紫苑はこの日、教師に頼まれてクラス全員分のノートを職員室に届けに向かっていた。普段はこんな面倒事を引き受け入れる質ではなのだが、生憎この日、彼女は日直だったので断るに断れなかったのだ。心の中で文句を言いながらも紫苑は二つ返事で了承したのであった。
あと少しで職員室というところで紫苑は不意に気づく。両手の塞がった状態でどうやって職員室のドアを開けようか。災難なことに職員室の近くにはノートを置けるような机など設置されていない。かといって地面にクラスメイトのノートを置くほど紫苑は冷徹な女でもなかった。
「お手伝いしましょうか?」
その時、タイミング良く眼鏡の男子生徒が話しかけてきた。普段なら結構なのだが本当に困っているので「ほな、職員室のドア開けてくれへん」と頼んだ。
男子生徒は虚を突かれたように口をへの字にしたが、すぐに笑顔に戻ってドアを開けた。多分この生徒はきっと、ノートを持つことを手伝いたかったのだろう。
「ありがとう」
少し素っ気なかっただろうか、紫苑は気になったが立ち止ることなく部屋に入った。
(あれ…)用事を済ませて職員室を出ると、どういうわけかドアを開けてくれた男子生徒がまだそこに居た。教師に用事でもあるのかとサッと横に移動したが男子生徒が動く気配は無かった。それどころか彼は紫苑を見つめ続ける。
「…あの」
「?」
「もしかして土御門さんですか?」
予想外に名前を当ててきて、紫苑は怪訝な目を彼に向ける。すると彼は慌てたように首を横に振った。
「あ、えっと別にこっそり貴女を見ていたとかではなくて、仁王くんがですね…」
「仁王?」
またあいつか、とげんなりする。
「ていうことはなんや、アンタもテニス部なんか」
「そうです。自己紹介が遅れました、私は柳生比呂士です」
「…ご丁寧にどうも。土御門紫苑です」
正直もうテニス部とは関わりたくない。その一心の所為で紫苑の足先は既に教室に向いている。だが残念ながら柳生はそんな彼女の足先に気づいていなかった。
「ええ。随分仁王くんがお世話になったようで…ありがとうございます」
「いやエエよそんなん。ほなうちはまだ用事あるから、」
「ああそうだ土御門さん、このあと練習試合があるので是非テニスコートに寄ってください」
「は?いやうちは、」
「仁王くんや切原くんも出るんです。応援してあげてください」
「だからうち、」
「さあ、行きましょう!!」
(何なんやこいつ……?!)
露骨に嫌そうな顔をしても柳生が退くことは無かった。それどころかグイグイと紫苑を引っ張ってテニスコートへと急ぐ。
その日は清々しいほどに晴天だったが、柳生との出会いにより紫苑の心境は土砂降りにも似たものであった。