「杏子? 杏子!」

 携帯越しに切れた回線音に呼びかける中で、遊戯はマリクの言葉が木霊する。
 『貴様らの大切なものを引き込めば、神のカードは簡単に取り返せる。グールズのレアハンターは、貴様らと、貴様らの大切な仲間をずっと監視していたのさ。……いつでも利用できるようにな』

「(まさか─── グールズ共が、もう……?!)」
 不穏な空気を感じながら、遊戯は通話終了の画面を見つめる。グッと唇を噤み、携帯を海馬に返した。

「杏子のケータイに繋がらない。もしかして、既にグールズの奴らに……」
「フン、慌てるな遊戯。本部へ移動場所を探すように連絡しておいた。じきに場所はわかる」
「だがもし城之内君達に何かあったとするなら、なまえももしかしたら……」
「……」
 ほんの僅かだが海馬のまぶたが動いた。その睫毛を撫でた一抹の不安を誤魔化すようにまた鼻で笑うと、遊戯の手から携帯を毟り取るかのように荒々しく取り上げる。

「マリクはオレの弱点になまえを上げたが……思い違いも甚だしい。オレにとってあの女は、貴様と同じ宿敵に過ぎん」
「なんだと」
「オレが優先すべきは、貴様を倒して屈辱を晴らし、そして神のカードをこの手に奪い取る事だ。今すぐにでもな」
「……オレは、今は城之内君となまえ達の事しか考えられない。」
「……フン」

 手にしていた携帯を、海馬はそのまま親指で操作し始める。ほんの2、3回プッシュしただけでコール音が遊戯に漏れ聞こえた。
「……」

「……」

「……」

「海馬」
「なまえがオレの電話を無視するのは今に始まったことではない」
 忌々しそうに切ると、海馬は今度こそ携帯を懐に仕舞い込んだ。思考の端に不安がないわけではない。だがなまえが自分の弱点になり得ると指摘された事を、海馬はどうしても認めたくなかった。
 ……なまえが自分をどう思っているかなど知っている。ならば自分の答えは?

「くだらん」

「?」
 思考を掻き消す言葉が口をつく。顔を顰めて見上げてくる遊戯の視線を振り払い、海馬は舌打ちをした。

***

「参ったわね」

 なまえは積み上げられた段ボール箱のひとつを机代わりに、手持ちのものを広げて確認していた。
 とりあえずデッキとデュエルディスクは無事。パズルカードもある。問題はそれ以外。
「(ケータイが無い。当たり前か…… でも、)」
 1番の問題は、千年秤が無いこと。腕を組んで唸ってみたところで、「困っています」というアピールを見てくれる人物もいない。

 ぐ、と首を伸ばして真上を見上げる。抜け出せそうなのは、あの3階分はありそうな高いところにある窓だけ。背後にある鉄の扉は鍵と鎹まで打たれていて簡単に開きそうにはない。

「テンペル」

 胸に手を当てて呼び掛ける。あそこまで持ち上げてもらうしか無いと考えたからだ。しばらく待つが、少しも誰も答えない胸に「え」と声を漏らす。
 ブラック・マジシャンは随分前から応えてくれない。それでも魔導士達は必ず応えてくれていた。……千年秤を与えられる、もっと前から。

「痛ッ……!!!」
 答えの代わりに返されたのは今までに無いほどの激痛だった。思いがけないことに大きく息を吸い、胸の真ん中を抑えて座り込むが、耐え切れず尻もついて仰向けに倒れた。
 天井近くの窓から反射した太陽の鋭い光がなまえの瞳を灼く。

 白く、そして紫とも青ともつかない色が視界を塗りつぶしたとき、青い服の男が千年ロッドを手に自分に跨っているのを目にした。上がる血飛沫に心臓が跳ねる。
 だがそれは自分の赤い髪。ぐらぐら揺らぐ目は、ただの廃倉庫の内装と眩しい窓を見つめている。

「───は、」
 忘れていた呼吸を思い出したように再開させ、なまえはゆっくりと起き上がった。

「(いまの、……は、)」

 あの青い服の男は一度見たことがある。……そう、デュエリストキングダムの夜、ブラック・マジシャンが隠した光景。2つ並べられた石棺、誰かを抱いて膝をついていた男。
 あの記憶の石盤に刻まれていた、千年ロッドを持った神官。

 ゾ……と背筋が寒くなった。冷や汗が額に噴き出す。とろりと胸の谷間を流れた汗が、まるで傷口から流れる血のように熱く震えた。

***

「来たよ」
「よし、奴らを特別なデュエル場に案内してやりな」
「ひひひ、任せろ」

 道の真ん中を歩く海馬と遊戯を、2人のレアハンターが見下ろしていた。道を囲むように並ぶビルの屋上、不気味に笑う小男の方のレアハンターは、見た目からは想像できないほどのパルクールのような身軽な動きでビルを飛び降りていく。
 カフェーやブティックの突き出しテントやフラッグポールを掴み飛んで降りてくる男は流石に目立つ。遊戯と海馬は足を止めてこちらに向かってくるその男に警戒を見せた。

「グールズか?!」

 海馬に応えるより先に、フードで顔を隠した男が2人の前に降り立つ。そして幾分かに分けて堪え切れない笑い声を上げたあと、迫り来るヘリのホバリング音を合図に小男が腕を振り上げた。

「アレを見な!」

「あれは……!」
 街の真ん中を低空で飛び去るヘリ、その風圧に遊戯と海馬が顔を覆うが、海馬はすぐにヘリから吊り下げられたモクバを見つけた。

「モクバ───!!!」

 モクバも必死に何かを叫んでいるが、その声はヘリのプロペラ音に掻き消されて、互いに何を言っているのか聞き取ることができない。
 ヘリはそのまま海馬と遊戯、そしてレアハンターの上空を、モクバを見せびらかすためだけに飛び去った。

「おのれグールズ! モクバに傷ひとつつけてみろ、決してタダでは済まさんぞ!!!」

「おほ、ほほほ、おぉ怖! でも、俺たちに手を出したら……可愛い弟は……?」
「おのれ……!」
 ギリっと唇を噛む海馬に、小男のレアハンターが今度は少し離れた区画に聳える高層ビルを指さした。

「俺たちはあの高層ビルの屋上で待っている。もし無視したらどうなるかわかるな?」
「くっ……!」
「来るのはお前もだぞ遊戯」
 突然指名された遊戯の方に力が入る。

「さもなくばお前の仲間達を即刻処分すっかんな」

「やはりみんなを……!」
 遊戯の脳裏に城之内達がぎった。海馬も、モクバだけでなくなまえの存在が引っ掛かる。

「グフフ、じゃ、待ってるかんな。早く来いよ? 死のデュエル場にな!」

 高笑いを上げて走り去るレアハンターに海馬が「待て!」と叫ぶが間に合わなかった。グッと堪え、そのまま遊戯に振り返る。
「遊戯! 行くしかあるまい。全力で奴らを叩き潰してくれる!」
「海馬……」

 モクバが捕まっているということは…… 遊戯の目は非難の色が差していた。海馬もそれを承知の上で、さっさと背を向けて指定されたビルに向かった。



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