「時間は大丈夫なの?」

 肉料理とサラダを済ませ、なまえはチーズをピックでつつきながら、アルコール抜きのロゼスパークリングを楽しんでいる。
 一方海馬はなまえほどスパークリングは飲まず、チーズからデザートは要らないとギャルソンに伝えていた。
 フルコースなら、チーズのあとは甘い菓子アントルメ、フルーツ、それからやっとコーヒーと小菓子カフェ・プティ・フール。品数は壮大だけど、1皿1皿の量は2口か3口くらいだったから、そんなにお腹はツラくない。
 とは言え、甘い物は魅力的だけど海馬がパスするならこっちもやめとこうかなという気にもなる。

「今日は完全にスケジュールを空けてある。ゆっくりしていけばいい。……貴様次第だがな。」

 手も足も組んで背もたれに体を預ける海馬の前を、お皿を下げる給仕の腕が通る。なまえもお皿を下げさせると、お水の方のグラスを煽った。
「(海馬が仕事を空けるなんて、珍しいこともあるのね)」
 なんて言葉を水と一緒に飲み込む。

「モクバ君は大丈夫なの?」
「もう寝ている時間だ。」
「そう……」
 もう一口水を飲み、グラスを置く。給仕が水を注ぐのを横目に、膝のナプキンを引き上げて軽く口を拭った。

「なんか」「今度」

「……」
「…………」

 同時に口を開いてしまって、2人して押し黙る。やっと会話が弾み始めたと思ったのに、また一気に気まずくなってしまった。

「なんだ」
「あ……ううん。……なんか、今日はモクバ君からお兄ちゃんを取っちゃって、悪いことしたなーって……言いたかっただけ」
 海馬からの視線に居た堪れなくなって段々と萎縮するなまえを、海馬は小さく鼻で笑う。

「今度はモクバも連れて来てやろう。……ちょうどそう言いかけたところだ」

 「え」となまえが返すより先に、海馬はグラスを取って煽った。無いアルコールの力でも借りるかのような仕草のあと、やっと海馬も口端を上げる。

 そこへなまえの前にはデザートの皿が、海馬にはコーヒーが出された。ギャルソンからのアントルメ・プレートの説明が挟まれて、海馬が僅かに笑ったその真意を、なまえは聞きそびれてしまった。

***

「(遊戯のヤツ、モニターのマニュアルだけで恐ろしいスピードでこのゲームを理解し始めている。)」
 御伽が召喚した“ミノタウルス”の攻撃を、今度はルールを把握した遊戯が守備で受け流し、逆に特殊攻撃で反撃・撃破してみせた。

「御伽! やっとお前と同じスタートラインに立てたようだな!」
 遊戯の物言いに御伽は高笑いを返す。それには遊戯だけでなく外野の城之内や杏子と本田までもが目を見張る。

「ミノタウルスを倒したのは見事だったよ。でもそれぐらいで真にダンジョン・ダイス・モンスターズを理解したと思ったら大間違いだよ! このゲームは、モンスターの攻防だけで決まるものじゃないのさ! ……まだ気付かないのかい? 自分のフィールドをよく見てみなよ。」

「……しまった!」

 モンスターを召喚をするためのダイスをフィールド上に置く際、自陣のダンジョンに繋がるようにディメンションしなければならない。だがさっきの御伽のディメンションにより、遊戯はモンスターを召喚するための経路が閉ざされてしまったのだ。
 御伽を倒すためには、相手モンスターを撃破して敵陣のダンジョンを進むしかない。

「僕のターン! ……フフフ、遊戯君。これは通常レア・ブラック。このブラックダイスがディメンションすると、どうなるか見てみるがいい!」

 御伽の引いた黒いダイス。その召喚クレストを揃えた御伽は“ワープホール レベル3”を召喚した。
「あれは……?!」
「フフフ…… これがワープのアイテムさ。レア・ブラックには特殊なアイテムが隠されていて、これもその一つ。だがこのアイテムの能力が発揮されるのは、場に2つのレア・ブラックが置かれたとき。一つは入り口、一つは出口となって瞬時にワープすることができるのさ。」

「(そうか! オレの陣地に御伽のダイスをディメンションできる場所が残されているのは、ワープホールの出口を置こうとしているからか!)」

***

「またのお越しをお待ちしております」

 ギャルソンが出口まで案内するところで、テーブルを専属した給仕の人たちが粛々と頭を下げるが海馬は見向きもしない。そのくせなまえが来ないことにはすぐ振り向いた。

「おい」
「な、なによ……」
 ちゃんと後ろに着いて歩いてるじゃない。そう言わずとも、海馬が何をしてほしいのかは明白だった。
 食べたあとの心臓には悪いから嫌なんだけど、とは言えない。
 カップルの腕組みじゃなくて、これはお世辞とかマナー的なエスコートだから。そう自分に言い聞かせて、なまえは震える手を差し向けられた海馬の腕に絡めた。

「!、……」
 出口まで来たところでガラス張りの壁面に映る自分と海馬が、一瞬だけ目に入った。
 スーツ姿の男と腕を組むドレスアップした女─── とても学生には見えない。途端に夢の中に居るような気がして、ぼんやりとガラスを見つめる。

「それでは海馬様、またお待ちしております」
「あぁ」

 ハッとして足元の段差に集中する。ギャルソンに軽く会釈して階段を降り始めると、ホテルのロビーに続く方のエントランスからこちらにカメラを向けたり指を刺して話す人たちが視界に入った。
 自意識過剰かもしれないと知らん顔をしたが、海馬が鬱陶しそうに舌打ちをするので多分海馬目当ての野次馬なんだろうな、くらいに思う。

 ふと、さっきガラスに映った自分の姿が脳裏に過った。

「やっぱりエスコートはもういいわ。何か悪いし……」
「気にするな、さっさと行くぞ」
「でも付き合ってるわけでもないのに、迷惑になるわ」

 海馬の足が止まる。それにつられてなまえも階段の途中で立ち止まらざるをえない。突然の事に見上げれば、デュエルで負けた時より酷い顔をした海馬がいた。

「迷惑だと?」

「え、」
 「あ」と口に手をやった。その仕草が余計に海馬の眉間に皺を寄せさせる。
 自分がさっき言った言葉がよく分からなかった。でも確かに言えることは、「海馬の迷惑になるんじゃないの」というつもりで言ったということ。それを海馬は、「私が迷惑する」みたいに捉えたのだろう。
 有難いことに階段の途中でハイヒールの女を突き放すほど海馬も冷徹ではなかった。それでもあからさまに機嫌が悪くなった足取りで階段をズカズカと降りて行く。

 手を離そうと思えばすぐに離せたのかもしれない。だけど、たとえ引き摺られようとなまえに腕を抜くことはできなかった。

「早とちりしないで。迷惑って、海馬にとってって言うつもりで……」
「下らん」
「は?」
 海馬は階段を降りきったところで再び立ち止まった。一息遅れてなまえも階段を降りきると、海馬の横顔を見上げる。

 なまえの手から腕を抜きながらその手を握り、ゆっくりと向き合う。身長差からうんと顔を見上げて海馬を見るが、海馬は「見るな」とでも言うように反対の手でなまえの顔を少し下に向けさせた。

「なにを───

 ちゅ、と短いリップ音と柔らかい感触がこめかみに落とされる。

 屈められた海馬の胸元だけが視界に広がっていた。だがこめかみの辺りから離される海馬の口元と額に当たる吐息は鮮明になまえに降り掛かる。

 柔らかなカーペットにハンドバッグが音もなく転がった。


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