希望をもてあましたつもりでいる

 ナマエ、聞いてくれ。夢を見たんだよ。あ、あ、待て待て待てって。切らないでくれ。俺が今までにたいした用も無いのに君の大切な時間を奪ったことがあるか?いいや、スキンシップは『たいした用』だ。あっ、おい!いいじゃあないかどうせ寝てたんだろ?それとも俺が直接そっちに言ってしゃべくってやったほうが良いのか?イヤだろ?電話代は俺持ちなんだから、君は携帯を耳に当ててベッドに横になってるだけで良い。いいか?寝た?……ベネ。それじゃあまずは、俺が昨日の夜何をしてたかから話さないといけないな。寒い夜だった。仕事を終わらせて、リゾットに電話で報告して、さあ寝ようと思ったらベッドが無いんだ。嘘じゃない。まさに!忽然と消えてたんだよ。ベッドがあったはずの場所には小さなクモの死骸と干からびたりんごの芯となくしたと思ってたハサミと、あとテレビのリモコンと君の白いパールのピアスがあった。……ああ、掃除はしてなかったよ。悪いな。……覚えてない?君、なくしただろ?俺のうちで。……まあそれはどうでもいいんだよ、わかった、わかったって、俺が悪かった。『俺のせいで』なくなったんだ。それでいい。それでだ、ハサミを机の上に戻して、リモコンもソファの上にどけて、それから俺はピアスを拾った。少し汚れてたから洗面所に洗いに行ったんだ。そうしたらうっかり手が滑って………………。………………手が滑ってピアスが排水溝の中に入っ、いや、違うね、無視してるのは君のほうだ。俺が話してるんだから今君は喋るべきじゃない。さっきから文句ばっかりだな。少しも眠くなんかなさそうじゃないか。ああ、違う、ほらまただ、君がそうやってつっかかるからケンカになる。俺が悪いのか?……ああそうかわかった、俺が悪いんだな、はいはい、落とした俺が悪い。じゃ、話を続けて良いか?……………よし。それで、ピアスを落としちまったんだよ。そりゃあもうあっさり。返そうと思ってたからかなりショックだった。でも俺はこう考え直したんだ。『新しいのを買ってプレゼントしよう』って。なくして以来ずっとしてないだろ。よっぽど大切なものだったんだな。…………いや、俺が悪いんだよ。ごめん。……やめようぜ謝りあうのなんて、辛気くさいし俺たちらしくないよ。……いいんだ。うん……ああ、それで、今日はどっちみち電話するつもりだった。一緒に買い物に行こうって。それでまあ、一回オナニーしてから寝た。あ、まーた文句か。君の事考えながらしたんだから、気にするなよ。ピアスなくした時の君の顔思い出したらちょっとばかりもよおして……。仕方ないだろ?……はいはい。それで、寝た。そして夢の話だ。
 自分でも気付かなかったんだが、結構ピアスのことは気にしてたらしい。夢はそのピアスの話だった。俺は、あのピアスを探してるんだよ。排水溝に落としたのなんかさっぱり忘れてさ。まずは、あー、待てよ、今思い出す……みんなに聞いてまわるんだよ……誰だったかな……――あ、そうだ、まずリゾットだ。リゾットは取り合ってもくれなかったな、忙しいとか言って。プロシュートとペッシは留守だった。イルーゾォにも、ギアッチョにも知らないって言われて、ホルマジオが代わりのを買えよって言ったんだが、夢の中の俺はそれじゃあダメだって言ったんだ。……はは、そうかい?眠ったら会えるかもな。あ、あと、君の友達だっていう女にも聞きに行ったな。君、友達いたか?いないよな。まあ俺の空想だな、顔も覚えてない。そいつはなんだか的外れな事言ってたな。選挙がどうとか……ああ。マジメだよな。俺もスッゴく真面目に話してた。……ほんとだよ。俺は嘘は言わない。知ってるだろ?ああ、それで、えぇーっと……結局見つからないんだ。君に謝りに行くんだよ、電話してアポ取ろうとしても出ないから直接うちへ行った。チャイム鳴らしても出ない。だから中に入ったんだ。鍵はなんでか掛かってなかった。部屋がすごく静かなんだ。いつも君の部屋は静かだがそれ以上さ。いつもと同じ部屋なはずなのに、なにかが違う。家具の配置も、匂いも、窓から差し込む光の量さえいつもと変わらないのに、ただなにかが違うんだ。それに気がついたら急に心配になった。慌てて寝室のドアを開けたんだ。そうしたら、倒れてた。君が。死んでたんだ。遠くから一目見ただけですぐに分かった。それで今、飛び起きて、心配になって掛けた。
今の君は大丈夫?本当にどこも痛くない?頭痛は?吐き気は?心臓は?脳みそは?ちゃんと動いて生きてるのか?今喋ってるのは君自身じゃなく違う人間なんじゃないか?横たわってる君は、口から血を垂れ流して、唯一動く片目で偽物の君をベッドの上で睨みつけてるんじゃあないのか?






















 目を開くなり私はパニックに陥った。まともに息も出来てないまま、動かなかった体をここぞとばかりに起こして、めちゃくちゃに腕を振り回す。枕を投げ、立ち上がってシーツを剥がし、ライトを投げ、叫びながら壁を叩いた。感じるのが息苦しさだけで、余計に焦燥感にとらわれる。本当に私、死んでるんじゃあないか、もしくは死にかけてるんじゃあないか。口に出してみることにした。生きてる?死んでる?お願いだからちゃんと息をして。心臓が痛いくらい鳴っている。

 ……が、私は生きていた。一通り暴れ回った後、床に直に座り込んで呆然とする。
「………………」
 何やってるんだろう、私。
 上手く開かない目で見渡した部屋中は、すっかり荒れ果てていた。そりゃあそうだ、あれだけ暴れたのだから。いつも荒れ果てて正にも負にも崩される事のない私の部屋は見事にプラスマイナスゼロの状態のままで易々と嵐の通過を許したのだ。

 涙と鼻水の乾きはじめた顔を洗おうと立ち上がった拍子に、ベッドのすぐ下に投げ出された電話の子機が目に入った。その瞬間、ひやりと胃がねじれる。子機は、私がさっきまで夢で使っていた子機とまったく同じ姿形をしていた。メローネが電話の向こうで勝手に携帯だと思い込んでいた子機。シーツを剥がした時落ちたのか。『ベッドの上から』。
 私は慌ててベッドの上に飛び乗って、まるで子機が逃げるのを阻止するみたいに性急に細いそれを引っつかんだ。熱に浮かされたように、いやむしろ体中の血の気が引いたようになったままボタンを押して着信履歴を引っ張り出す。
 今度という今度は、自分の血が一滴残らずどこかへ行ってしまった気がした。10:11PM、Melone。時計を見た。中の機械がイカれてさえいなければ10:30ちょうどだ。緑色に光る小さなデジタルの画面がみるみる歪む。せっかく乾いていた下まぶたと鼻の奥がまた熱を帯びはじめた。
 私は、嗚咽をこらえようともせずに、そのまま震える指で通話ボタンを押した。鼻を啜って、擦って、ぽたぽた落ちる涙だけが為す術も無く剥き出しのマットレスに染み込む。幸い、それくらいの衝撃ではスプリングは軋まなかった。ちょっと待て、何が幸いなもんか。それより何より、呼出し音がいつまで経っても途切れないことの方が問題だ。電話口に向かってしゃくり上げながら私はまだ泣いていた。



『プロント?』
「メ、メローネ!」
 なんとか一番重要な単語だけ伝えて、私はそれっきり喋るのを諦めた。今までに無いってくらいの号泣をしていた。抱き寄せた膝に目を当てて涙をうやむやにしようと足掻くと、今度こそスプリングはぎしりと鳴った。あんまり泣くのに必死で、メローネがしばらく黙っていたのに気が付かなかったくらいだ。
『すぐ行く』
 うう、と曖昧な返事をして、私はますます大声で泣き始めた。受話器を持つ手が震える。
『電話は切らないほうが良いだろ?』
「う、うぅ」
 がちゃがちゃと鍵をどうにかするような音に、慌ただしく階段を駆け降りるような音が続いた。また鍵の音と、エンジンのかかる音。が、続けざまに電話の向こうから聞こえてきた。
『やかましいかもしれないが、我慢しなよ』
 電話の向こうで風を切る轟音が不規則に鳴りはじめた。その音を聞きながらしゃくりあげて、今にも誰かが自分を殺しにくるんじゃないかと身を固くする。受話器に縋り付くようにしながら、ただただメローネを待つ。夢の中で見た自分の偽物の後ろ姿を思い出すと、一層視界がにじんだ。

 メローネが来るまでの時間が永遠に感じられたので、やっと玄関のドアが合い鍵で開く音を聞いた瞬間また私はぐずる子供みたいな声を出した。ばたん、と強くドアが開く。風を切ったメローネの頬は涙で歪んだ視界の中ほんの少し赤くなっていた。散らかるものを避けもせずに踏み付けて直線でこちらへ向かってきて、メローネはそのままぐしゃぐしゃの私を痛いくらい抱きしめた。
 もちろん私はまた大泣きだ。メローネに抱きつき返すと同時に腕の間から受話器がずり落ちてベッドの上に不時着する。頭の後ろからがさりと電子音がした。たぶんメローネの携帯だ。
「電話したんだぜ。寝てたのか?」
「う……うぅ……」
「なあ、何があったのか落ち着いて話してみろよ。聞いてやることくらいしか出来ないけど、たぶん」
 メローネの肩に鼻水を染み込ませないように手を持っていきながら、やっぱり涙だけはすり抜けていた。結局湿っていくメローネのTシャツ。この寒いのに、部屋着のまま適当なジャケットを羽織っただけで飛び出してきたようだった。私が顔を離そうとしてもメローネは私の背中を離さなかった。
 結局そのままくぐもった声で、私はメローネに事の顛末を話す事になった。夢を見たこと。夢の中でメローネが電話をしてきたこと。ベッドがなくなっていて、ピアスが出てきたこと。ピアスを落としたこと。夢の中のメローネが、そのピアスをさがす夢を見たこと。メローネが私に会おうとしたら、私が死んでいたこと。死んでいる私を見たこと。

 話の半ばあたりで、やっと私は夢から完全に目醒めつつあった。つまり、自分で話しながら、これがなんともバカバカしい話だという事に気が付きはじめたのだ。最後の、一番大騒ぎしていた部分なんかは特に、大いに鼻で笑いながら語ることになった。
「変な夢だな」
「でしょ?なんでそんなの見たのかな」
「うーん」
「逆夢?正夢?」
「うちのベッドはひとりでに消えないから逆夢だろ。新しいベッドでも買うかな」
 思わず笑ってしまった私の背中をメローネが撫でた。部屋をぐちゃぐちゃにしたり電話口で大泣きした自分があまりにも現実離れしていて、かえって恥ずかしくはなかった。まさに他人事のように、私は私に成り代わってメローネの腕の中におさまっている。
「あ、買い物に誘おうと思ってたのは本当だ」
「あら……そうなの。シャワー浴びなくちゃ」
「その顔で外に出るのも良いんじゃあないか?」
「バカ言わないで」
 良い顔してるんだがなぁ、と呟くメローネの胸をどんと叩いてから、なんとか腕を解いてベッドから降りた。踏み付けたリバーシブルのコートを気にしないで、開きっぱなしのドアに手を掛ける。
 ちらりと振り返ると、メローネはいつもの笑ってるんだか笑ってないんだかよくわからない顔で、ベッドに座ったままこちらを見つめていた。なに、と尋ねると、肩を竦めてにやりと笑った。
「寝癖だ」
「………………」
 頭を触ると確かに右側の髪がひっくり返っている。手でなんとか押さえ付けながら、メローネと見つめ合う。

「……ありがとう、来てくれて」
「君のためならいつでも駆けつけるさ」
 あっそう、と照れ隠しに吐き捨ててから部屋を出て、後ろ手でドアを閉めた。本当に、今夜はよく冷えている。夢の中の気温がどうだったか思い出そうとしたが、電話越しのメローネの声さえ忘れてしまっていたから、早々に諦めることにした。




2009.08.24
企画BIZARRE!BIZZARRE!に提出
2019.03.03
修正

戻る