夜を駆ける一閃


「いらっしゃいませ〜」

店員の機械的な挨拶をBGMに、俺の目は活字を追っていた。ローマ字が躍るこのハードカバーはあの屋敷で借りた記念すべき一冊目、ホームズである。

今日は昼に一件、夜に一件仕事があり、こうしてまたもレストランで遅めの昼飯を食べつつ暇をつぶしているわけである。ちなみにここ、レストラン・コロンボではパスタを食べるのが俺のおすすめだ。特にミートパスタはうまい。昔ながらの味で時々恋しくなるのだ。

「何名様ですか?」
「四人…あ、ちょっと待てこら!」

ぺらり、ぺらり。
左から右へ。一列ずれてまた左から右へ。読みなれた英語を追いかける。日本語も読めない訳ではないが、やはり英語の方が詰まる事がない。

コナン・ドイルの鮮やかなトリックに翻弄され夢中になっているとふと本の上に影が落とされた。

「…暗い」
「ナマエさん!!ホームズ読んでくれてるんだね!?」
「なんだ、また少年か」

視線をあげれば同じ目線にニコニコした少年が立っていた。よっぽど嬉しいのかちょっと笑顔が過ぎて崩れている。

「どうしてここに?」
「おじさんに連れてきてもらったんだ!」
「おじさん」

繰り返してみると、少年はほらと指さした。そこには最近はよく出会う少女、蘭さんとテレビで時々見かける毛利小五郎。そして、金髪のイケメン。

何故あいつがここに、というより一緒に?
バクバクバク

何かいけないものを見てしまったかのような、そんな気がして内心冷や汗が出る。あまり動揺を見せないように、普通を装って本にしおりを挟んだ。きっとこの後本を読む暇はなくなるのだろう。そんな気がした。

「コナンくん!勝手に行っちゃ駄目よ!」
「ごめんなさ〜い。でもナマエ兄ちゃんがいたから!」

彼の保護者代わりである蘭さんが怒ると全く反省していないような少年。それを俺が見ていたからか、蘭さんはちょっと恥ずかしそうだ。

後から追うようにやってきたあの名探偵は俺と彼女の顔をきょろきょろと見比べる。その顔は父親そのものだ。年頃の娘がこんな奴と知り合いだったら心配にもなるだろう。

「蘭、知り合いか?」
「そうよ!こちらはミョウジナマエさん。コナン君とも仲良しなの」

ひとまず本は机の上に置き、立ち上がると彼は中々良い体格をしている。何かやっていたのだろうか、がっしりとした体形だ。一度会釈をし、手を差し出せば軽く握ってもらえた。

「こんにちは。二人とは懇意にさせていただいております、ミョウジナマエと申します。すいませんね、あいにく名刺切らしてまして、なんでも屋のような事をしています」
「私は名探偵の毛利小五郎です。何か困った事があったらこちらにどうぞ」
「おや。ありがとうございます」

そしてポケットからスッと差し出されたのはこれまた見事な金ぴかの名刺だ。こんな名刺、成金の金持ちですらつくらないだろうに。自分で名探偵と言っているしよっぽどの自信があるのだろう。

「御噂はかねがね。テレビで拝見させていただいていますよ」
「そうですか?だはははは」
「ははは…」

ううむ本当に彼は名探偵なのだろうか、疑わしいくらいの高笑いだ。でもテレビでもこんな雰囲気だったから、こういう人なのだろう。

頂いた名刺をこっそり財布にしまいながらあの金髪をちらりと見る。

「ところで彼は?」
「あぁ、彼は私の弟子の安室透君です」
「で、弟子ですか」
「えぇ、最近とったばかりでね!」

弟子、と言うとあの弟子だろうか。あの安室が。この名探偵に。いや、彼ならば名探偵だろうがなかろうが弟子になる必要などないはずだ。類まれなる推理力を持っている。
という事は何か意図してこの名探偵の下にいる事になる…のだろうか。

「どうも、ミョウジナマエです」

とりあえず初対面を装った方がいいだろう。名探偵にしたのと同じように会釈をして握手をすると想像よりも強い力が手にこめられてほどけない。
一体どういう事だ。目の前の彼を見ると、青い目を細めてにこりと笑った。

「初めまして、安室透です。ナマエさんて呼んでいいですか?」
「え、えぇ、どうぞ…」

相手が女だったらイチコロだろうその笑顔。
俺にはあまり効果はないが、ここで嫌ですとは言いにくい。きっと普段と呼び名を同じにする事でミスを減らしたいのだろうが中々強引である。

「毛利さん達はお仕事の依頼か何かですか?」
「えぇまぁそんな所です」
「それならこの席どうぞ。俺はもう帰りますし、この席ならあまり他の客もいませんから」

俺の座っていた席は出入り口から一番遠くの端っこだ。丁度誰もおらず、広くて打ってつけだろう。机も散らかっているわけではないからすぐに使えるだろうし。
といくらでも理由をつけているが、このトラブルメーカーの少年がいるのだ。何かに巻き込まれて仕事に遅れが出ちゃ困るのだ。安室が下手を打つ事はないだろうが、ボロが出てもまずい。

「えーっ帰っちゃうの!?」
「この後し・ご・と」
「じゃあ今度一緒にホームズの話しよう!?昴さんと一緒に!」

ぐいぐいと服の袖を掴むその仕草は大変愛らしいのだが、いかんせんあの昴という人は読めない。読めないし、このホームズ好きが揃ったら俺はその話を聞いてるしかなくなるだろう。それは退屈だ。「その話はまた今度な」とにごしてみれば、また「え〜」と我儘な声があがった。

だが、そろそろ本当に行かねば。

テーブルの上に置かれたレシートを持って席を離れると、安室の青い瞳と目があった。「また後で」という意味を込めてぱちんとウィンクでもして見せれば、あからさまにぼわっと頬を染めるものだから面白い。

「それじゃ仕事があるので、御前失礼します」



午後に一件あった仕事は想像以上にスムーズに終わってしまった。
早めに帰れる事には嬉しいのだが、やりがいがなくてがっかりしている自分もいる。人間とはなんとも欲深い生き物だ。釈然としない気持ちのまま、愛車に乗って帰路を走っているとピロリンとスマホが鳴った。

メールの着信音だ。

丁度電車の踏切で止まったタイミングで画面を覗く。

『青 あ 米花21−2 追跡頼む』

送り主はあの安室だ。
車の番号だという事は分かるのだが、いつも挨拶からはじまるきっちりしたメールを送ってくる安室にしては随分簡易的な文体だ。

「とりあえず見かけたら追えばいいのか?」

追跡頼む、はそのままの意味だろう。しかしこの広い米花町の中で、たった一台の車を探すなど、他の情報がない限りはほぼ運任せだ。それでも連絡してくるあたり、何かがこの車にはあるのだろう。

送られてきた情報を憶え、愛車で夜の町へ向けて出発する。果たしてそうそう都合よく見つかるものだろうか。
ひとまず車が多い所に行った方がいいだろうと、細い路地裏から、車が多そうな二車線の大通りへと躍り出た。二車線上にまばらに走る車を追い越しながら、一台一台見て走る。その内青い車が一台。前を走っているのを見つけた。

「…うわぁ、見つけちまった」

車種、ナンバー共に先ほど送られてきたものと一致している。間違いなく安室の探している車だ。ひとまずその車の後ろにつけ、さてどうしたものかと思案する。
報告のメールは車が停車しない限りは打てないし、そもそもこの車をどうすればいいんだ。追うだけでいいのか、やっぱり情報不足である。

とりあえず信号で止まるまで追跡するか。そう思いのんびりアクセルを踏んでいると、対向車線を白いRX-7が走り抜けていった。RX-7と言えば安室の車である。まさか、いやそんな事はないだろう。そう思いつつもミラー越しにそのRX-7を見ていると、何を思ったのか後続車がいない事をいい事にドリフトをかましてこちらの車線に乗りこんで来たのだ。

とんだ交通違反だが、こんな事をその車でする奴はやはり一人しかいない。隣の車線を尋常じゃないスピードで駆けあがってきたRX-7は俺の愛車の隣に並走する。

「「!!」」

窓を挟んでばちりとあった青い瞳は、どこか緊迫した様子だ。そんな状況であるというのに、安室の傍らには蘭さんがぴたりとくっついている。一体何がどうなっているのか。
しかし、あの安室が理由もなくそんな事をさせる訳もない。これは何かをやる気だ。

それならばやる事はひとつである。アクセルペダルを踏む足を外してゆるやかにスピードを落とし、後続車が来ないように後ろに下がる。反対に白のRX-7はまたスピードをあげて青い車の横につけると、思いっきりぶつけてみせた。

「うっわ…」

そこからはあまりにも非現実的な事が連続した。
当てられた青い車から出てきたおばさんはメガネの少年は人質にしているし、更に後続からやってきたバイクがそのおばさんをピンポイントに吹き飛ばしてた。華麗すぎるバイクさばきである。

すっかり事故現場と化した場所から少し離れた所で車を止めた俺は、ひとまずその成り行きをただ黙って見ていた。
見た所、少年が誘拐されたのを安室が追っていたのだろう。うまい事利用されたもんだとその犯人を車内から見れば、視線に気づいた彼からパチンとウィンクが飛んできた。その姿はさながらアイドルのようである。

「はぁ…」

だからと言って面倒事に巻き込まれたこの借りは大きくつくのだが。この後巻き込まれるだろう事情聴取に早くもうんざりしながら、受信したままのメールを返信する事にした。

『いつかこの借りは返せよ』

ピロリン

『必ず』


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ナマエ君いつも玉突き事故を起こさないようセーブしている気がする…。