ひどく鋭い痛みが城之内、杏子、本田……そして地下廊をすすむなまえを襲った。

 なまえは思わず振り返る。
「……遊戯?」
 恐怖とは違う、震えのような動悸に息を飲む。
 キ……という僅かな金属音に視線を落とすと、手にしたままの千年秤のウジャド眼がチラリと光る。ゾッとするような視線になまえは千年秤を手放そうとするが、震える手のひらはしっかりとその金の地肌に吸い付かれて、ただ冷たい指先が僅かに動こうとするだけだった。
 なまえも相当に消耗していた。だがその足を止めることはできない。

 思わずもう片方の手でデッキケース越しに海馬たちのカードに触れる。おなじくケースに入っているブラック・マジシャンと、そして13人の魔導士たちにも。

 本当はずいぶん前から心が折れている。今すぐにでも泣き出して、ここから逃げ出してしまいたい。

 それでもなまえは鉄の顔で必死に堪えた。この先に海馬の体がある。そう、なぜか、もう一度触れなくてはいけないような、願望や慾求とも違う肉体的なものではなく、もっと根幹の……精神的な何かを求めて、今はその使命感のようなものに突き動かされることで、やっとどうにかなまえの足が前に進んでくれている。

 なまえは遊戯の事を感じつつも、前に向き直って進んだ。海馬への根拠のない感情と同様に、根拠のない遊戯への信頼感によってなまえは前を向けたのだ。

 この感覚は覚えていた。
 そう、大切な人が道を指し示してくれるということを。

 ***

「あの闇のフィールド内でもし本当にオレたちが考えてるような事が起こっていたら……オレたちは何もしてやれないのか?!…こうしてボーっと突っ立ってることしか……」
 怒りを通り越して悔しそうに言う城之内に、杏や本田の顔も曇り続ける。
「オレたちじゃ闇のゲームってやつに入ることはできねぇのか……」
 やるせなさを含んだ本田に、耐えることを知らない城之内はウズウズして仕方のない様子だ。
「仲間の最大の危機だってのに、手の一つも差し伸べてやることもできないのか!」

 杏子はただ黙って、闇の壁に阻まれたフィールドを見つめていた。
「(もし……なまえなら、この中に入る事ができたの……? 私じゃあ、遊戯に何もできないの?)」
 燻り続け、晴れることのない靄が胸に広がっていた。ずっと一緒にいたのは自分だというのに、遊戯の目は突然現れたなまえに向けられたままだ。
 ここに来て闇のゲームという自分の力が及ばない状態に持ち込まれた事で、遊戯にとってなまえがどれだけ大きな存在なのか見せつけられているようで、……杏子は追い込まれていた。

 杏子はなぜこんなにも悔しい思いをしているのか……自分に対して直接何かされたわけでもないのに、何故 なまえに苛立ってしまうのか。その理由に気付き始めていた。

 私は、……遊戯の事が好きなのかもしれない。

 確実な感情とは言い難かった。完全に認めるのが怖かった。そう……杏子自身が好きだと感じているのは、遊戯の半分の方だけに対してだったからこそ、未成熟な感情に対して心が防衛本能を示しているのだ。
 この芽吹いた感情を摘み取るなり押しつぶすなりしたとしても、その根は複雑に入り乱れて、杏子の心に深く深く巻き付いている。そもそもの種子こそが、杏子の心自体なのだから。

 まるで自分が自分ではないように、壊れたテレビモニターのように、頭は遊戯となまえが向き合って立つ“あの時”の映像を繰り返し再生してくる。もしこの心の、余計な部分を打ち砕いて捨ててしまう事ができたなら……遊戯に対して、親友という純粋な気持ちのままでいられるのに。

 杏子は懸命に現状の解決策を探る方へ目をやった。

 なまえにしか出来ない事があるように、自分にしか出来ない事があるはずだ。

 そう、いつも前向きにやってきた。今だってなまえへの複雑な気持ちで考が曇っているだけで、本当なら自分なりの解決策を見つけられるはずなんだ。
「(なまえにあって私にないもの、そして……なまえになくて、私にあるもの!)」
 遊戯と共に並んで戦う事が出来なかったとしても、声を掛けて、応援をして、仲間という繋がりで遊戯をずっと支えて来た。出来ることなら、今こそ必死に戦っている遊戯へこの声を伝えたい。

「(せめて……私たちの心を分けてあげれたら……!)」

 ***

 表の人格の遊戯を心の奥に抱き込んで、闇の人格の遊戯は立ち上がった。
「ペガサス……オレはお前を、絶対に許さねぇ!!!」

 闘志に燃える赤い瞳が、黄金のウジャド眼に映っていた。その闇に窪んだ、真空の瞳孔の奥から、ペガサスは既に自分の片割れの人格を失った遊戯の深淵を覗き込もうとしている。

「フン……しかし遊戯ボーイ、もう1つのマインドが消えたいま、私のミレニアム・アイに対抗できる唯一の手段である“マインド・シャッフル”は封じられました……。それでもデュエルを続けるつもりですか?」

「無論だ、この心が砕かれるまでは───ゲームオーバーはないぜ!」

 デュエル再開を宣言するペガサスに、遊戯はカードをドローした。だが遊戯は既に、手札を見透かしているであろうペガサスの視線に気付いている。
「(オレの手札は、すべてペガサスに読まれている……。唯一知らないのは、もう1人のオレが場に残した伏せカード。…このカードに賭けるしかない!!!)」

 遊戯が次に出すのは、ドローフェイズで引いた“砦を守る翼竜”だろうとペガサスは見ていた。やはり遊戯はその通りに“砦を守る翼竜”を守備表示で召喚するが、ペガサスのターンで囚われたままのブラック・マジシャンの攻撃力ですぐに破壊される。
 綱渡りのようなデュエルに決着をつけるべく、ペガサスはやっと手札から新たなモンスターを出した。

「さらに───“タイム・ボマー”のカード!」

 “タイム・ボマー”(攻/200 守/2000)

「タイム・ボマー?!時限爆弾モンスターか!」
「イエ〜ス!タイム・ボマーは攻撃不可能な爆弾モンスター。2ターン後に私の場のモンスターを全て破壊するという特殊能力を持っていマ〜ス。……つまり、2ターン後にサクリファイスはタイム・ボマーに破壊されマ〜ス。

 遊戯ボーイ!ユーのモンスター…ブラック・マジシャンごとね!!!」

「(サクリファイスの攻撃力はゼロだ…!破壊されてもペガサスのライフは削られない!…だがサクリファイスに囚われたブラック・マジシャンが破壊されたら、その攻撃力分のポイント全てが…オレのライフを直撃する!

 この生け贄コンボを許したら、オレの負けだ!!!)」

 遊戯に揺さぶりをかけるように、ペガサスは心の声にわざと反応して見せる。
「フフフ……止められますか?ユーを破滅に導く“生け贄コンボ”を……」

 遊戯は冷静に手札を見るが、その中にどうしても解決の糸口は見えない。
 それも全て、ペガサスには読まれている。

「(カードを引くしかない……!)」

 だが、引いたところでペガサスはまたそのカードを見通してしまう。たった1人で闘い、そして勝たなくてはならないこの状況で、遊戯は必死に思考を巡らせた。

「(私にマインド・スキャンがある限り───ユーはどうする事もできまセ〜ン!ユーの負け……ゲームオーバーデ〜ス!!!)」


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