さよならはゆっくりと


「赤井ちょっと手貸せ」
「手?」
「おう、この前ちょっと手相の本読んだんだ」
「手相占いか。分かるのか?」
「ちょっとな」

大人しく差し出された手を広げると、深く刻まれた手相が姿を見せた。大きな手のひらをキャンパスに幾重もの線がかけめぐっている。
本で読んだ知識を参考に、赤井の手のひらを比べてみれば、滅多に見られないものと言っていた手相が多く混在している。どうやら赤井の運や力は手相にも反映されているようだ。

「どうだった?」
「…赤井が恵まれ過ぎっていうのは分かった」

悔しいから詳細は教えない。
全く、神は赤井に二物も三物も与えすぎだと思う。

この話は終わり、と赤井の手のひらを強引に閉じさせた。ゴツゴツとして大きな、だが男らしい手だ。まじまじと改めて手を見ると、何を思ったのかその大きな手で俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「わ、何すんだせっかくセットしたのに!」
「わざわざ俺に会うためだけにしてくれたのか?」
「外出るなら整えるだろ」

なんなんだ。楽しそうに俺の頭をシャッフルする赤井は、いつもより表情が穏やかだ。なんやかんや言いながらも、外ではこんな顔そんなにしないというのに。天変地異の前触れだろうか。頭をかき混ぜる手すらどこか優しい。

なんだか赤井もご機嫌な事だし、少しは自由にやらせていると赤井は俺の頭が面白いらしくクッと笑いをかみ殺している。悪かったな、鳥の巣みたいで。
ムカついて撫でる手を少しつねった。

「それで俺に何か用事があって呼んだんじゃないの?」

頭を撫でるのを飽きた頃を見計らって俺がそう聞けば、ようやく赤井も頭を撫でまわすのをやめる気になったようだ。その手で頬杖をついた。

「あぁ、特に用事はないんだが」
「ないのかよ」
「なくてもいいだろう?このレストランの予約が取れたから君と食事をしようと思ってね」

たしかに今いるここは都内でもランチがおいしいと有名なホテルのレストランだった。平日だというのに大勢の人がラウンジで食事をとっている。

俺と赤井も言わずもがな先ほど昼食をいただいだばかりだ。ただしもう食事を終えて今はコーヒータイムである。

てっきり仕事の話でもあるのかと思いながら雑談をしていたが、今日は本当にただの昼食だったようだ。
普段なら用事がないなら呼ぶなと怒る所だが、何せこのレストランのランチはおいしく、本当に予約を取るのも大変なのだ。わざわざおいしいからと言って予約をするようなタイプではない俺の機嫌はうなぎのぼりである。
しかも赤井のおごりだ。今なら大体の事は許せると思う。というか普段の俺だったら頭に触った時点でキレていたはずだ。

「まぁいいけど」
「たまにはゆっくりするのも悪くないだろう」

そう言いながらコーヒーを飲む赤井はやっぱり変だ。どこか遠くを見つめるような、そんな目をしている。

「なぁ、赤井。お前どっかまた日本じゃない所にでも任務で行くのか?」
「何故そう思った」
「いつもよりこう、纏う空気が穏やかというか…」

なんと表現したらいいのだろうか。
まるでこの先の未来を見つめるような、ここにいるのに気持ちだけふわふわしてココにはいないような。なんとも曖昧な言葉になってしまう。
だがそれが今穏やかな赤井を表現するにはぴったりな。

「もしかして赤「今日は秀一と、呼んでくれないか」

俺の言葉を言わせないように遮られた赤井の言葉に俺はぐっと息をのんだ。
秀一という呼び名は、FBIをやめてからもう久しく呼んでいない。それは俺なりのけじめというもので、赤井はFBIをやめてからそんな事を一回も言った事がなかったのだが。

「嫌だ」
「…」
「呼んだら、どっかに行きそうな気がする」

誰が、ともどこに、とも言わないが。赤井のいつもは見せないような穏やかな顔が脳裏に嫌な想像を抱かせる。

そして赤井は俺の言葉には何も返さず、穏やかな顔から少しだけ真剣みを帯びた瞳でまっすぐにこちらを見た。それは俺の言葉を無言ながら肯定しているのと一緒だった。

幸福で満たされていたはずの腹の中が冷えていくような気がする。
こうしてわざわざ理由を付けて会いに来たのもまるで…いや、そんなはずはない。赤井に限ってそんなはずは。

「ナマエ」
「…何」
「そんな顔をするな。詳しい事は言えないが…そうだな、俺のこの手相を信じろ」
「手相分かってない奴が何言ってんだ」
「分からなくてもナマエが黙ったって事は良い手相なんだろう?」

俺の思考を全て見通したような瞳に言葉が詰まった。
まっすぐ見つめる瞳は鏡のように俺を曇りなく映している。いつも見ている瞳なのに、何故か今日は目が離せない。赤井の様子がおかしいと思っていたが、俺も同じのようだ。
何故だろう。いや、理由など分かり切っている。

赤井がいなくなるような感じがするなんて。

「赤井」
「あぁそうだ。忘れていたが」
「何?」
「ここは俺以外にここは譲るなよ」
「は」

赤井は思い出したように俺の左手を掬うと、その瞳を伏せて左手の薬指にまるで恋人がするように唇を這わせた。それがキスだと認識するまでに数秒かかったが、触れた僅かな体温が薬指からじわりじわりと身体全体に広がっていく感覚に襲われた。

思わず手を引っ込め、恥ずかしさから下を向くと、赤井のこぼれたような笑い声が聞こえる。

「     」
「え?」

そして次に前を向いたときにはもう、赤井は目の前から姿を消していた。



「は?死んだ?」
『そうよ…黒の組織に殺された…っ』

その日はちょうど雨が降っていた。

ホテルで昼を共にした数日後。次の仕事の準備を家でしていると、かかってきた携帯越しにジョディは泣きながらそう言った。

聞き間違いだと思ったが、ジョディの様子からして俺の間違いではないのだろう。
たしかに死んだと、そう言った。

俺の中では、赤井はどんな事があれ必ず生きて帰ってくる。そんな奴だと思っていた。今までだってどんな難しい任務からでも必ず帰り、心配をしていた俺を安心させていた。
だからあの時、赤井が消えるなんて悪夢のような予感も、全て予感のまま終わると、終わって欲しいとそう願っていたのに。

「…そっか」

電話を切った後、俺の瞳から涙が流れる事はなかったが、何も考えられなくなるくらいには心に風穴を開けていたらしい。
いつの間にか俺はうるさいほどの雨音に包まれながら、柔らかなベッドに沈み込んだ。

「秀一」

誰か嘘だと言ってくれ。