雑渡さんと一緒! 31


雑渡さんは今日、飲み会で夕飯はいらないと言っていたから外で適当に済ませて帰宅した。帰ったら明日用の唐揚げの仕込みでもしよう。そう思いながらポストを開ける。ダイレクトメールに混ざって封筒が入っていた。だけど、何も書いてないし、切手も貼っていない。直接投函された物なのかもしれない。何だろうとダイレクトメールと一緒に持つと、指に痛みが走った。思わず手を離す。指からは血が出ていた。
何事かと思い、家に帰って慌てて封を開ける。中にはたくさんのカッターの刃と数枚の写真、それと手紙が入っていた。写真には雑渡さんが写っていた。雑渡さんの寝室で撮った物、女の人の部屋で撮ったと思われる物、ホテルで撮った物…ありとあらゆる場所で撮られた雑渡さんの寝顔が写っていた。慌てて手紙を読むと、とても綺麗な字で「彼を返して」と書いてあった。あぁ、どうしよう。雑渡さんの昔付き合っていた人から手紙が届いてしまった。というか、昔付き合っていたどころか、私が雑渡さんを彼女から奪う形になっていたのだとしたらどうしよう。カッターの刃が入っているということは、私を恨んでいるんだ。それはそうだろう、自分の彼氏が奪われたのなら、私だって傷付く。
雑渡さんは多くを語ってはくれない。だけど、恐れていたことが現実になってしまった。どうしよう、どうしたらいいの?こんなにも何度も写真を撮れるような関係だったのに、私が横恋慕してしまった。そういうことなの?だとしたら申し訳ないし、それに…それに、凄く悲しい。やっぱり雑渡さんには愛した人がいたんだ。私と同じように笑い掛け、同じように愛を囁いた人がいたんだ。分かってはいたけど、その事実を突きつけられることはあまりにも辛かった。
私が泣いていると、チャイムが鳴った。慌てて目を擦ってドアを開けると、文次郎がいた。不思議に思って首を傾げると、文次郎は悪いな突然、と苦笑いした。


「えっと、とりあえず上がって…は駄目なんだった。えっと、どうしよう…どこかカフェにでも行こうか」

「ここでいい。お前さ、あの男と付き合ってんのか?」

「あの男?」

「この前大学に来ていた奴。あれ、お前の彼氏なのか?」

「あぁ、うん。うん…」


そう、雑渡さんは私の彼氏。これから同棲するの。同棲か…雑渡さん、したことあるのかな。あるんだろうなぁ、付き合ってこんなにもすぐに提案してくるくらいなんだから。結婚したいって他の人にも言っていたのかな。そっか、そうだよね。私みたいな子供よりも大人の女性の方が雑渡さんを分かってあげられるもんね。
ボタッと涙が出た。文次郎の前なのに、と慌てて下を向くと、文次郎はぎゅうっと抱き締めてくれた。


「も、文次郎!?」

「やめておけよ、あんな奴。俺の方が絶対になまえを幸せに出来る。俺はお前をそんな風には泣かせたりしない」

「待って…私…」

「俺、なまえのことが好きだ。初めて会った時からずっと好きだったんだ。昨日、お前に男がいるって知って…だけど、どう見てもロクな男じゃねぇだろ、あいつは」

「…どうしてそう思うの?」

「見ていたら分かる。あれは仙蔵…俺の知り合いと同じような奴なんだよ。軽薄で人を小馬鹿にするような顔をしている」


雑渡さんはそんな人じゃない、とは言えなかった。普段ならきっと言っていただろうけど、今はとても言えない。
どうしよう。もう、疲れちゃった。雑渡さんは私を信頼してくれていない。だから、何も話してくれない。私がどんなに雑渡さんを好きだと言っても、所詮私は雑渡さんにとってその程度の人間で、何も教えては貰えない。
文次郎に写真を見せると、我が事のように震えながら怒ってくれた。そして、私を文次郎の家に連れて行ってくれた。殺風景な雑渡さんの部屋とは違って、随分と物が多い部屋だと思った。教科書はどれも開きっぱなしで、たくさん床に置かれているし、布団もぐちゃぐちゃだ。文次郎らしいな、と思った。らしいといえば、雑渡さんの部屋も雑渡さんらしいけど。あれは物に執着しない雑渡さんだからこそ作り出せる空間だ。私では到底真似出来ない。


「なまえ、これからどうするんだ?」

「そうだね、どうしようかな…」


既に私の部屋は解約手続きを済ませてある。つまり、雑渡さんの家に住まないのなら、家を探さないといけない。そのためには実家に帰って会いたくもない父親に頭を下げないといけない。引っ越すためにはお金も保証人も必要だ。
それに、雑渡さんと話をしないといけない。いや、しても無意味なのかな。きっと雑渡さんは私には本当のことを話してくれない。きっと、また嘘をつかれる。隠し事をされる。だったら、もうこのまま雑渡さんの前から姿を消したい。全部なかったことにして、もう忘れてしまいたい。雑渡さんを忘れるにはあまりにも私は愛し過ぎてしまった。別れるなら二度と顔も見たくない。見たらまた縋りたくなってしまうだろうから。また雑渡さんを許して、そしてまた傷付いてしまうだろうから。


「しばらく、ここにいろ」

「えっ。でも…」

「俺は仙蔵の実家にでも行く」

「…仲良いんだね、仙蔵って子と」

「腐れ縁だからな、あいつとは」

「そっか」


雑渡さんにもそんな人がいたんだろうか。あの照星さんって人がそうなんじゃないかなぁと思っていたけど、もうどうでもいいことだ。もう私には何も関係ない。
私は文次郎の好意に甘えさせてもらうことにした。文次郎のベッドからは知らない匂いがした。雑渡さん、そろそろ帰ってきたかな。私がいなくてどう思ったんだろう。怒っているのかな。それとも、面倒だと思ったのかな。他の人のところに行ってしまったのかな。
忘れたいと思っていても簡単に忘れられない。涙が止まらない。助けて、助けてよ雑渡さん。つらいよ、苦しいよ…
結局、雑渡さんにしか助けを求めることが出来なくて、私は益々泣くしかなかった。こんなことなら雑渡さんなんて好きにならなければよかった。会いたくなかった。
その日、私は不思議な夢を見た。包帯だらけの男の人が優しく大丈夫だよ、と頭を撫でてくれる夢。どこか懐かしくて、切なくて、恋しくなる夢だった。この人は誰なんだろう。知らないはずなのに、知っている気がする。私は夢の中で知らない人だというのに抱き付いてわんわん泣いた。それを男性はよしよしと慰めてくれたし、ごめんね、と謝ってきてくれた。彼は何も悪くないのに。何も関係ないのに。だけど、頭を撫でてくれる手付きが妙に懐かしくて、私は夢の中で彼の優しさに甘えてしまった。この夢は覚めないで欲しいとさえ願うほどに私はこの人が懐かしくて、そして愛しく感じた。


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