危ない。そう思った時には、既に化け物は迫っていた。
「土御門さん!!」
「紫苑!」
咄嗟の判断で彼女を腕の中に閉じ込める。仁王はただ、紫苑を守らなければいけないという思いしかなかった。彼女のほうが強いだとか、そんなものは関係ない。
――しかし。
「……っ…?」
衝撃が来ない。おそるおそる目を開けて振り返ってみれば、粉塵が舞っていた。その中に、一人の人間の影がある。最初は丸井かと思ったが華奢な体躯にそれは違うと否定される。
「ふぃ〜、危なかったですねェ、お嬢」
景色が晴れる。そこには、どういうわけか紫苑のクラスメイトである女子生徒がいた。しかも、いつもとは違う奇妙な言葉遣いを使っている。誰が見てもおかしいことになっているのは明白だった。どういうことだと紫苑に視線を投げかけるが彼女も当惑しているようだった。
「仁王、丸井、無事か」
「柳!?」「参謀!」
ひょいと女子生徒の背後から現れたのは、先程仁王を旧校舎へ遣わせた柳であった。
「どういうことなんや…」
ぽそりと呟いた紫苑の疑問に、女子生徒は少し面食らったような顔をした。
「えっもしかしてお嬢、まだあっしのこと分からないんですかィ?」
「……?」
「仕方ないですねェ」
やれやれとばかりに肩を竦めると、女子生徒は一瞬にしてその相貌を変えた。小学生くらいの身長の幼子が上等な着物に身を包んでいる。両頬には紅が一線、塗られていた。「えっ…ええ!?」丸井は驚きのあまり指を差して言葉にならぬ言葉を紡ぎ、柳は興味深そうにまじまじと彼女あるいは彼を観察していた。
「はっ花火之はなびの!?」
「何じゃそれ」
「ばあちゃんの…式神や…」
彼女は慄いた様子でじっと花火之という式神を見つめている。すると花火之は「あのー…」と少し気まずそうに言った。
「そこの銀髪のあんた、いつまでお嬢を抱きしめてるつもりで?」
「「!!!」」
指摘されて初めて気づいた。ぶわっと熱くなる自分の体を慌てて離せば、紫苑は何とも言えない顔で仁王を睨んだ。
「ところで、件の騒動は解決したのか?」
空気を読んであるのかそうでないのか分からないタイミングで柳が問いかけてくる。
「こちらはこの騒動を仕掛けた女子生徒と接触したぞ」
「マジかよい!」
「本人は深く反省しているようだった。呪符を剥がさなければいけないと言っていたが…」
「そりゃきっとこれのことですねェ」
べり、と音を立てて剥がれた呪符を破く花火之。これで解決しやした、と述べて笑顔を見せた。
「しっかしお嬢、あっしのこと全然気づいてませんでしたねェ。まだまだ、ですね」
からかうように花火之が呟けば、紫苑はひどく嫌そうに顔を歪めた。



それからというもの、その花火之が成りすましていた女子生徒の存在は忽然と消えた。人々の記憶だけでなく記録からも消え去ったのだ。彼あるいは彼女と接触した柳や丸井は一週間ほどは花火之のことを覚えていたものの、それ以降は他の生徒たち同様初めからいなかったかのようにすっかり忘れ去っていた。二人の記憶ではあの時仁王たちが無事だったのは紫苑の式神が窮地を救ったことになっているらしい。
「何で俺はハナビノとかいう式神のことを覚えとるんじゃ?」
「…うちが思ってるよりアンタは力が強いゆうことやろな」
段々自分が人間離れしている気がしてならない。複雑な気分である。
「そういやおまん、聞いたか」
「何がや」
「おまんを旧校舎に呼びつけた女子生徒、入院したらしい」
旧校舎での一件の二日後、その女子生徒は突如体調を崩して緊急入院したそうだ。表向きは病気ということになっているが、当事者の仁王は理由が単純な病気ではないと察していた。
「人を呪わば穴二つ、って言うしな」
「そうじゃな」
「…てかうち何でアンタと一緒におんねんや」
「それは別にええじゃろ。友達やし」
あっけらかんとして言えば紫苑は眉根に皺を作った。また怒られるのも面倒なので「ところで」と仁王は話をすり替える。
「花火之は何で土御門さんのクラスメイトに成りすましとったんじゃ?」
「ああ……ばあちゃんの差し金らしい」
紫苑は忌々しげに言って紙パックジュースに刺さったストローの口を噛んだ。
曰く、花火之は自身の主である紫苑の祖母・芙蓉ふように頼まれて紫苑をこっそり見守っていたらしい。クラスメイトに成りすますことがこっそり見守ることと同義なのか甚だ疑問だが、とにかく今まで自身が式神だとバレぬよう努めていたそうだ。
「ばあちゃんにどやされたわ。式神やと見破れへんなんて半人前やってな」
言葉の節々から負の感情が伝わってくる。余程見破れなかったことが悔しかったようだ。
「主様の言う通りですぜ、お嬢」
「「!?」」
唐突に声が聞こえたかと思えば、いつの間にいたのか花火之がなんてことない顔で隣りにいた。
「精進あるのみです」
「うるさいなぁ…つか何しに来てん」
「銀髪さんに用があったんでさァ」
まさか自分に用があるとは。
「何じゃ」
「銀髪さん、記憶が消えてないですよね。それを消しに来ました」
思わぬ用事に息を呑む。紫苑もそんなことをする為にわざわざやって来たのかと目を見開いていた。
「見たところ、銀髪さん相当力が強いですねィ。どうです?記憶消すだけじゃなくて力を抑え込む道具もお貸ししやしょうか?」
「ほー、そりゃ確かにありがたいのう」
「今までの妖に関することなら全て抹消だってできやす」
その言葉に、思考が一瞬止まる。「それは…どういうことかの」仁王の硬い声を訝しながら花火之は答えた。
「だから、妖に纏わる出来事を抹消するんでさァ」
「纏わる出来事って…具体的には?」
全て・・です」
恐ろしいほどの無表情で、花火之は続ける。
全て・・の出来事を抹消できます」
「――折角の話じゃが、遠慮しとく」
そう言えば式神は至極不思議そうに首を傾げた。「おまんの説明じゃと今までの土御門さんとの思い出も消えそうじゃからの」質問される前にそう答えたが、式神の表情は変わらない。
「銀髪さん、お嬢とは何の関係もない・・・・・・・じゃないですか」
――その時の。
――その時の紫苑の顔を、仁王は生涯忘れられそうになかった。
「生憎じゃが」
だからだろうか。言葉尻が、強くなる。
「俺と土御門さんは友達じゃ」
式神に仁王の気持ちが届いたのかは分からない。だけど、それ以上何か進言してくることはなかった。
そしてその日は少しだけ、紫苑の雰囲気に棘がなかったように感じた。