「ちゃんとプロポーズをして。」

それは今日の昼休み後の事だった。
なまえはいつものように社長室の隣に設けられたプライベートルームにいた。そこへ海馬はどこで買ったのか「ゼ●シィ」をなまえに渡して来たのだ。

海馬と交際して早2年半ちょっと。やっと日本の法律で海馬と結婚できる年齢に達したかと思えば、高校の卒業を控えながらも仕事に奔走する海馬に引き摺られて海外を転々とする生活。
既に一緒に暮らすなまえにとって“結婚”なんてものは思考のほんの片隅程度にしか留めていなかっただけに、海馬ゼ●シィ事件は青天の霹靂でもあった。

いや、まさかコンビニや本屋で海馬が「ゼ●シィ」買ったなんて思いたくはない。だが事実、白いビニール袋にレシートも一緒に入った状態で「ゼ●シィ」を これでもかと言わんばかりの高揚とした顔で渡して来た。

「童実野高校の卒業式の翌日に海馬ランドを貸し切りにしておいた。ドレスの採寸は来週の水曜だ。」

「……………は?」

なまえは海馬の言っている事が何を意味しているか理解に苦しんだ。いや、恐らくは結婚式の事を言っているのであろうが、脳が敢えて理解しないという選択を取ったのだから 聞き返す他ない。

「卒業式の翌日ならば、なまえの仲間とやらも大体は休みだ。わざわざ奴等の為に日程を合わせるのはオレにとって不本意だが、新婦の友人一同として 今回だけ大目に見てやろうと言っているんだ。」

話しが噛み合わない。論点はそこではない。これではなまえの眉間にシワが寄るだけである。海馬は普段通りの横柄な物言いで話しを勝手に進めてくる。

「ドレスとカラードレス、白無垢と打ち掛けも作らせる。指輪もどんなものが良いかそれを見て勉強しておくんだな。オレは仕事に戻る。」

仕事に戻ると言いながら、どうせ隣の部屋に居る海馬を目で見送る。なまえは大きくため息をついてソファへ身体を倒した。

「えー、えー、…えーーーー」
今聞いたって自分に聞いているようなものだ。本心とても嬉しい。嬉しい、が、違う。もっとこう…。しかしそんなものを海馬に求めるのが間違っているのは理解していた。
暫くうーーーんと唸り、観念して 可愛らしい花嫁姿のモデルがこちらに微笑みかけているのに 何故かすごーーーーく威圧感ある厚みを誇ったその冊子を手にした。

ズッシリと重い辞書並みの冊子に、オマケでさらに何かの冊子が付いている謎仕様。表紙を開くと1ページ目にピンク色の婚姻届が封入されている。
おもむろにそのピンク色の婚姻届をめくると、明らかに“ヤツ”が故意に自分で挟んだであろう ブルーアイズ・ホワイトドラゴンが描かれた水色の婚姻届が挟んである。

「作ったの…これ……これを市役所に出すの…?…絶対にやだ………」
その水色の婚姻届を捲れば、なまえのデッキである“魔導書”シリーズの魔導師達が描かれた淡いライラックの婚姻届まで挟んである。

『本当はブルーアイズがいいけどなまえの為なら妥協してやらんでもない。』と言わんばかりの海馬仕様である。

問題はそこじゃねーよ!!!

しかもシレッとブラック・マジシャンの姿が無いあたりも、海馬の思惑を伺わせた。

思わず隣室に乗り込んで海馬の頭を引っ叩きなる衝動をグッと堪えると、流れ落ちてくる髪を耳にかけて頭痛を感じる眉間に手を当てる。
自然とため息が出る中、海馬の意図的な作為をすっ飛ばして肝心の本文を読み始めた。

「…。」

「……。」

「………。」

***

「…ハッ」
なんかやたらと字が読み難いと感じ、やっと日が暮れて部屋が薄暗くなっている事に気が付いた。顔を上げると、隣の社長室を隔てるドアの隙間から明かりが漏れているのが目に入る。一体どれほどの時間を過ごしてしまったのだろうか…。

「しまった…。」
ついそう口に出すと、テーブルに置いてあるリモコンスイッチを手に取り ルームライトを付けた。
大窓の外は空が群青と朱色のグラデーションに、所々テクスチャを掛けたような雲が 細く伸びている。

時間を無駄に過ごした、とは言わないが、可愛らしいドレスや豪華なベール、荘厳な教会に高潔な白無垢…。様々な文化の入り混じる様々な結婚式の“仕様”は、見ているだけでも楽しめる。何より海馬なら、白いタキシードも和装も似合うだろう。そう思うとページを捲る手が進んでしまったのだ。

…だが、花嫁姿については内心『自分には似合わない』『これは脚が綺麗な人だから』『こんな大きな石の指輪はデュエルの邪魔だから』、そんな不安で占められていた。

「結婚式…やらなきゃダメかな…。」
ポツリと口からそんな言葉が溢れる。
そもそもお金が掛かる行事は、まだ実質働いていないなまえにとっては避けたいものだった。デュエルの大会賞金で作り上げた多額の貯金はあるにしろ、日々の暮らしは海馬に頼りきりというのが実情である。その上こんな盛大な結婚式を挙げることは、なまえの心的な負担があった。

立ち上がって展望窓のところへ足を進めると、童実野町の夜景を眼下に、濃紺の空に煌めき出した一等星を見上げた。
さすがに空調が効いているとは言え、窓に近付けば冷んやりとしたものが足元に差し迫ってくる。

ぼんやりと上に向けた顔を戻すと、濃紺の窓に海馬の顔が映り込んでいるのに気が付いてハッと振り返った。
「瀬人…!」
振り返りざまに顎を手に取られて長い指が喉と頬に絡みつく。そのまま顔を上げられると有無を言わさぬ口付けがなまえの唇を覆った。
反対の手で身体を引き寄せられて抱かれ、ついばむような短い口付けが続く。

やっと唇が離されると、甘い吐息が薄く開かれたその口から漏れる。
海馬はそれすら見逃さずに、その震える唇をペロリと舌で舐め上げた。

「…ッ!!!ば、バカ!」

なまえは恥ずかしさの余り海馬の胸を手で押しやるが、その程度ではビクともしないのは重々分かっていた。
それを海馬はいつものように鼻で笑うだけである。

「フン、ゼ●シィはもういいのか?」
海馬は窓ガラス越しに、ソファの上に閉じられた分厚い冊子を見る。
「…べ、別に。私には似合わないわ。柄じゃないし。」

海馬は面白くないと言った不機嫌な顔でなまえを覗き込む。
「とにかく、純白のドレスなんて…。私なんかより、キサラのよう、な───…あっ」
なまえはふと純白の肌に青白い髪の女性が脳裏に過ぎり、そのまま口にだしてしまった。
つい口をついて出た女性の名前に海馬の眉間にシワが深く刻まれたのを、なまえには見なくてもわかった。その中で自分の灰色掛かった赤い髪が目に入ると、なおさら気不味い顔でゆっくりと密着する海馬から半歩でも離れる。

…なぜ、こんな時に思い出してしまうのか。

だがそれはきっと、自分に似合わない純白のドレスが、あのひとには似合うからだと、自分が意識しなくても考えていた事に気付いていたからである。

「…貴様、まだその話しを。…オレにとってあの記憶の世界の出来事など関係ないと言った筈だ。」

明らかに機嫌の悪い海馬の声に、なまえは目線を合わせられずにいる。…いつまでも話しを蒸し返す自分自身が、こんなにも嫉妬深い女だとは思ってもみなかったと嘲笑すら沸いてくる。

あの記憶の中の2人は最初、互いに最愛の人を亡くした者同士であり、ただ政略結婚に巻き込まれた事がこの運命の発端だったのだと、見せ付けられた。…あれ以来、なまえの胸中にはどこか穏やかではないものが巣食うようになっていたのだ。

前世の姿とは言え、瀬人が他の女を愛するというイメージを覚えてしまった。

だがそれは自分も同じである。事実瀬人と出会う前はブラック・マジシャンに入れ込んでいたのだから。同じように瀬人もブルーアイズに心酔している部分が隠せない。

こんなわだかまりを抱き続けて、これから永く続く残りの人生全てを、夫婦として過ごしていけるのだろうか… とてつもない、漠然とした不安がなまえの心に巣喰い始める。
──いっそ、全て白紙に戻してしまえば…

「このオレから逃げる事は断じて許さん。」
「…!」
心を見透かされたのかと思い、息が詰まった。海馬を見上げれば、青い瞳が真っ直ぐになまえを突き刺している。

「何度も言わせるな。オレはオレ自身で、お前を人生の伴侶と選んだ。例えどんなヴィジョンを見せられようと、全て下らんまやかしに過ぎん。…それともお前は、あの下らん前世の因縁とやらだけを信じてオレを選んだのか?なまえ、お前の目の前にいるオレ自身だけを見て、なまえ自身の意思でオレを選んだのではなかったのか?」

海馬はなまえの両肩を掴んで覗き込んだ。その顔には、いつになく不安そうな陰を落としている。
「モクバと2人だけだった家族に、オレはなまえを加えたい…!オレは、お前を愛しているんだ。」
「…ッ!」
声が出せなかった。目の奥が痛み、喉が詰まる。
海馬はなまえの肩から腕へ手を撫で下ろしながら、その両の手を取って片膝を着きひざまずいた。
「…!せ、瀬人…!」
「このオレにここまでさせたんだ、タダでは済まさんぞ。」

窓の外はすっかり夜の帳が下り、童実野町の町の煌めきが反射して、窓硝子が色とりどりにその光を映している。きっと、海馬の顔が赤く染まっているのも、この夜景の灯りのせい───

「もう何度も言い続けてきた筈だ。今更ご託を並べるつもりはない…

オレと結婚してくれ。」

「────…!」

思考も返事も停止してしまった。しかし、返事を求める海馬の不安げな眼差しにせかされて、やっと僅かに口を開く。

「──…は、い。」

吐息交じりに声を出すのが精一杯だった。だがそれでも海馬には届いていた。手を引かれて、そのまま有無を言わさず口付けをされる。
流石に柄にもないことをしたせいか、唇を離した海馬の顔は、今までで見たことの無い、一生忘れることの出来ない色をしていた。
おもわず口角が綻び、クスクスと笑いがこみ上げれば、海馬はまた不機嫌そうな顔をする。だが、それがもうただの照れ隠しなのだと言うのはなまえに筒抜けだった。

そして海馬の手が左手だけを解放すると、その薬指にはもう指輪が輝いていた。
「…!(いつのまに!)」
ドキリとして息を飲めば、海馬は得意げに鼻で笑う。
眼下の夜景を閉じ込めたような様々な色の光を放つダイヤモンドの一粒石の指輪は、まさしく王道の婚約指輪の出で立ちをしている。

「フン、貴様もプロのデュエリストならば、指先の感覚をもっと研ぎ澄ませるべきだったな。全く気付かんとは…」
「瀬人、」
海馬は煽りに乗って反撃してくるであろうなまえに目を向けた。

「ありがとう、私も…愛してるわ。」

「…!」
肩透かしを食らい一瞬目を見開くが、すぐにいつもの平素な顔でなまえを見た。それでも、口角を引き上げる頬は言う事を聞かないらしい。
海馬は立ち上がってなまえを抱き寄せた。なまえも大人しく、その腕に収まった。


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