day.02


私は元々、争いごとが好きではない。のんびりと過ごすことができるのならば、そのほうがずっといいと思っている。だが、周りはそれを認めてはくれなかった。自分で言うのも何だが、私には忍びの才覚があった。幼い頃から神童と言われ続け、ゆくゆくは組頭になっていく存在だと周囲から言われていた。それを喜ぶ者もいるだろう。だが、私は別に嬉しくはなかった。妻を娶り、子を育み、子が巣立った後はのんびりと畑でも耕しながら妻と余生を生きる。そんな平凡な、どこにでもある生活をしたかった。
で。結論から言えば私は人を殺めることが常となっている。だが、それ以外には私は生きる術がない。忍びの里に生を受けた以上は仕方がないことだ。寄ってくる女は商売女、もしくは私の側にいることで恩恵を受けようとする打算的な女ばかり。真の私のことなど見ようともしない、醜い女ばかりだった。忍びとしての才がある代償として、私は誰からも愛されはしなかった。それが寂しいとか、苦しいなどと甘えたことを考えていた時期がなかったわけではない。いつか私のことを愛してくれる、そんな女と出会える日が来るかもしれないと淡い期待をしていた時期が私にもあった。期待されている以上の働きをすれば、寄ってくる女の中にも私の心を動かすような、私の弱さを受け止めてくれるような女に巡り会えるかもしれない、と。今から思えば、何と愚かな思考だったのかと己を嘲笑ってしまう。そんな女などいない。私が評価されているのは忍びの技術、ただそれだけだった。死の淵に立った時に嫌という程思い知らされた。
あんなにも私に擦り寄ってきた女は私が火傷を負った後は近寄っても来なかった。私にあんなにも媚びを売ってきた武将共は私を哀れみ、揃って未来が絶たれた哀れな男だと嘲笑った。婚約していた女は私を生涯支えると言ったくせに、顔さえ見ることなく、気が付けば他の男と家庭を築いていた。残ったのは奇特な部下と一部の上司、それと殿だけ。
人の価値とは何なのだろう。強さなのか、それとも顔立ちなのか、はたまた権力なのか。何にしても、私が長年欲していたものは手には入らないのだと、この時悟った。私は人を殺め、殿の犬として飼われ、一人で死んでいくのだと諦めた。するとどうだ、案外と生きるのが楽になった。期待はしない方が生きやすい、自分はこの程度なのだと己で慰めてやれば案外と生きるのが楽になった。それでも、いずれ訪れるであろう死まで何と退屈なことなのかと思っていた。あと何年あるのかは分からないが、生きるとはつまらないものだと思っていた。だからせめて、その一瞬でも楽しいと、心地いいと思えることをしたい。そういう意味でいえば、なまえは非常に興味深い女であり、この愚かさが私を救っている。


「あぁ、本当に来たのか」

「…私は貴方の女なので」

「ふ…そうか、そうだね」


この女は本当に都合がいい。いつ殺しても構わない程度の関係性。どこの誰かも分からない、タソガレドキ城とは何の繋がりもない女。私のことを何一つ知らない、愚かな女。
この女では私を殺すことは不可能だ。そして、この程度の忍びではタソガレドキ城を脅かすこともない。身体を貪り、適当に虐め、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす存在だ。この女が何を思って私に近付いてきたのかは分からない。だが、この女の命は私が握っている。そして、この女も愚かなりに理解している。私が死ねと言えばこの女は死ぬこととなるだろう。他の男に抱かれてこいと言われれば、この女は身を差し出すことだろう。私の玩具だ、これは。身体に飽きれば如何様にでも処分してやれる、そんな後腐れのない女。加虐心が疼く。自分の中にある、期待を裏切られ続けたことで生じた救いようもない女に対する憎悪を存分にぶつけることが出来る存在。当分の間はこれで退屈を凌そうだ。


「お前に似合う小屋がある」

「…小屋、ですか?」

「そうだ。今後、私となまえの逢瀬の場となろう」

「逢瀬の…」

「くくく…お前が私に犯される場だ。一度で覚えろ」


拷問部屋として利用している小屋へとなまえを連れていくと、なまえは分かりやすく動揺していた。小さく、小汚い小屋は今日、使ったばかりだからか血生臭かった。
やれやれ、と戸を開けて換気をする。べったりと床に染み付いた何百人もの血は洗っても落ちることはなく、時たま「出る」と耳にすることがある。生憎、そういう類のものに遭遇したことはないが、まぁ、怨霊が出ても不思議でも何でもない。ここはそういう場だった。私がどういう人間であるのか、また、なまえはどういう立場であるのか理解させるには丁度いい場だと思って連れてきたのだが、ここでなまえを抱くというのは些か悪趣味が過ぎたかもしれない。何より、今日殺めたばかりの男の顔が頭にまだ鮮明に残っていて、あまり気持ちが高揚しそうもない。とはいえ、私が住処としている家になまえを連れていくわけにもいかない。あれは一応は私の安息の場だ。こんな、どうでもいい女を連れ込む気になどなれはしない。やはり、茶屋へと赴くべきだろうかと空を仰ぐと、なまえが痩せ細った手を私に向けて伸ばしてきた。


「…なにかありましたか?」

「いや、やはり茶屋へと行こうか悩んでいるだけだ」

「そうではなく…」

「ん?」

「何か、悲しいことがありましたか?」

「…なに?」

「酷く、お辛そうに見えます…」


そう言ってなまえは私の頬に手を当ててきた。まるで私を見透かすような素振りに思わず手を振り払う。
この私が悲しそうに、辛そうに見えた?そんなはずはない。長い付き合いのある奴らにでさえ「人を殺めても心一つ動かさないとは流石だ」と言われているというのに。昨日会ったばかりの、たかだか一度抱いただけの女に私の何が分かるというのだ。分かったようなことを言うな。お前など、ただの玩具に過ぎないくせに。
なまえの唇を塞ぐ。舌を絡めると、生意気な口は色のある吐息を吐くことしかしなくなった。髪を掴み、睨みつけると、なまえは笑った。ゾッとした。この状況で笑える奴など、そういない。相当数の修羅場に遭遇しなければ、このような反応など出来はしない。つまり、なまえは死の淵に幾度も立ってきたということになる。この私を恐れることもなく、慈悲深い笑顔のままなまえは私を抱き締めてきた。


「何があったかは知りませんが、私は貴方を支えたい」

「は、離せ!気安く私に触れるな!」

「私は雑渡さんの女です。私は貴方を受け入れたい…」

「戯れ事を…っ」

「大丈夫、私のことはどう扱って頂いても構いません」

「や、やめろ…黙れ」

「貴方は案外、可愛らしいお方なのですね」

「黙れと言っている!」


私を暴こうとするな。私のことなど何一つ知らないくせに知ったような口をきくな。私を誰だと思っている。周囲からは地獄から蘇った怪物だと言われているのだぞ。私は弱くない。一人で生きていける。お前のような能のない女が分かったようなことを言うな。
私がそう凄むと、なまえはまた笑った。ざわざわと胸が騒ぐのを感じた。これまでに体験したことのない、言いようのない感覚だった。この私が、この小さな女に恐怖を覚えた。
後に知ることとなる。この段階で私はなまえに負けた。絶対に誰にも心など開かないと決めていたのに、この日を境に私はなまえに自分のことを知ってもらいたいと思うようになってしまった。その理由はまだ分かっていない。この感情がまさか「恋」の始まりだとは、まだ認められてはいなかった。
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