2月2日


 昨日の台風のような、いやテロとも言える松田からの食堂での告白は、誰にも知られる事なく済んだようだった。
 優の隣で一緒に食事を摂っていた同期も、誰彼と言いふらすような人ではなく、少しだけ恐れていたバッシングを受けずに済んで密かに胸を撫で下ろした。
 愛想はないが人気はある松田だけに、昨日の昼食後から今朝まで、小心者の優は気が気では無かったのだ。
 出直す、と不穏な言葉を残して去った松田にもあの後から出会しておらず、優は人知れずホッとしていた。
(片や人気刑事、片や一端の事務員。昨日のはきっと罰ゲームか何かだ。そうだ、そうだよ! あーもう! 罰ゲームに決まってるじゃん!)
 ガタイのいい男性職員の間を縫うように歩きながら、真面目に断りを入れてしまった昨日の出来事を思い返して、カッと頬に熱が集まるのを感じる。
(は、恥ずかしすぎるっ)
 恥ずかしさのあまり手に持っていたファイルに顔を埋め、悶々としながら廊下の角を曲がったせいだろう。トンッという軽い衝撃が優の全身を襲った。

「おっ、と」
「わっ! すいません!」

 よろけた体を支えるように大きな手が肩を掴む。慌ててファイルから顔を上げた先に居たのは言わずと知れた警視庁イチのモテ男、萩原研二で、優はくらりと眩暈がした。

「それウチだよね? 俺も戻るとこだから一緒に行こっか」
「えっ! あ、ありがとうございます」
「いえいえ〜」

 ファイルとは逆の手に持っていた荷物を取った萩原は、何でもないように半歩前を歩く。さらりと荷物を持ってくれるところだったり、歩くペースを合わせてくれるところだったり、やっぱりモテる男の人は違うな……と優は内心で感心した。


 萩原にぶつかるという失態を除き、無事に用事を済ませた優は「帰りはちゃんと前は見て帰るんだよ」という萩原の言葉に苦笑いを返し、機動隊の部署を出る。

「はぁ…」
「何してんだ?」
「うわっ! ま、松田さん?!」

 やってしまった……と先程の失態を恥じながら、とぼとぼと自分の部署に帰る道中、ばったりと出会したのは萩原にぶつかる原因を作った張本人である松田だった。なるべく会いたくないと思っていた人物の登場に、優はぎょっとする。

「お、お疲れ様ですっ」

 会釈をしてそそくさと帰ろうとする優の進路を、松田の長い足が塞ぐ。
 恐る恐る目線を上げた優は松田の顔を覗き見るが、サングラスが目元を覆っているせいでその表情は読めない。

「昨日出直すって言ったろ」
「えっ、と…」
「付き合ってくれ」

 昨日の告白を断ったからプライドを傷つけしてまって、その仕返しに……なんて顔を青くしていた優を更に青くさせるセリフに、優は思わず辺りをキョロキョロと見回した。万が一にもこんな所を見られたら、平和な事務ライフから一瞬でおさらばだ。

「昨日も言ったんですけど、無理ですッ」

 周りには聞こえないような小さな声量で、それでもハッキリと断ると、松田は眉間に1本のシワを作った。

「なんでだよ」
「えっ?! そ、そりゃ、松田さんのこと何も知らないですし」
「知ってけば良いだろ」

 不満そうな声色と予想外のセリフにたじろぐいだ優だったが、頭を振って負けじと松田を見据える。
何も罰ゲームにこんな必死にならなくてもいいじゃないか……と泣き言を漏らしそうになるが、グッと堪えた。優にでも、ちっぽけなプライドはある。

「とにかく! 無理ですからっ!」

 そこが機動隊の部署がある廊下だとか、他人に見られたら困るだとか、そんな事はすっぽりと抜け落ちた優は声を小さくする事も忘れて松田に今一度の断りを入れた。
 そうして今度こそ松田の脇をすり抜け「お疲れ様です」と足早にその場を逃げ出したのだった。


私と松田さんの100日間


洒涙雨