まさか真神がやられたのか――紫苑は瞠目する。目を血走らせ、腕を大きく広げてこちらに迫ってきている姑獲鳥の白い身体にはところどころ噛み痕がある。どうやら真神は止めきれなかったようだ。胸ポケットにしまってあった形代を取り出して確認してみれば、鮮やかな一陣の切れ目が六芒星を分断していた。
「つ、土御門さん…!どないしたら…」
「落ち着け阿呆」
他の式で対処するしかない。真神がやられたのは想定外だがこちらの手札はまだいる。
己の不調子に違和感を覚えつつ、紫苑は新たに札を構える。
「返セ!返せェェエえええェえぇぇ!!!」
鬼気迫る姑獲鳥に白石は肩を震わせた。
「(…!)臨兵闘者 皆陣列前行」
あまりの素早さに紫苑は咄嗟に九字を切って唱えた。姑獲鳥は苦悶し、動きが鈍くなる。
「わ、渡さへん…!もうお前なんかに渡さへん!」
白石が遠山を守るように腕に抱く。すると「ん、…」と遠山が身動ぎをした。意識が戻ったらしい彼は状況を全く理解できておらず、困惑して辺りを見回した。そこでやっと己が白石に抱き留められていたことに気づく。
「え…?白石なにしてんの?」
「金ちゃん…!!」
特におかしい点もない彼に、白石は心底安堵して溜息をついた。
「ぼ、ボウや…ワタシの……坊や…」
姑獲鳥が遠山に手を伸ばす。九字の力により、その腕は頼りなく震えていた。「帰っておいで…ネ……イイコだから…ワタシの坊や…」見た目にそぐわないしゃがれた声に、紫苑は化けの皮が剥がれているのを悟った。
「え?あッ……あん時のねえちゃん…」
しかし遠山には、いまだ奴は美しい女として見えているようだ。困惑する遠山の肩を白石は抱くが、遠山はそれに反応しなかった。
「寂しイよね?ね、わたしと一緒にイきマしょう?」
「金ちゃんッ……聞いたらあかん!!」
紫苑は遠山の言動を静観する。慌てる白石を無理に黙らせ、見守らせた。できることならさっさと姑獲鳥にとどめを刺したいと思う。しかし遠山の意識がこちらに向かっていないのなら、それはあまり意味がないことだった。
「遠山」
どうなんだという意味を込めて、名を呼ぶ。遠山は見慣れぬ紫苑にキョトンとしたがあまり気に留めなかった。今は紫苑よりも姑獲鳥が気になるようだ。
「で、でもわい……テニスしたいし…あっそうや、ストテニするんやった」
段々意識がはっきりしてきた遠山は弾かれたように起きた。ラケットどこやったっけ?と呑気に辺りを見回す彼に、もう大丈夫だろうと紫苑は悟る。
「姑獲鳥」
「ッ!!」
「もう諦め。遠山はアンタのもんちゃうわ」
紫苑の発言に、姑獲鳥は体をブルブルと震わせる。次の瞬間、あの美しい女の姿はどこに行ったのか、艶めかしい白い背中を突き破って巨大な鳥が出現した。あまりの大きさに白石と遠山は呆気に取られている。まあ無理もないかと冷静に思ってから紫苑は印を結ぶ。
「朱雀・玄武・白虎・勾陳・帝久・文王・三台・玉女・青龍」
途端、姑獲鳥は苦しみだしてのたうち回る。もう大丈夫だろうと紫苑は式を取り出す。
「終いや、騰蛇」
揺らめく炎に、紫苑は何故か幸村を思い出した。