day.13


櫛、簪、組紐、白粉、紅。何を見てもどれがいいのかなど分からない。なまえは恐らくは何一つ所持していない。だが、ではそれらを贈れば喜ぶのかと問われると疑問だった。
タソガレドキの城下町で時間を費やして何件も店を見て回ったが、どれも決定打には欠けていて違うような気がした。


「雑渡様。こちらの品は上物ですよ」

「ふぅん…」

「ご覧下さい、この真紅。上等の漆が使われています」

「へぇ…」


店主に勧められた櫛を手にする。淡い色の櫛に花が彫刻されており、その花には漆で色付けされていた。櫛の価値が分からないが、まぁ高級な品なのだろう。女というのは、とりあえず高級な品を贈っておけば間違いないのだろうか。間違いないのだろうな、俗的な生き物なのだから。
ではこれを包んでもらいたい、と店主に手渡して金を支払おうとすると、一つの櫛が目に入った。決して綺麗な色合いの櫛ではない。飾りなど一切ついておらず、本当に簡素な品だった。その素朴な品に目を奪われていると、店主は気まずそうに言った。あれは何年も売れ残った品だ、と。成る程、そうだろうなと思った。今にも割れそうなほど乾燥した櫛は決して綺麗な色合いではなかった。だが、手にしてみると上等の品であることが分かる。本来は綺麗であるのにそれを見過ごされ、朽ちそうなほど弱った様はまるでなまえのようだ。


「…あぁ。やはり、これを貰おうか」

「え!?ですが、これはお殿様の目に触れるような品では…」

「殿の目になど入らない。これは私の女に贈るものだ」

「ざ、雑渡様のですか!?」

「なんだ。私に好いた女がいることがそんなにも不思議か」


他と比べて細い櫛を撫でると、店主は意外そうな顔をした。じっと見つめられてしまい、気恥ずかしくなって顔を逸らす。疲れからか余計なことを喋り過ぎてしまった。
乱雑に櫛を受け取り、家へと急ぐ。本当は着物だの髪留めだのを購入するつもりだったが、私一人ではどれが好まれるのか分からない。実際になまえに当ててみなければ似合うかも分からないし、なまえに選ばせるのが無難であろう。あまり何度も町へ行くのは気が進まないが、少なからず私のことを知っている者の多い城下町であればまだ行きやすい。他の町では下手をしたら不審がられてしまい、買い物さえままならない。我ながら実に不便な身体をしている。それでも、なまえとなら行ってもいいと思えた。恐らくは嫌な想いをすることになるのであろうが、あの子が喜んでくれるのなら私の負担など大したことはない。
家の付近に着くと、なまえが見えた。辺りを見渡している。それが私を探しているというわけではなく、私の元から逃げようとしているということくらいすぐに分かった。まぁ、普通に考えてそうするだろうから、別に驚きはしない。もう逃す気はないとこれから嫌でも知ることになるのだ、何も焦る必要はない。ただ、不快ではあった。そんなにも私の側にいることは苦痛か、と。私に近付いたのはなまえのくせに。


「どこへ行く気だった」

「お、おかえりなさいませ…」

「聞こえなかったか?どこへ行く気だ」

「えっと、里へ戻ろうかと…」

「里?そんなものはもうない」

「ない?どういうことです?」

「ふむ…見た方が早いか」


あまり血生臭いものをなまえに見せるというのは気が進まなかったが、見れば嫌でも分かることだろう、私の女とはどういう意味であるかを。もう逃げられないということを。
予想通りなまえは里を見て絶句していた。小さな里に人の気配は一つもない。肉が焼けたにおいが立ち込め、あまり長居したいとは思えない地へと様変わりした里を呆然と見ていたなまえは震えた声で私に聞いていた。これはあなたが、と。だから答える代わりに笑って見せてやる。私を恐ろしがれ。そして、離れられないと悟れ。
やり過ぎかと言われれば、やり過ぎであろう。たかだか一人の女のために何人もの命が消えた。それでも私は…
罪悪感を誤魔化すように遠くを眺めていると、なまえが着物をぎゅっと握り締めてきた。その手は小刻みに震えている。


「ふ…私といることが恐ろしくなったか」

「…いいえ」

「ほぉ。これは度胸のあることだ」

「私は雑渡さんの女ですから」


意外なことにも、なまえは笑っていた。この状況下で私に笑い掛けてこられるとは、なかなかに肝の据わった女だ。ここまでされたら、普通は怯えるものだが。
覚悟を決めたかのような表情をしているなまえに何か気の利いた言葉を掛けてやるべきであることは分かった。だが、そう簡単に言葉を紡ぎ出せるほどの恋愛経験が私にはなく、無様にも微笑むなまえの顔を見つめることしか出来なかった。初めて会った時にはまだ幼い女だと思ったが、なまえは底知れぬ強さを秘めた女だった。その強さがあまりにも眩しく、そしてまた美しいと思った。知れば知るほど興味深い女だ。


「…では、帰ろうか」

「ええ。帰りましょう」


なまえを抱えて家へ戻り、一息つく前に先程購入した櫛をなまえに手渡す。気の利いた言葉など掛けてやれないが、少なからず私の想いが伝わればいいと考えてのことだ。なまえは驚いたように櫛を眺め、気恥ずかしそうに髪を梳いた。傷んだ髪に櫛が引っ掛かり、綺麗に梳かすことが出来ていない。まさかとは思うが、櫛など使ったのは初めてなのだろうか。あまりにも手つきが辿々しく、思わず笑ってしまった。
なまえは私が馬鹿にしていることに気付いたのだろう。さて、どう怒るのかと思ったが、急に顔を綻ばせて、微笑みかけてきた。あまりにも柔らかな笑みに思わず目を逸らす。


「…今日は町でなまえの着物を仕立てる」

「着物ですか?」

「そんな粗末な着物など纏うな」

「残念ながら私には着物を仕立てる程の財力はありません」

「誰がなまえに支払わせると言った」


お前に金がないことなど百も承知だし、自分の女のために金を渋るほど私は貧しくない。そう思われたことが不快で鼻を鳴らすと、なまえはくすくすと笑った。何が可笑しいのか分からず、思わず眉をひそめる。


「…お前のような見窄らしい姿の女など乞食でしか見たことがない。この私の隣に立てるだけの女に成長しなさい」

「私になれるでしょうか」

「さぁ、どうだろうか。努力するといい」


また思ってもいないことを口にしてしまい、我ながら素直ではないものだと呆れてしまう。人というのはいつの世も誰かから愛されたいと願っている生き物だ。私がそうであるように、なまえも誰かに愛され、誰かに必要とされたいことだろう。耳障りのいい言葉を並べられ、幸せだと感じたい。それは人として当然の欲求だ。ましてやなまえはあの里で人並み以下の暮らしをしていたのだ。その欲求はより強いことは容易に想像出来る。
恋愛など慣れないことをしているが故にどう出るのが正解かも分からず、そしてまた拗らせた性格から思っていることも言えないとは何と情けないことかと溜め息を吐くと、なまえは私の手を握ってきてくれた。やはり、優しく笑いながら。


「早く行きましょう。日が暮れてしまいます」

「…そうだな」

「町への行き方を教えて下さい」

「その必要はない」

「何故です?」

「逆に何故、知りたい?」


この家から逃げようなどとつまらないことは考えない方がいい、と凄むと、なまえは驚いた顔をした後に笑った。野菜や米などの日用品を買うために覚えたいのだ、と。


「お前、料理の類は得意なの?」

「自慢ではありませんが、やったことはありません」

「ほぉ?」

「まぁ、出来ますよ。多分ですけど」

「それは期待出来ないな」

「雑渡さんは何がお好きなのです?」

「何だろうか…」

「え?」

「忙しさにかまけて食事らしい食事など摂っていない」

「えぇ!?」


なまえを抱えて町まで走りながら言うと、驚いたような声をあげた。だが、冷静に考えれば分かることだろう。私などに誰が食事を用意するというのだ。この私が町に食事のためだけに出向くことなどないに等しく、稀に部下の家内が用意した物を口にするに止まっている。さほど食に興味もない。
まぁ、なまえが料理が出来るかどうかは別にして。少し楽しみが出来た。誰かに私のためだけに食事を用意してもらうなんて久し振りのことだ。それこそ、まだ私に婚約者がいた時ぶりか。あれは大したものを作れない女だったが、果たしてなまえはどうだろうか。期待はせずに待たせてもらおうか。
町に着くなり周りからジロジロと見られた。町に来るのは今日は二度目のこと、おまけに先程要らぬ情報を与えてしまったから、好奇の目に晒された。これが私の女かという目で見られているのがはっきりと分かり、実に不快だ。まるでなまえを値踏みしているかのような無遠慮な目線になまえは気付いていないのだろう。町の雰囲気に圧倒されていた。


「わぁ…立派な城下町ですね」

「こんなものだろう」

「これは雑渡さんの働きがあっての栄えですよ」

「私?生憎と町に金を落とした覚えはない」

「あなたが殿を、城を護られているから、これだけ町が栄えているのですよ。やはり、あなたは凄いお方なのですね」

「…いいから、行くぞ」


こう、媚を売るわけでもなく当たり前のように人を褒めるのはやめて欲しい。計算高い商売女でもそのようなことは言わないというのに。紛れもなくこの女はくノ一なのだろうな。男を悦ばせる術を熟知している。なのに、計算しているような素振りを見せずにそれを言ってくるのだから大したものだな。愚かにも私も絆されてしまった。
気恥ずかしくて、なまえの前を歩くと後ろから小走りでなまえは追ってきた。女の隣を歩くというのも難しいものなのだな。歩幅が違うから、いつもとはあまりにも勝手が違う。


「ふむ…随分と大人びて見える」

「こ、これは私にはあまりに派手ではないでしょうか?」

「そうだね。これはなまえには似合わない。もっと淡い色の方がいいだろう。お前はまだ幼いから、着物に顔が負ける」


着物をなまえに当ててみて、首を傾げる。こんな派手な着物などなまえには似合わない。この子はもっと淡い色味の方が似合うだろう。それこそ、こんな派手な着物は商売女が着るようなものだ。もっと美しい着物はないだろうかと辺りを見渡すと、美しい着物が目に入った。淡い桃色の生地に咲く花が美しい。
なまえに当ててみると、予想通りよく似合っていた。見ようによっては大人びて見える。この咲いた一輪の花がまるでなまえの強さを象徴しているかのようで、気に入った。


「あぁ、先程よりもずっといい」

「こ、こんな高価な物は私には…」

「お前の意見など要らない。私がなまえに似合うと思った物を今後は着てもらう。異論は認めない」

「に、似合いますでしょうか…?」

「似合うさ。この私が見立ててやったのだから」


懐から金を出し、なまえの着丈に合わせるよう指示を出す。店主が私に目配せしてきたから、顔を逸らす。女と町を歩くのなど初めてのことで、どんな顔をしていいのかが分からない。分からないが、妙に誇らしい。いい女だろう、私の女は。だが、これからなまえは益々いい女になる。
紅だの白粉だのを購入した後、組紐を見に入る。淡い色でありながらも金糸が映える組紐をなまえに見立ててから店を出ると、なまえは申し訳なさそうな顔をしていた。女というのはこういう時は男にねだるものではないのか。買い与えられて喜ぶものではないのか。一種の自己主張のようなものだ、これは。私の隣でなまえは儚くも幸せに生かしてやりたいと思っている。なのに、なまえはそれが不満なのだろうか。だとすれば、実に可愛げのないことだ。実に面白くない。


「お前は可愛くない女だな」

「で、ですが…」

「私がなまえに身に着けて欲しいと思った物を、似合うと思った物を選んでいるというのに、お前はそれが不満か?」

「いえ、ただ、あまりにも上等な物なので…」

「覚えておきなさい。物の価値など金では図れはしない」

「はぁ…」

「今日購入した品はなまえが身に着けて初めて価値が出る。逆に言えば、お前が身に着けなければ、ただの屑となるだろう。物に価値があるのではない。なまえに価値があるのだ」


高価な代物であろうとも、その辺にいる町娘が身に付けたところで何ら意味を成さない。私が惚れた女が美しくなることに意味がある。なまえが喜んでくれなければ、こんな物の価値などは何一つない。これは私の身勝手な意見なのであろうか。こんな金品ではなまえの心は動かせないのだろうか。では、私はどうしたらいいのだろうか。どうしたらなまえの心を手中に納められるのだろうか。
そんなことを考えていると、なまえの顔が赤く染まっていることに気付いた。その顔を見て、自分の言った言葉の意味を今更ながらに知ることとなる。意図せず、まるで私がなまえを口説いているかのようなことを町中で言ってしまった。


「あの、雑渡さん…」

「…いいから行くよ」

「えっと、私…」

「煩い。あぁ、腹が減った。茶屋にでも寄る」

「は、はい…」


私は何をしているのだ。こんな町中で女を口説くなど、部下に見られでもしたらどうする。それこそ好奇の目で見られることは間違いがない。とはいえ、いつまでも隠しておくわけにもいくまい。なまえは部外者だ。いくら私が囲っているとはいえ、他所者を無断で置いておくわけにもいかない。少なくとも殿と一部の部下には顔合わせをしておかねばならないだろう。しかし、それは私が本気で惚れていると言うことと大差ないことだった。夫婦になることを前提としていなければ認められないことであり、それはつまりなまえと婚約することと同義だった。いや、私は別に構わない。だが、なまえはどうだろうか。これはあくまでも里を失い私に囲われたに過ぎない女だ。私のことなど好いていないし、私と離れられるものなら離れたいだろう。既成事実を作ることは構わないが、それはなまえの心を手にしてからの方が望ましい。
さて、どうしたものかと団子を口にすると、なまえは奇妙なものを見るような顔をしていた。聞けば、甘味は口に合わないと言う。甘味など贅沢中の贅沢であるというのに。にも関わらず、なまえは米が贅沢品であると言った。米など、嫌というほど口に出来るのに。それこそ、この甘味の方が米よりも余程、何倍も高価であり価値があるというのに。


「く、くくく…」

「…雑渡さん?」

「そうか、米か。安心なさい。お前が私の側にいる限り、米などいつでも好きなだけ食わせてやろう」

「ほ、本当ですか?」

「ふふ…お前はことごとく私の思考から外れている」

「す、すみません…?」

「いいや、謝ることではない。そうか、米か…」


高価な物をねだるのではなく、米か。そんな女、聞いたことがない。成る程、私は深く考え過ぎていたのかもしれない。物で女を釣ろうなど浅はかな考えだ。なまえは物でなびくような安い女ではなかった。私が知っている女とはあまりにも掛け離れてはいるが、なかなかに面白い。
そうだな、この子とならば共に生活しても上手くやれるかもしれない。ただし心を手にするのは骨が折れそうだ。それもまた一興、か。私は実に運がいい。こんな面白い女が転がってきたのだから。殿に話してみよう。惚れた女がいる、と。その女と生涯を共にしてみようと考えている、と。恐らくではあるが、さぞ驚かれることだろう。縁談という縁談を断り続けてきたのだから。殿に紹介した後は里の者にも紹介してみるか。そんなことを考えながら、なまえの汚れた口元に唇を寄せた。何かの拍子に心が得られないかと願いを込めて。
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