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 男は合流地点ランデブーポイントの確認をするとスマホを仕舞い歩き出した。
 男が歩き出して数分、正面からはコツコツとパンプスの音を鳴らしながら一人の女が早足で向かってきている。電話をしているせいか、男の存在に気付く様子はない。
――トン
 都内の郊外であるそこは、歩道がそこまで広くない。電話に気を取られているらしい女は、男を避ける事もままならず、2人の肩と肩がすれ違い様に触れた。女はスマホを耳から外し男に一言謝罪を述べると、再びスマホを耳に当てると早足でその場を去った。


 都内特有の喧騒を抜けた先にひっそりと建つ雑居ビルに柊は入る。
 スーツの右ポケットから鍵を取り出し一室の扉を開けると、しばらく使用されていない事を証明しているように埃が舞った。遮光カーテンで覆われた薄暗い部屋の真ん中、ひっそりと置かれたパソコンに歩み寄ると、鍵と一緒に仕舞われていたUSBを取り出し差し込んだ。

 時間にして数分、中身を確認し終え役目を果たしたUSBを引き抜くとパソコンを閉じる。胸元から携帯を取り出し一通のメールを送信する。携帯を胸元に戻し、今度は左ポケットに入っているスマホを取り出すと、着信履歴を呼び起こし上から2つ目をタップした。

『吉岡』
「これでいこう」
『パートナーはどうします?』
「それはこっちで手配する」
『了解』


 既にブラックアウトしているスマホの画面をしばし眺めたあと、吉岡は小さく息を吐いて薄い精密機器をポケットに仕舞いこむ。細心の注意を払っていても何があるか分からない、そう言って最低限の会話で終わる上司との通話は、想像よりも気を張る。
 吉岡はギシッと椅子を軋ませながら、つい1時間程前に“接触”し、先程まで通話していた上司を思い浮かべた。
 数少ない女性のゼロ。その任務の特殊さから己の作業班にすらその顔を知られていない彼女を、その背中を追いかけて4年が経っただろうか、階級こそ並びはしたが一向に追いつく気配はない。

「吉岡さん、ご確認お願いします」
「はいよ」

≪警備企画課外秘≫と書かれた資料を1枚捲る。外事課が長年追っていたこの案件に方をつける、その任に白羽の矢が立ったのが彼女ゼロだった。
表向きは何てことない外資系の企業。ここ数年その規模を順調に拡大してきているが、その裏では薬物の売買や拳銃密輸などの黒い噂が絶えない。しかし上層部に頭の切れる人間がいるらしく、なかなかその足が掴めずにいた事は警備局内では周知の事実だった。上からの圧力がかかり、もういっそ引っ張って・・・・しまおうか、そんな意見が出始めたときだった、彼女ゼロが今回の取引の情報を持ってきたのは。
 資料を読みながら吉岡は、いつだか上司が言った“白羽の矢が立つ”の語源についての俗説を思い出した。今回はまさにその俗説がピタリと嵌っているなと嘲笑を零す。
 資料を何枚か捲ると一見人当たりの良い笑顔を浮かべた男の写真で手を止めた。写真の下には家族構成から始まり、成育歴、経歴、さらには性癖までもが詳らかに記されているのだから、悪いことはするものじゃない。親日家、と言えば耳障りが良いだろう。しかしその実態は好色家であり、特に日本人女性を好み、来日の度に“勤しんでいる”らしい事が窺えた。

(ハニートラップを仕掛けてでも落としてこい、ね)

 吉岡は手元の資料を机に投げ捨て、一度大きく息を吸い込む。今回の捕り物をするにあたって、多くの上席が集う会議でそう暗喩した狸に思わず苦々しい表情を浮かべた吉岡に対して、小鳥遊はただ涼しい顔で承諾の意を表した。手段の一つとして本人が選択するのであればまだ理解はするが、権力者―ましてや国家に勤める警察官―がソレを指示するなど以ての外である。しかしここまで来てしまえば吉岡に出来る事は、上司がそつなく任務を遂行できるようサポートに徹することだけだ。そう言い聞かせて、今晩の捕り物に向けて行動を始めた。


▽▽▽


 あるマンションの一室で有紗は今晩のドレスを見繕っていた。ほぼ衣裳部屋のようになっているこの部屋も、3年前まではよく利用していたが柊唯として捜査一課に配属されてから足を運ぶ回数は格段に減った。定期的に清掃に訪れてはいるが管理が行き届いているとは言い難い。幸い空調が一括管理されているお陰で衣装に傷みがないことがせめてもの救いだ。
 いくつかの候補の中からプラムカラーのイブニングドレスを手に取る。主催者ターゲットが好みそうな露出の少ないドレスだが、胸元から腰に掛けて刺繍が施されたAラインのドレスで、動きに合わせて煌くスパンコールが有紗のお気に入りでもあった。慎ましやかな日本人を好む主催者にはこの程度の派手さで十分だろう。

 ドレスに着替えドレッサーの前に座り、3枚の写真を鏡に張り付けた。ここ最近の主催者の“お気に入り”の女性たちだ。この3人全員に共通している事は、肌の色が白く黒の長髪、化粧は濃くないが目元がぱっちりとしている、所謂正統派の美人と評される容姿である。

(怒ってたな)

 柊の仮面を落とし主催者好みの顔を作り上げながら不機嫌そうな声色でパートナーを承諾した恋人を思い浮かべた。上層部が何を求めているのか、それが分からないほど若くもない。ましてやそう言った手を使う事も初めてではない。使える手はどんな手でも使う、それが我々ゼロなのだから。仕方のない事だと頭で理解していても良い気がしないのはお互い様だ。

「よし」

 最後に口紅を引くとそれを見計らったように着信メロディが鳴り、予め装着していたインカムで応答する。昼間と変わらず不機嫌そうな声色の恋人に苦笑いを零しながら「今から向かう」とだけ告げ通話を終えた。

 エントランスを抜け正面の扉を開くとスリーピーススーツに身を包んだ降谷が目に入る。RX−7に寄りかかるその姿はさながら絵画の題材のような風体で、彼の持つ容姿の良さをより引き立たせていた。ピンヒールをコツコツと鳴らしながら有紗が降谷の前に立つと、その蒼眼が上から下へと移動する。

「綺麗だよ」
「ありがとう」

 一応の誉め言葉を言うくらいには気持ちの整理が付いたと思うべきか、それとも嫌味なのか。降谷と恋仲になってから2年、彼の部下になってから5年が経つが、未だにこの人の全ては理解できていない。開かれた助手席に乗り込みながら、彼の全てを理解していたであろう人物が脳裏をよぎったが、すぐにその幻影を霧散させる。今は目の前に迫る任務に集中しなければならない。相手は外事課が引けなかったほどやり手の人物だ、重いエンジン音を聞きながら有紗はゆっくりと息を吐いた。

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ブルースターに堕ちる

洒涙雨