ホームズの集い
「で、結局自殺だったのか」
『えぇ、中々後味の悪い結果でしたよ。せっかくナマエさんにお店まで紹介してもらったというのに、すいません』
「それは店の人に心の中で言っとけ」
西の空に日が落ちる頃。
仕事帰りに米花通りを歩きながらかかってきた電話に出れば、それはしばらく話していなかった安室からの電話だった。聞けばこの前紹介した店で事件を起こしてしまったとか、俗にいう事の顛末という奴だ。いちいち報告してくるあたりはやっぱり律儀というか、真面目な奴である。
「もう起こっちまった事はどうにもならないからな」
『そうですね』
「おう。だからそんなに落ち込むな」
『ふふ、そんな風に聞こえましたか』
「まぁな」
さすがの彼でも依頼人が自殺してしまった事には責任を感じているのだろう。いつも自信満々な安室にしては、落ち込んでいるような声色に柄にもなく慰めてしまった。
『ところで…「あ、ちょっと待った」?』
安室の電話に耳を傾けていると、視線の先に何やら見慣れた人影が薄らと見えた。「ナマエさん?」と電話越しに聞こえるのも無視して、よーく目をこらす。それは徐々に近づいてきて、ようやく女子高生と小学生だと言う事に気が付いた。向こうも俺に気づいたようで、こちらに小走りでやってくる。
「わり、知り合いが来たから切る。また電話するな」
『あっちょっと』
ブチッ
何か言いたげにしていたが、話は後で聞けばいいだろう。とりあえず通話を切ってポケットに滑り込ませる。
「こんにちはナマエさん!」
「やぁ少年。蘭さんと園子さんも、学校お疲れ様」
「こんにちは!」
「こんにちは」
平日の夕方、制服とランドセルなら言わずもがな学校帰りなのだろう。お疲れ様と手をひらひらさせて言えば三人ともにこりと笑った。
女子高生二人はともかく、直観でこのメガネの少年には今の電話は聞かれない方が良い。直観的にそんな気がしたのだ。自分でもその理由は分からないが、案外直観とはあなどれないものである。
「ナマエさん仕事帰り?」
「そーだよ」
制服の女子高生ときっちりめの小学生、片や俺は相変わらずゆるめの私服である。平日の夕方、私服の男がブラブラしていたら平日休みの人か、それともフリーターかと思われるだろう。だが俺も今日は仕事帰りなのだ。後ろめたい事はなにもないのである。ふふん、と少し誇らしげに言ってみれば少年からは少し乾いた笑いがこぼれた。
「じゃあこの後暇?」
大きな目を更に丸くした、メガネの奥の瞳を見下ろす。それはどこかワクワクしたような、キラキラしたような。何かに期待する瞳だ。いつも見た目の割りに大人びている彼だが、今はそれ相応の小学生らしい。
「まぁ帰るだけだが…」
「じゃあちょっと手伝ってよ!」
「…何を?」
*
女子高生二人と小学生に連れられてやってきたのはこれまた大きい立派な屋敷だった。(表札には工藤、と書かれていた気がする)その大きさにも口をあんぐりと開けるレベルだったのだが、更に驚いたのは屋敷の中だ。
「すごい量だな。しかも全部ミステリー?」
少年に連れられてやってきた書斎は、この家主の趣味なのだろうか。壁一面に本が敷き詰められ、タイトルをざっと見てみるとミステリーばかりだ。有名な所からちょっと前にドラマになった奴まで。日本で売られているミステリーは全てここにあるんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。一冊一冊じっくり見て行くと、コナン・ドイルやアガサ・クリスティーなど海外の有名作家の本は分厚いハードカバーだ。
「俺ホームズ読んだ事ないんだよな」
「えぇ!?嘘だろ」
「有名なものほど手に取りにくいっていうか、なぁ」
「反骨精神…。それなら貸してあげるから読んでよ!ねぇ」
一冊本棚から抜き取ると、ペラペラ適当にページをめくってみた。このハードカバーの中身は英語だ。きっとイギリスで買ったものだろう。なんだか貴重な物を見てしまった気がして、そっと本棚に差し戻すと少年がひどく興奮していた。
もしかして、いやもしかしなくても少年はミステリーオタクなのだろうか。これはアレだ、同じ同志を見つけて語りたい!そんな気持ちが爆発している顔だ。
「貸すって君のじゃないだろ」
「僕の知り合いの家だから大丈夫!」
たしかにこんなにズカズカ入ってきているのだからそれは知り合いには違いないだろうが。貴重な本を借りるわけにもいかない。日本でぽんぽん買えるハードカバーとは訳が違うのだ。もしも破損なんかしてしまったら…そんな事を考えれば冷や汗も出る。
「僕が保証人になりますから大丈夫です」
ビクッ
突然聞こえたその穏やかな声に、俺の肩は大きく跳ね上がってしまった。後ろを振り返れば、亜麻色の髪の男が眼鏡の奥の瞳を細めて笑っている。
今、この人足音も気配もしなかった。
突然降ってわいたような人に、俺の心臓は幽霊を見たかのように心臓が騒ぎ出す。
「昴さん!」
「昴、さん?」
「うん。今この家の管理をしてくれてるお兄さんだよ」
「初めまして。沖矢昴です」
にこりと笑う姿は穏やかな好青年と言った感じだ。少年曰く等と大の院生らしい。しかもこの家主と同じくミステリー好きだとか。それは家主と話もあう事だろう。
だが何故だろう。それだけの感じがしないのだ。足音がしないのも不思議だが、立っているだけなのにその姿に隙が見えない。武道か何かの経験者なのだろうか。少年と話し込む彼をじっと見つめていると、何やら話は進んでいたらしい。
「コナン君もこういってる事ですからその本、どうぞ読んでください」
「えぇ…あ、いやでも」
「返しに来てくれるって分かってますから大丈夫です」
そう言って沖矢さんは壁の本棚に手を伸ばし、さっき差し戻した本をもう一度抜いて俺の手に戻した。ざらりとした本の表紙からは長い時の流れを感じる。それなりにページ数もあり、重いハードカバーは読み切るまで随分かかりそうだ。その分面白さが続くという事でもあるのだが。
「う〜ん、…」
仕事もあるから読むのはだいぶ遅くなる。しかし、そんな事を言った所でこのミステリーオタク達のキラキラ瞳からはどうも逃れられそうにない。
「わかった。借りる…」
「やったー!読んだら感想教えてね!」
「ノリノリだな、君」
何故貸す方がこんなに嬉しそうなんだ。…まぁいいか。
こうして貸し出された本を小脇に抱えて、男三人で話をしているとバンッと勢いよく書斎の扉が開けられた。そこには屋敷に入ってから分かれた女子高生二人がエプロンをしている。そして両手にはハタキや雑巾の掃除道具の数々。
「掃除、始めますよ!」
「掃除?」
「うん!ナマエさんも手伝ってね」
なるほど。本来の目的はこれの手伝いだったのか。たしかに遠目からでもこの屋敷はとにかく大きい。高い所は男手もいるだろうし、きっとこの人数でも掃除には時間がかかるだろう。
「仕方ない。手伝ってあげよう」
本を借りる事になったのだ。お礼としてでも掃除はするのが道理というものだ。それに、この沖矢昴という男も気にかかる。何か、何かが引っかかる。掃除をしながら様子を見てみよう。
借りる事になった本を、部屋の中央に置いてある机の上に置かせてもらい、蘭さんから雑巾を受け取った。
ちなみに掃除が終わるのが想像以上に時間がかかったのは、俺の予想外の事であった。
「家広すぎる!どうなってんだ!」
「ははは…」