情緒ある街の一角にある小さな喫茶店のカウンター。ここで彼女と会話を交わすことが私の生きがいであり、彼女と過ごす時間は私にとって何にも代えられない宝物だったーーー
恥ずかしくなって本を閉じる。「愛しの君へ」と書かれた帯を見ただけで恥ずかしくてたまらなくなったというのに、その中身はもっと恥ずかしくなるようなものだった。もっとも、当の執筆者もこんなに売れるとは予想もしていなかったようだし、帯に至っては何も聞かされていなかったのか、見るなり顔を真っ赤にして唸っていた。
「まるでラブレターだな」
「マ、マスターも読まれたんですか?」
「いいや。本など読まなくてもテレビで騒がれているから嫌というほど知っている」
「違うんだ。私はただ、製本して欲しいって頼んだだけで…なまえちゃんにしか見せるつもりはなかったんだ。なのに、こんな…」
売れっ子小説家の雑渡昆奈門の最新作はまさかのエッセイ。それだけでも騒がれるというのに、純愛の物語と話題になり、トントン拍子で映画化が決定した。
雑渡さんはカメラの前には決して顔を見せないという姿勢を貫いていた。柄じゃないとか、恥ずかしいとか言っていたけど、それが余計にミステリアスだと騒がれるようになり、作者は絶世の美男子だと噂されるようになっていた。それに関しては否定はしない。雑渡さんは困ったような顔をしているけど、そんな顔もまた格好いい。
「ごめんね、なまえちゃん」
「え?」
「こんな大勢の人の目に触れる形になって」
「んー…別に私だと特定はできないでしょうし、大丈夫ですよ。それより、映画化されたら一緒に観に行きましょうね」
「…無理」
顔を覆う雑渡さんの横に腰を下ろす。そう、始まりはこの場所だった。今どき見かけない着物姿で煙管をふかしていた雑渡さんの隣で珈琲を飲む時間は私にとって何にも代えられない宝物だった。
すれ違うこともあったけど、こうして今も私は雑渡さんの隣にいる。
「今日は早めに上がっていいぞ」
「本当ですか?」
「まだ読んでいないのだろう?何なら音読してやったらどうだ?」
「あ、それいいですね!」
「ちょっと、やめてよ…」
マスターと笑い合いながら雑渡さんをからかう。雑渡さんは困ったように眉を下げていたけど、どこか嬉しそうにも見えた。
家に帰って、パラパラと本をめくった。本には雑渡さんの愛情がたくさん詰まっていた。
「あの、ありがとうございます…」
「…うん」
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ふんわりと微笑む雑渡さんと唇を重ねた。
きっと、これからも私たちはたくさん喧嘩をするのだろう。私が子供のように騒いで、すれ違うこともきっとある。だけど、その度に正しい道へと導いてくれる人が私にはいる。受け入れてくれる人が私にはいるのだ。これほど幸せなことはない。
情緒ある街の一角にある小さな喫茶店のカウンター。そこから私たちの物語は始まり、そしてこれからも続いていく。
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