雑渡さんと一緒! 37


もう無理だ、もう死ぬかもしれないと言いながらも粘り続けた月末処理が無事に終わった雑渡さんはテーブルにぐったりと顔を置いた。このまま寝てしまいそうな雰囲気さえある。
そろっと雑渡さんの顔を覗くと、目が合った。


「ちゃんとベッドで寝て下さいね?」

「んー…」

「私は今日は自分の家で寝るので」

「えっ!何で!?」


雑渡さんは勢いよく身体を起こした。さっきまであんなにも眠そうだったのに、目もぱっちりと開いている。


「今日で最後なので」

「なにが」

「あの部屋が私の家であることがです」


そう、明日で私の部屋は引き払うことになる。荷物はもう全て雑渡さんの家に運んである。といっても、大した物はないので業者さんを呼ぶわけではなく、雑渡さんが帰ってくるまでの間にちまちまと済ませていた。それを後から知った雑渡さんは手伝ったのにと拗ねていたけど、本当に少ない荷物だった上、隣の家だったのですぐに終わったから手伝ってもらうようなことは何一つなかったのだ。
明日、業者さんに残った家具家電を引き取りに来てもらって全て終わる。最後の日くらい自分の部屋で過ごしたかった。


「じゃあ、私も今日はなまえの家で寝る」

「えっ。うちのベッド、シングルサイズですよ?」

「知ってるよ」

「狭いですよ?」

「だろうね。でも、一人で寝るのは嫌だ」


そんな子供のようなことを言う雑渡さんは本当に私の家に着いてきた。この人、こんなにも疲れているのに大丈夫なのかしらと思ったけど、逆に言えば疲れているからこそ大丈夫かもしれない。だって、人の家の床でも寝れる人なんだから。
私の部屋は狭いと思っていた。だけど、住み心地は決して悪くはなかった。雑渡さんと一緒に寝るようになるまでは毎日使っていたベッドも、心なしか懐かしく感じる。


「久しぶりだね、この部屋」

「ですね。付き合う前は毎日ここでしたけどね」

「あぁ、そうだね。懐かしいね」

「ええ、本当に…」


この部屋では雑渡さんと色んなことがあった。たったの三ヶ月しか借りなかったけど、とても思い入れがある。もう二度とこの部屋に足を踏み入れることはないのかと思うと、少し寂しいなと思った。
雑渡さんは私のベッドに横たわり、私を手招きした。雑渡さんの隣に寝ると、ベッドはギシギシと音を立てた。


「…本当に雑渡さん、ここで寝るんですか?」

「最初で最後だしね」

「もう…身体が痛くなっても知りませんからね」

「私さ、このベッドにはある意味思い入れがあるんだよ」

「えっ?何で…っ」

「早く抱きたいなぁっていつも考えていたから」


雑渡さんに覆い被さられた私は唇を喰まれた。どんどん深くなるキスに身を任せることしか出来ず、そのまま私たちは身体を重ねた。私の小さなベッドはよく軋んで、それはそれで官能的なものがあるね、と雑渡さんは笑った。
終わった後、べったりと雑渡さんとくっ付いていなければ雑渡さんがベッドから落ちてしまうと思い、いつも以上に雑渡さんの側に寄ると、凄く嬉しそうにしていた。機嫌がいい。


「終わっちゃうんだなぁ…」

「なに、終わるって」

「私の一人暮らしが、です」

「あれ。同棲が嫌になったの?え、今更?」

「違いますよ。ただ、引っ越す前は結構意気込んでいたのに、すぐにあっさりと終わったなと思っただけです」

「何をそんなに意気込んでいたの?」

「彼氏欲しいなぁとか」

「いるじゃん」

「いつか彼氏を呼ぶのかなとか」

「呼ばれて…はあまりいないか」

「どちらかといえば、押し掛けてきてましたよね」

「そう言うけど、結構私だって緊張してたんだからね?」

「そうなんですか?」

「そうだよ。どうやったら好きになってもらえるか考えていたし、デートなんて毎回どんなに誘っても断られて傷付いていたんだよ?初めてデートに誘うことに成功した日なんて嬉し過ぎて帰ってからしばらく動けなかったんだからね?」

「雑渡さん、そんな感じだったんですか?」

「それはそうだよ。私が初めて好きになった子なんだから」


雑渡さんは私の頬を撫でながら溜め息を吐いた。
あの頃は雑渡さんは大人の男性で、いつもスマートに何でもこなす人だと思っていた。私の言動なんかで動揺したりはしないと思っていたし、ましてや緊張なんてしないと思っていた。そして、それを微塵も感じさせなかった。初めてデートの誘いを強引にされて断れなかった時以外は、だけど。それでもあの時だって決して確信があったわけではない。
私はいつも緊張していたなぁ。雑渡さんといても緊張しなくなったのはいつからだったかな。そんなことを思いながら雑渡さんの手に自分の手をそっと重ねた。


「恋なんて誰ともしないし、出来ないと思っていた。正直、面倒なものだとも思っていたし、まさかこの私がこうして一人の子をここまで好きになるとはね。想定外だよ、本当」

「それ、喜んでます?」

「凄く。なまえに出会えていなかったらと思うと怖いよ」

「そうですね…私もです」


雑渡さんと出会うことが出来てよかった。この家に引っ越すことが出来てよかった。あなたとこうして同じ時間を共有することが出来てよかった。始まりはこの家に私が引っ越してきたこと。全てそこから私たちは始まった。
しばらく話をしているうちに雑渡さんは寝てしまった。今週も本当にお疲れ様でした。そして、疲れているのに私に付き合ってくれてありがとう。きっと一人だったら感傷的になってしまっていたから。雑渡さんはそれを分かっていたから、着いてきてくれたのであろうことを私は初めから分かっていた。雑渡さんは分かりにくい。素直に言葉にもしてくれない。だけど、こうして態度や表情で教えてくれる。雑渡さんを見ていたら自然と分かるようになっていった。
私は小さなベッドで雑渡さんがこの家で最後に作ってくれた思い出に感謝しながら眠った。そして、私の短くも尊い一人暮らしは雑渡さんと共に終わりを告げた。


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