満月の夜のミステリー前編
「おい秀一、そっちどうだ?」
「ナマエ。まだ現れない。油断するな」
「大丈夫だって」
FBIと書かれたジャケットを着たナマエと赤井は雨の中傘も差さずに細い路地に張り込んでいた。
雨雲ですっかり覆われた路地は薄暗く、連続的に降る雨の音がよく響く。本来なら傘をさしたい所だが、仕事で来ている今そんな事はできない。雨に打たれ張り付くジャケットに嫌悪感を示しながら俺は路地を囲むビルをぐるりと見渡した。
何故こんな所に二人でいるかと言えば、FBIの仕事である。
この路地で先ほど最近巷で噂の通り魔と戦い逃がしてしまったのだ。だが、奴は手負いであり、遠くには逃げず身を隠して俺達が去るのを待つはずだ。
そういう事でこちらも拳銃を持ち、いつでも対応できるよう準備万端で待ち構えているのだ。
しかし、ここでかなりの時間張っているが通り魔は現れない。本当にいるのだろうか、なんて少し疑っていると赤井がピクリと何かに反応した様子を見せた。
「…通り魔、じゃないよな。アジア系の女の子だ」
「あぁ…」
少し離れた路地にタクシーが止まったかと思えば、出てきたのは例の通り魔ではなく、どこか俺や赤井と似たような顔立ちの少女だった。傘をさし、うっすらと涙を浮かべるその顔はあまり体調がよくないのか顔色が悪い。
赤井が拳銃を持ったままツカツカ近寄ると、タクシーの運転手が何かを叫んでいたがすぐに少女を置いて走り去っていってしまった。そのタクシーの逃げ足の速さと彼女の焦り具合からして、もしかして、と思うと同時に赤井が口を開く。
「日本人か…?」
「あ、はい!!」
不愛想かつ強面の赤井が話しかけるとやはり少女は驚いたらしい、驚いて更に顔色が悪くなっているような気がする。そして心なしか警戒されているようでもある。そりゃ通り魔の条件にぴったり当てはまった長髪の日系人男に話しかけられれば驚くだろう。
「この編で怪しい奴見なかったか?銀髪長髪の日本人なんだけど」
「え?い、いえ別に誰も…」
「そうか。ありがとう」
緊張をほどくようにできるだけ優しく日本語で話しかけると、彼女はあからさまにホッとしたような顔をした。赤井が余計な事をするなというようにこちらをじろりと見たが、特別怖くもないので気にせず目の前の少女を見つめていた。
「とりあえずここは危険だから表通りに出てタクシー拾いな」
「あ、でも連れが…連れをここで待ってるんです!私と同じ高一の男の子で」
赤井は更に少女の近くに寄ると、普段よりも更に目つきを悪くして声を張り上げた。
「じゃあ君とその連れに言う。消えろ!!このエリアから今すぐに!!」
「ったく…俺達も仕事あるからもう行くけど気を付けろよな」
そんなに強く言う必要はないとは思ったが、赤井の意見におおむね俺も賛成だった。この通りの出入り口は既にFBIによって固めてはあるものの、やはり離れるに越した事はない。
もう一度離れるようにくぎを刺してから、背中を向けて歩き出した赤井の後を追って水浸しのアスファルトを歩き出した。
「…あーあ。…めちゃくちゃ怖がられてたな秀一」
「フン…あれで…から…離…ろ…」
ブー…ブー…
耳元で控え目に震えるスマホを手探りで見つけると、ナマエはベッドの上であおむけになったままスマホを見た。鳴っているのはプライベート用の方だ。うつろな目を細めてどうにか画面に焦点をあわせると、そこには滅多にかかってこない名前が映されている。
大きく一度あくびをしてから通話ボタンをタップすると、携帯の向こうから随分楽しそうな声が聞こえてきた。
「やぁジョディ。どうしたの…」
『ハーイナマエ。もしかして寝てた?』
「あー、昔の…FBI時代の夢みてたよ」
あれはたしかニューヨークでの通り魔事件の捜査だったか。
ぬくぬくの布団にみのむしのようにくるまりながら、消えていく夢を思い出しているとあくびをしたせいか目じりに少しだけ涙がたまって視界がきらきらする。
『wow!もしかしたら予知夢かもね』
「どういう事だ?」
『久しぶりにFBIのメンバーとして活躍してくれないかしら』
「!ジョディが俺に仕事頼むなんて珍しいな」
『今回の作戦、なんだか嫌な予感がするのよ。ねぇナマエ、急で悪いけど今夜は空いてるかしら?』
もちろん元同僚として共に飲んだりする事はあるがお互い仕事の話は一切していなかったのだが、今回は違うようだ。
枕元に転がっているもう一台の仕事用スマホのロックを解除すると、使い慣れたカレンダーのアプリを起動した。シンプルなカレンダー上には細々と仕事の内容や金額が書き連ねられている。その中から今日の日付を選び『ジョディ』とだけ書く、と耳に当てたスマホに意識を集中させた。
「ジョディのためならいつでもどこへでも」
『あら。ナマエもそういう事言うのね!じゃあ作戦の前に一度会いたいから…そうね、3時くらいに港まで来てくれない?』
「OK」
*
「あれ、誰もいない。どういう事だ?」
昼間に港でFBIの仲間たちとも再開を果たした後。
一旦港を離れたのだが、離れている間に一体何が起きたのだろうか。先ほどまでいたFBIのメンバーが誰一人として港にいないではないか。いくつかの待機場所を回ってみたが、誰もおらず、そこに誰かがいたという痕跡すら残っていない。一時的に離脱したわけではなく、完全な退却した後のようだ。
もちろん俺にはジョディからは作戦が中止になったなんて電話は来ていない。
「…困った」
まさか連絡する事を忘れているわけではないだろうし、どうしたものか。
ジョディと俺の契約は今夜の作戦に付き合う事。直接契約を解除する事を言われたわけではないし、“今夜”はまだまだこれからだ。そもそも契約などなくとも個人的に心配なのだ。
とりあえずコンテナの影に隠れて本来の作戦場所近くで待機するべきか。
本来の作戦場所である開けた場所から少し離れたコンテナとコンテナの間の影に座り込むと、ふと見上げた空には高い位置に月が陣取り薄い光を地上に注いでいる。急ごしらえにしては中々悪くはない待機場所だ。
そうしてぼんやり空を見たり、装備の確認をしていると時間は遅かれ早かれ確実に過ぎていく。
ふとスマホの画面で時間を確認すると、もうすぐジョディの言っていた作戦決行時間が近づいてきていた。念のために周囲を監視すると、海沿いの道に黄色い光の線が伸びている。辺りに街灯はなく、横に長く伸びたその光は見慣れた車のヘッドライトだ。現れたのは彼女の愛車、プジョー・607と見た事のない白い車だった。プジョーが急ブレーキをかけてドリフトをすると、後を追ってきた車と向かい合う。
それは作戦が始まった事を示していた。
リラックスしていた気持ちから一転身体に緊張が走る。自然と銃を持つ手にも力が入った。
車から降りてきたのはやはりジョディと今回のターゲットである新出智明。いや、ベルモットだ。いつでも撃てるように、陰からベルモットの一挙手一投足に注意していたが、新出の変装を取った時は思わず目を丸くしてしまった。
いやはや変装だというのは分かっていたがそれにしても、だ。身体にまで細工をしていたのはさすがプロとしか言いようがない。
「そしてやっと見つけたってわけ。貴方の逮捕を妨げていたその謎を説明してくれそうな証人を」
ジョディのつけている無線機から、まるで今までの様々な謎の答え合わせするようなベルモットとのやりとりが聞こえてくる。
さていつ援軍に出たらいいものか。無線機に耳をすませていると、丁度近くの空港から飛んできたであろう飛行機が間近を飛んできた。鉄の羽が空を切る音は、思いのほか大きく無線の声が聞こえなくなってしまった。
(一体何を話しているんだ…?)
わずかな声に耳を澄ませると、うるさいエンジン音の中を切り裂くように突如一発の銃声が鳴り響いた。それは少し離れた高台の上から放たれ、ジョディの腕を正確に打ち抜いたようだ。つまりベルモットとは違うもう一人の黒の組織がいるのだ。それならジョディのこの状況は圧倒的に不利という事になる。
(今出るしかない)
暗闇から一歩足を踏み出そうとした時、俺はすっかり背後の警戒を怠っていた。コツンという足音が聞こえた時には手がするりと口に回っていた。
「!?」
「シッ、静かに」
「…赤井、どうして」
スッとふさがれた口に驚いて後ろを振り向くとすぐ真後ろに立っていたのは赤井だった。
思わず一歩後ずさりたくなったが、ピンと張りつめているこの状況では、後ずさった時の足音でさえもしかしたらベルモットに気付かれるかもしれない。
できるだけ声を抑えて赤井に言った。
「どうしてここに」
「お前こそ」
「…ジョディに頼まれた。だけど来た時には誰もいなかったよ」
「あぁ、きっと奴の変装に騙されたんだ。変装は奴の得意技だ」
赤井しかここにいないという事はきっとまだジョディはこの状況を知らないはずだ。なら奴を威嚇するためにも、やはり援護として出ていった方がいいだろう。ちらりと隣を見ると、赤井は小さく頷いた。
「俺はスナイパーを捕まえる。ここはお前に任せた」
「了解」
そう言うと赤井は再び暗闇にスッと姿を消した。
先ほどの狙撃は方向からして詰まれたコンテナの上があたりが怪しい。コンテナとここの距離は見た所そんなに離れてはいないし、赤井ならば心配はいらないだろう。
俺は俺で任された仕事をこなさなければならない。
拳銃を握り直し、確実にベルモットを仕留められるチャンスを伺うためにもう一度視線を戻すと、少し視線を離していた間に事態は大きく変わっていた。