「おまたせ」

 おずおずと掛けられた声に振り返ると、すっかりよそ行き姿にされたなまえがそこに立っていた。海馬は思わず息を飲むが、それを気取られるのもシャクに触るので鼻で笑って誤魔化す。

「高かったんだけど。」

 見定めるような目から一転、なまえがカード明細の紙切れをグシャリと握り潰すのを海馬が渋い顔で見つめる。
「……全てオレの支払いになっていた筈だが。」
「ええ。だからドレス以外は自分で買ったわ。」
 なまえは初めて足を乗せるハイヒールをものともせず履きこなし、ツカツカと軽快な音を立てて海馬を横切る。海馬に及ばずともこの女にも自由に使える貯金くらいあったと思い出させると同時に、大人しく飼い慣らされるようなタマではないと再確認させられて海馬はフと笑みが溢れた。

「その悪趣味なものはいつまでぶら下げておくつもりだ。」

 しかしなまえの後ろ姿を見て海馬も一気に興が醒める。せっかくの装いに不釣り合いな千年秤が、腰のベルトにデッキケースとセットで差してあったのだ。
「そんなこと言われたって……」
 身から離すわけにもいかないが、海馬の知ったことではない。
 困って口を噤むなまえに海馬はため息を漏らすと、諦めたように彼女を横切って車のドアを開けてやった。

「まあいい。乗れ。」

***

 「フフフ…… ルールすら知らないゲームを受けるとは、遊戯君! デュエリストとしての君は今日でおしまいさ!」
 復讐の場に獲物を引き摺り込むことに成功し、御伽は既に歓喜すら味わっていた。逸る気持ちを押さえ込み、己のフィールドの用意を始める。

「DDMリング、セットアップ!」

 御伽の合図と共にデュエルリングが機械音を上げ様変わりしていく。フィールドはマス目状に表示を変え、デュエルボードも床に収納されると別のリングが出現した。
「これは……!」

「デュエルモンスターズのバーチャルリングをDDM用に改造させておいたんだ。」
 初めて目にするフィールドに遊戯が目を凝らす。説明もほどほどに御伽は「さぁ始めようか」とさっさと進めようとした。リングに上がると、遊戯の前には色々な色と柄を持ったダイスが並んでいる。

「このゲームに使用するダイスだよ。プレイヤーは最初に15個のダイスをその中から選ぶのさ。僕のダイスプールは既に決まってる。キミには今から好きなダイスを選ばせてあげるよ。」

「(ダイスの色や表面の紋章はさまざまだ…… いったいどのダイスを選べば……)」
 漠然としたイメージすら浮かばないゲームを前に、選ぶもなにもルールすら知らない遊戯は戸惑いを見せる。だが御伽は敢えて何も言わず、ただ早く進めさせろと催促するだけだった。
「どうした? おじけづいたのかい?」
「フン、決めたよ!」
 遊戯は仕方なく勘だけで動いた。ここは流れと自分の運に賭けるしかない。15個のダイスプールを選び、御伽に見せる。

「フフ……選んだダイスを全てシューターの中に入れる。」
 御伽の見様見真似になるが、ダイスを指定された通りシューターに入れる。機械音とダイスの転がる音のあと、3つのダイスがはじき出された。

「ダイスが手元に戻ってきただろ? 公平にシャッフルされているはずだ。このゲームはダイスの並びも勝敗を分かつ重要なポイントだからね。」

「(DDM…… いったいどんなゲームが始まるんだ)」
 
***

 無言の車内。過ぎていく街並みを眺めるだけで、首を反対に向けて海馬を見ようとは思わない。
 海馬も足を組んで俯くだけで、特に何か話しをするわけでもなかった。

 そこにマナーモードにしていた携帯が震え、響くバイブ音にやっと海馬と目が合う。
「出ても構わんぞ」
「そう? 悪いわね……」
 電池が切れる寸前の携帯を開くと、《Home》の文字が明滅していた。時間は18時を過ぎている。なまえはため息をついてAnswerを押した。

「もしもし、……えぇ。…… 大丈夫よ、今夜は遅くなるわ。」
 なまえが相槌を打つ合間合間に、電話の向こうの女性の声が僅かに漏れ聞こえる。海馬も車内の電子時計を見て、世間で言う“門限”かと納得した。
「───えっ、あ……食事?」
 なまえが海馬に顔を向ける。ぱちっと目が合った瞬間海馬も動きを止めてしまったが、すぐに平静を装って首を横に振った。
「……いらないわ、食べて帰る。……えぇ、今日はもう上がっていいわ。ご苦労さま」

 ハァ───、と大きく息を吐いて携帯を畳む。ちょうど電池切れの音が鳴り、そのまま電源が切れた。

 無用のものとなった携帯を小さなハンドバッグに戻す。さっきのお店で店員が見繕ったものだが、シルク張りにパールビーズの刺繍は悪くない。別段入れるものもなく、強いて言うなれば携帯とクレジットカードだけ。手のひらくらいのサイズだが今のなまえには充分だった。

「家政婦か」
「……えぇ」
 携帯の画面の《Home自宅》の文字が瞼に張り付いている。家から電話をしてくる人が家族とは限らない。それは海馬もよく知っていたし、経験していた。

「住み込みか?」
「いえ、……高校に入ってからは皆んなシフト制よ。もう慣れたわ」
 夜は女子高生1人で無防備です。そう言ってるも同然だが、言う相手が海馬なら問題はない。その考えは海馬にも伝わっているようで、少し顔を顰められたがすぐに鼻で笑われた。

「オレ達と一緒に住めばいい」

 車が赤信号で止まり、ブレーキの勢いで体が少し浮く。
 それからは時間が止まったように視界の何もかもが少しも動かなかった。


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