窓越しの邂逅
あぁなんて憂鬱な日なんだろうか。
深い霧の立ち込める朝方。しずかな町を歩く足取りは重く、自然と小さなため息がこぼれた。これからこなす仕事も、肌にまとわりつく湿気や水滴も、何もかもが鬱陶しく感じる。
だが足を動かしていれば目的の場所には必ず着くわけで。向かった先はとある公園の駐車場だ。
今日の仕事は、そこでUSBを渡すだけという仕事である。簡単そうに思えるのだが、取引相手が相手なだけに、嫌な予感しかせず今日は何時に帰れるだろうかといまだに寝ぼけ気味の頭で考える。
待ち合わせ場所に行くと遠くからでも目立つ厳つい黒の車が止まっていた。取引相手の愛車、シボレーだ。
いつもの通り後部座席に乗りこむと、苦いタバコの香りが出迎えた。何回嗅いでもタバコの香りは好きになれない。顔をしかめてポケットに手を突っ込むと、目的の物を取り出した。間違いなく渡す手筈になっているUSBだ。
「約束の物だ。たしかに渡したからな」
運転席に投げつけるようにUSBを渡すと、パシッと大きな手がそれを掴んだ。
たったこれだけの事だが、この仕事はこれで完了だ。
余計な世間話はせず、厄介ごとに巻き込まれる前にさっさと退散しようと、ドアノブに手をかけるとカチッとドアのロックが動いた。もちろん自分がかけたわけではない。
「ナマエ、今日は徒歩か?」
運転席のミラーを見れば、ばっちり視線が交錯する。
ミラー越しにはイタズラが成功したような、そしてこれから楽しい事があるような表情の男がいる。どうやら取引だけで返してくれるつもりはないようだ。こんな質問をしてくる時は大体お得意様であるFBI、この赤井秀一が問題を持ち込む時と決まっている。
「俺が歩いてきたの見ただろ」
「なら運転を頼む。どうやら公安が嗅ぎつけてきたようでな、ココに向かっている」
「はぁ?!またかよ」
やはり今日の嫌な予感は当たっていた。
何故か公安に嫌われ、追われている赤井はなにかと巻き込む。
公安や黒い組織だかを引き連れてきて、カーチェイスや銃撃戦など修羅場をくぐりぬけたのは記憶に新しい。結果、公安からはFBIでもないのに勝手に赤井の相棒的存在として腹立たしい事に認識されているらしい。
「俺と一緒にいた方が確実に逃げられるとは思うが」
「あークソ…。車で来ればよかった」
余裕の笑みを浮かべる赤井は、いつの間にやら助手席に移動していて車の鍵を投げてよこした。それを反射的に受け取ってしまった自分に、もう拒否権はない。もちろん公安に追いつかれるなんて思ってもいないが、FBIを目の敵にしている奴らに捕まりでもしたらかなり面倒くさいのだ。
渋々運転席に移動し、シートベルトを締めていると、バックミラーに数台の車のライトが見えた。素早くエンジンをかけると心地いい低音が体に響く。バックミラーを自分の視線にあわせるとハンドルを握った。
「車が大破しても俺は知らねーからな」
「お前の腕を信用してる」
「そりゃどーも」
そう言うと同時に、思いっきりアクセルを踏み込んだ。赤井が頭をぶつけていたような気がするが無視してハンドルをきる。先頭を切って近づいてくる白いRX-7を突き放すように急加速した車は、包囲しようとしていた車と車の間をすり抜け公道へと躍り出た。
幸いな事に公道を走る車はほとんどおらず、霧にまぎれるように町を縦横無尽に走り回る。
「で、これからどこ行けばいいんだ」
「そうだな。朝食まだだろう。ホテルで朝食はどうだ?」
「乗った。なら一番高いホテルで食いたい」
「あぁ、もちろんだ」
よし。
心の中でガッツポーズをすると、バックミラー越しに公安の車を見た。もう追いついてきているのは白いRX-7と黒い車が一台だけだ。これなら余裕だな、とさらにスピードをあげホテルまでの最短ルートを考える。
今日の仕事は公安を撒いて豪華な朝食を食べる所まで、だ。
「よし、俄然やる気出てきた」
「ふっ現金な奴」
*
日本では目立つ黒のシボレーを追い、角をドリフトしながら曲がると二車線ストレートの広い道に出た。車道には好都合な事に他の車はおらず、ココならばと強めにアクセルを踏み込んだ。ぐんとスピードに乗った車をシボレーの左につけ、運転席を見る。
そこには憎くてたまらない赤井がいるはずだった。
だが、そこにいたのは赤井ではなく、写真でしか見た事がない男だった。
一瞬窓越しに視線があったかと思うと、男はニッと悪戯が成功したような笑みを浮かべた。
「じゃあな公安さん!」
次の瞬間、シボレーは隣からいなくなっていた。
丁度Uターン帯に差し掛かったらしく、華麗にドリフトを決めたシボレーは真逆の方向へと走っていった。追いかける事もできたが、これ以上追跡しても得るものは少ないだろう。その後ろ姿を見送り路肩に停車すると、何件か入っていた着信履歴にかけなおした。
「あぁ、風見か?悪い、逃げられた。……あぁ、今日は解散だ、それじゃ」
携帯を切ると、運転していた男を思い出した。
まるで心が捕らえられたように、あの瞳が忘れられない。
「…ミョウジナマエか」