「決まっているだろう。お前が私の家族だからだ」


土井先生は笑って言った。なまえ先輩は俺の手を握ってくれて、優しく笑った。これが俺の新しい家族なんだ。親が死んでからは、一人で生きていかなきゃって思って必死で生きてきたけど、これからも俺はあの家に帰ってもいいんだ。帰るところが俺にはもうあるんだ。
先生となまえ先輩にもしも子供ができたら、俺が兄ちゃんになってやろうっと。タダでおしめもかえてあげてもいいや。


「先生、なまえさん!」

「なぁに?」

「何だ?」

「おめでとうございます」

「…ありがとう」

「ふふ、きりちゃん、よろしくね」


なまえさんは抱き締めてくれた。俺も抱き付くと、先生がこら、と言って笑った。
もうすぐ、なまえさんが卒業するまで半年で俺には家族が増える。俺、弟が欲しいって言ったらなまえさんは笑って、土井先生は赤い顔をした。少し頼りない父ちゃんだけど、俺の大切な家族なんだ。
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