リフレイン


「あ、」
「おや。この前の。どうも、奇遇ですね」
「えーと…、沖矢さん、だよな」
「昴で結構ですよ。覚えていてもらえて光栄です」

ニコリ、とただでさえ細い目を更に細めて笑う目の前の男に俺はスムーズに次の言葉を口にできなかった。

何故こんな所で会ってしまうのだ。
もっとこう、別の場所があっただろう!と思っても最早後の祭りである。

安っぽいサックスが聞き覚えのあるミリオンセラーの曲を奏で、どこからか「大安売りの卵!一人一個まで!」と録音されたメッセージが延々と流れている。そう、誰しもがお世話になるスーパーの片隅でばったり鉢合わせてしまったのだ。

じっと沖矢(さすがに”昴”と呼ぶのは抵抗がある)の買い物かごを見ると、野菜や肉やらバランスの良さそうな食材が入れられている。片や俺の買い物かごには、今まさにカップ麺が入れられようとしていた。

「お料理、苦手なんですか?」
「いや、これは非常食」

誰だってたまには家から出たくない時があるだろう。そういう時に大助かりなのがカップ麺様だ。

しょうゆ、とんこつ、みそ。時々うどんと適当な味を選んではかごに入れていく。唯一かさばる所が難点だが、そこは目を瞑ろう。数個入れれば、かごはあっというまに埋まってしまった。これ以上買っても持って帰れなさそうだ。

ひとまずレジに行こうと隣で様子を見ていた沖矢を見た。

「じゃ、俺レジ行くからまた」
「ちょっと待ってください」
「ん?何、」

俺を呼び止めたその顔にはわずかに力が入っている。少し怒っているような心配しているような、とにかくいい表情ではない。先ほどまでとっても人当たりのよさそうな青年であったのに、その険しそうな顔に少しの間呆けてしまった。

しかも沖矢は何故か俺の手首を握っていた。穏やかそうな見た目に相反して、その手は妙に力強くてゴツゴツしている。

「あなた、ちゃんとバランス考えて食事してますか?」
「ん?」
「野菜食べてますか?ほら、よく見ればニキビできてますよ」
「ちょ、」

腕を掴んだままずいっと近づいてきた顔にかけられたメガネのガラスに一瞬自分の顔がうつる。その奥に見える瞳は何を考えているんだか俺にはよく分からない。

しかし、さすがにこの距離感がおかしい事くらいは分かる。
急に近づいた間を広げようと慌てて後ずさると、肘が商品棚にあたって買い物かごのカップ麺がガサガサと音をたてた。

「せっかくなのでどうです、一緒に食事でも。手によりをかけて栄養のある食事を振る舞いますよ」
「いや、この前もご馳走になったし、」

少し前に少年に連れて行かれて掃除を手伝った日の事を思い出す。あの日も作りすぎてしまったとかなんとか言って結局料理をごちそうになったのだ。たしかに味付けは中々おいしかったが、またごちそうになるのも悪い。

というよりまだこれで二回目の対面なのだが、この沖矢昴という男は距離感がおかしくないだろうか。何故こうもぐいぐいくるのか、疑問しかない。

「あれは作りすぎてしまっただけなのでご馳走した内に入りませんよ」
「でも」
「一人で寂しいですし」
「今に始まった事ではないような」
「今日はハンバーグを作ろうと思っていたんですが…」
「!行く」
「おや。気が変わってくれて嬉しいです」
「しまった」

ハッと気づいて口を抑えた時には時既に遅し。疑わしいと言うのにハンバーグという言葉につられてつい頷いてしまった。

何を隠そう俺はハンバーグが一番好きなのだ。

味はもちろんだが、ナイフで半分に割って肉汁があふれるのを見るのがたまらない。ハンバーグを考えた人は天才だと思う。
要は語ろうと思えばいくらでも語れるくらいには好きなのだ。

しかし見事に俺の好きな食べ物を当ててくるあたり、わざとか?と疑ってしまうが、そんな事を知っているはずもないのだろう。にしては怖いほどの偶然でもあるのだが。

「ハンバーグ好きなんですか」
「子供っぽいとか言うなよ」
「言いませんよ。僕も好きですから、ハンバーグ。好きならなおの事、食べに来てください。ね、いいでしょう?」
「ぐ、分かった。分かったから近づいてくるな!」

軽くでも誰かがその大きな背中を押したのなら、顔と顔がくっついてしまいそうだ!

ジリジリと近づいてくるその影から再び間を取ろうと身を引くと、すっかり棚が後ろにあるのを忘れてまた強くぶつけてしまった。

まさかスーパーで変な噂を立てられるわけにもいくまいし、こうして俺の工藤邸へ行く事が決定したのである。


しかし夕食までには時間もあるし、ひとまずそこで解散する事になった。(カップ麺購入は死守した。)

家に帰り、携帯と財布、借りた本。何も土産を持っていかない訳にも行かずとっておきの酒瓶を持ってフラッと工藤邸まで歩いていく。

借りたミステリーは読む前は分厚くて気が遠くなるようだったが、読んでみればあっという間だった。たしかにミステリーオタクになる気持ちも分からんでもない。特に難題を一つ一つ紐解いていくシーンは快感だったな。

「それは嬉しいですね」
「って事で返す。後土産の酒。嫌いじゃないなら一緒に飲もう」
「おや、ライじゃないですか。ありがとうございます。食後にでも飲みましょう」

相変わらずデカい門をくぐり、豪華な屋敷に足を踏み入れる。

普通の男ならばあまり似合わない、エプロンをした沖矢に出迎えられ、さっそくとばかりに土産の酒瓶を渡した。酒瓶を見た彼は少しだけ目を開いて、俺は初めてその瞳の色を見た。
それは間違いなく、あの男の面影があったのだが、瞳が少しくらい似ている人なんてきっと五万といるだろう。似ている顔だって世界に三人はいると言うのだ。きっとそれだ。

一瞬の出来事を見なかった事にして、俺は「案内してくれ」と先を促した。するとやはり、糸目にすぐ戻ってしまい、あの一瞬は俺の幻覚に違いないだろう。(果たしてちゃんと前が見えているのだろうか?)

「それでは座って待っていて下さい。すぐにできますから」
「いい。手伝う。俺だってやればできるんだから」
「お客様にやっていただくわけには」
「いいよ、そんなの。腹減ったし、二人で盛り付けた方が早い」

そんな事を言いながら、スリッパをひっかけて長い廊下を渡る。

たどり着いたキッチンも案の定どこかのモデルルームのような綺麗さと広さである。何口もあるコンロの上には、ぐつぐつと野菜が躍るスープが火にかけられていた。

「なんだ、もうおおよそできてるのか」
「えぇまぁ。後はハンバーグを焼いて、スープを煮込むだけです」
「ほぉ…。このスープ、いい匂いだな。何使ってるんだ?」
「それは企業秘密です」
「ほぉ。なら味見させてくれないか。何か分かるかも。いいだろ?」
「かまいませんよ」

伊達にあちこち食べ歩いているわけではない。俺は舌には確固たる自信があるのだ。

沖矢からスプーンをもらい、一匙すくってみると薄く黄金色に色づいたスープからはあつあつの湯気が立ち上っている。さすがにこのまま飲んだら火傷しそうだ。
フー、フーと表面を冷ますように細い息をふきかける。スプーンの上で玉のように丸く収まっていたスープは、息に煽られて小さく震えた。

「猫舌なんですか?」
「火傷したくないだけだ」

さて、そろそろいいだろうか。何回か冷ました所でようやくそのスプーンを口に運ぶ。
が、そのスプーンは俺ではなく、何故か目の前の男の口へと運ばれていった。

「あー…?」

間抜けな事に、口を開けたまま俺はぽかんとしてしまった。そこにはスプーンが運ばれてくるはずだったのだが、角ばったその手が俺の手首を掴んで方向転換させてしまったのだ。

よくよく見れば整った唇がぱくりとスプーンをくわえ、薄らと口角をあげる。ちらりとのぞく舌が妙に色っぽかったとか、そんな事はそう、思ってもいない。

「すいません。味はやっぱり食べる時のお楽しみという事で」




結局その後ハンバーグを焼く事に大した時間もかからず、すぐに食卓についた俺達が夕食を平らげるのも中々に早かったと思う。味はハンバーグもスープも絶妙に俺の好みで、早食いしてしまったのはそれもあるかもしれない。
それに男二人なのだから、お上品に食べるなんていう概念もない。

そして食事が終われば待っているのは酒である。

土産に持ってきたラム酒と、おきやが出してくれたおつまみの相性は素晴らしく良かった。それはもうグラスを傾ける回数だって増える。

何せこの沖矢が中々にいける口で、新たにバーボンなんて持ってくるからつい調子に乗ってしまったのだ。気づけばもう何杯飲んだか、いや飲まされたのか。分からないくらいにはすっかり泥酔してしまっていた。
気のせいか気分もふわふわして、目の前の景色も水彩絵の具のように滲んでいる。

だから、だからだろう。

「ナマエ…」

囁くような、赤井の声が聞こえた気がしたなんて。

並々とバーボンの注がれたグラスを煽りながら、フッと自嘲気味に笑う。きっと酔った俺の脳が都合よく引っ張り出してきたのだろう。全く幻聴が聞こえるほど飲んでしまうとは、我ながら気を許し過ぎている。

「…そろそろ帰る」
「おや。もう良いのですか?」
「このままだと寝そうだし…。悪いけど、後片付け任せてもいいか?」
「もちろんかまいませんよ。あぁでも帰る前に、少しだけ待っていて下さい」

よいしょ、と立ち上がるとやっぱり飲み過ぎたせいか頭がクラクラする。用意してあった水の入ったグラスに口をつけ、少し気分がサッパリした所へ沖矢が小さなトートバックを持って戻ってきた。
中を覗いてみれば、これまた分厚い洋書が一冊入っている。たしかこの前借りた本の次巻だ。

「読んだら感想、教えてくださいね」
「…じゃあ借りる」
「そうして下さい。お家までは帰れそうですか?一緒に行きましょうか」
「女子じゃねぇんだから…。一人で帰る。それじゃ、ごちそーさん」
「そうですか。それではお気をつけて、また今度」

借りたトートバックに財布と携帯を放り込んで、長い廊下を歩く。
ようやく外に出るとやはり真っ暗で天井には月が見えた。街灯で照らされた夜道をのろのろと歩いていると、夜風にあたって少しは目も冴えてきた。
そこでようやく俺は沖矢の言葉を思い出して、「してやられた」と思わずつぶやいてしまった。

”また今度。”
本を借りたからにはまたあの工藤邸に俺は行かなくてはならないのだ。いや、行く事は全く嫌ではない。

だが、だがしかしだ。

「あいつといるとなんか調子狂うんだよなぁ」