「アヴァン・アミューズとして金柑のレバーペースト詰めをご用意させて頂きました。ぜひ皮ごとお召し上がり下さい。……お飲み物はノンアルコールのスパークリングなど如何でしょうか」
「任せる」
「……」
「かしこまりました」

 海馬となまえ以外に客が誰もいないフロアを初老のギャルソンが颯爽と歩いていく。今日のテーブルの専属なのだろう。シニアソムリエのバッヂが襟に光っていた。
 テーブルに通されたあとナプキンを膝に掛ければ、早々に一口アラカルトが出される。大きな円卓に28本のカトラリーが並べられ、給仕が4人ずつ背後に控えるような食事みせものが始まり、なまえは内心思考が止まっていた。
「……」
「…………」
 海馬は相変わらず顔色も変えないし淡々としている。なまえは諦めてフォークを手に取った。

「お連れ様がドイツ風の食好みがあると伺いましたので、カールユングのスパークリングをご用意させて頂きました。カールユングワインは完成したワインから更にアルコール分を完全除去して造られておりますのでどうぞご心配無く。
 こちらはドイツワインですので辛口と言っても口当たりはかなり甘く、食前酒代わりには最適かと───
 アミューズはカールユングに合わせてシェフがご用意致しました。右からホタテのカルパッチョ・ビーツソース、イクラ添え、生タコのにんじんジュレ仕立てでございます。」

「……」
「…………」


「冷製オードブルでございます。サーモンのテリーヌには有機野菜の自家製ピクルスを添えさせて頂きました───」

「……」
「…………」

「オードブルでございます。左手奥が鴨肉のウフ・ア・ラ・ネージュ、チコリに乗せて。右手前が蝦夷鮑のバルサミコ風味でございます。」

「……」
「…………」


「当店特製のコンソメスープでございます。このあとメインにお付けするのはパンでよろしかったでしょうか。」

「……」
「…………」

「……海馬様?」
「任せる」
「パンでいいわ」

 これガチのフルコースじゃん。もちろんカトラリーの本数から察してはいたけれど。
 なまえはノンアルとは言えスパークリングワインがどんどん進んでしまった。別に高校生にして酒飲みとかってわけじゃなくて、海馬の所作が一端一端綺麗で、焦りから口の中が乾いてしまうからだ。

 父親が亡くなる前にはテーブルマナーの一頻りを身に付けていたが、こんな接待は初めての事だった。それなのに海馬は物怖じひとつせずお皿の上のものを綺麗に片付けてみせる。
「(もしかして試されてる?)」
 一々疑心暗鬼になるのも良くないだろうが、こんなフォーマル以上の格式あるフルコースを出されては海馬が何を考えているのか疑問にだってなる。

 しかし、スープを音もなく、それもスプーンから一滴も溢さないで飲む海馬の涼しい顔を見ているうちに、……古い記憶に残る海馬邸の記憶が僅かに蘇った。

「……ねぇ」
「なんだ」
「私たち、……10年、いえ…11、2年くらい前にもこうして食事しなかった? ほら、私の父と海馬剛三───」
 初めて海馬がスプーンの音を立てた。ピアノで演奏されているカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲だけがしばらく2人の沈黙に横たわる。

「ヤツの名前だけは口にするな。」

「……ッえ、ええ…… 悪かったわ」
 さっきまでの“お行儀”はどこへやら、海馬はそれからのスープの何口かでガチガチ皿底を叩いた。なまえがそのまま閉口して海馬を見ていると、再びスプーンを少し乱暴に置く。

「10年前、オレとモクバはまだ孤児院に居た」
「……」
 面と向かって自分の過去を聞かされたのは初めてだった。海馬は気にするでもなく腕を組んで椅子に背を預ける。背が高いからなのか、それとも“そうしてる”のか、なまえには「それがどうした」とでも言うように踏ん反り返っているように見えた。
「オレはもういい。下げろ」
 海馬の背後に控えていた給仕のひとりが半分ほど残ったスープを下げる。海馬を待たせるわけにもいかず、なまえもスプーンを下皿に“もう結構”と言う形で置き、膝のナプキンの端を引き上げて軽く拭えば背後の給仕も同じようにお皿を下げた。

「お水を頂ける? できればペリエではなくサンペレグリノがいいんだけど」
「かしこまりました」
 海馬は小さく鼻で笑うように息をつく。なんとなくなまえの好みが掴め始めているのに満足している自分が居たのだ。

***

「噂に聞いたゲームの腕前ってやつも大したことないようだね。だが僕と闘ったことを後悔するのはまだまだだよ。DDMのお楽しみはこれからさ」

 御伽は自分のターン全て召喚を成功させていたが、一方の遊戯は一度もモンスター召喚をできていなかった。御伽はさらにこのディメンションダイスで遊戯の陣地を完全に制圧してしまう。
「(あと3マスで攻撃を受けてしまう。もし次のターンで召喚クレストを揃えることができなければ、敵の進行を阻止することは難しい)」

 遊戯にはどうせ手も足も出ないと踏んで、御伽は鼻で笑った。1面ずつしかない召喚クレストで2個のダイスを揃えなくてはいけない。あまりにも低すぎるその確率こそ、遊戯がこのゲームに勝利する確率と同じというわけだ。

 遊戯の手の中にあるのはまたレベル4のクレストが1面にしかないダイス。しかし、ここは揃えるしかないと遊戯はそれを握りしめる。
 表の人格の自分───… 相棒から、デュエルモンスターズを奪うわけにはいかないんだ。

「ダイスロール!」

 転がっていくダイス。ゆっくりと一つずつがクレストを弾き出す。最後のダイスが転がり切ったとき、星マークのクレストがたしかに2つ、遊戯に応えて見せた。

「よし! 召喚クレストが2つ揃った!」
「(なに?! レベル4のダイスで召喚の紋章クレストを揃えただと!)」

「ディメンションダイス! “リトル・ウィザード レベル4”を召喚! さらにストッククレスト発動! 進行して“13人目の埋葬者”に魔法攻撃!」

 遊戯に最も近かったモンスターを撃破し、御伽は予想外の展開に驚きを隠せない。
「(くっ! 召喚と同時に出た魔法クレストで魔法攻撃の権利を得たのか!)」

「御伽! 勝負はこれからだ!」

***

 ポワソンに舌平目のポワレを済ませたあと、トマトのソルベを出された。相変わらず黙ったまま、氷の粒をかき分ける軽快な音だけが響く。
 海馬の養父の名前を出したのに怒っている様子はもう見られないが、なまえはそれからちょっと萎縮して海馬に言葉を掛けられなかった。

「本日のメニューでございますが、メインは海馬様の好物と伺っております、子牛のフィレ肉ステーキにさせて頂きました。焼き方のお好みは」

 ギャルソンの言葉につい、海馬にも好物があるのかと驚いてしまった。……ちょっと失礼か。
「任せる」
 海馬は目も向けずそう言うだけ。初老のギャルソンはなまえの応えが無いので彼女を顔を向け、「お連れ様は?」と促す。
「ブルーで」
「かしこまりました」
 退屈な食事に、そろそろ宿題をやる時間も気になって来ていた。時計は無いが、多分19時は超えている。……海馬もこんなにゆっくりして大丈夫なのだろうか。

「オレがそんなに気になるか。」
 ソルベを溶かす間もなく飲み込む。目が合うだけで寿命が縮まりそうになるのは心臓に良くないし、こんなの何回目だ。
「別に。海馬にも好物があるとは思わなかっただけ」
 その応えが不服だったのか、海馬は少し眉を顰める。
「お前の好物は何だ」
「え……」
 ソルベのスプーンが止まる。好きなたべもの……何度かその言葉を頭の中で反芻してみるが、思い浮かびすぎてどれが一番かとは弾き出すことができない。
「好みはあるけど、いちばんの好物とかは無いわ。気分によって変わるし、マイブームだってあるし……」
「嫌いなものは」
「辛いもの全般とピザの上に乗っているパイナップル」
「それだけ分かれば充分だ」
「今のも私への取り調べだったわけ?」
 呆れたように肩を竦めるなまえを見もしないで、海馬はソルベの皿を下げさせる。なまえも不服そうな顔のまま溶けかかったスプーンのひと掬いを口に運ぶと、皿を下げさせた。

***

 形勢は一時遊戯に流れが向かったものの、御伽はすぐに取り返した。遊戯は2体目のモンスター召喚も成功させたが、御伽のクレストプールの活用によって早々に撃破されてしまったのだ。
 その後も遊戯は召喚失敗が続き、御伽はまたモンスター召喚に成功、溜まった進行クレストで、モンスター達は遊戯のすぐ目の前まで大挙して押し寄せている。

「さぁキミがダイスを振る番だ。それともギブアップするかい?」
「くっ……!」
 現状圧倒的不利な遊戯を御伽は楽しむように追い詰める。そろそろ本当の意味での不利を教えてやろうと、御伽は腕を組んだ。

「ま、ゲームを発明した張本人にいきなり勝つには、奇跡を待つしかないからね。」


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