月下の疑惑
ピンポーン
すっかりあたりが暗くなった頃。ナマエは酒が入ったビニール袋をぶら下げて、あるマンションの一室を訪ねていた。
そこはいわゆる高層マンションという奴で、エレベーターであがったこの21階もかなりの高さがあった。ちらりと後ろを振り返れば転落防止用の壁の向こう側と地面はかなり遠い。
彼はもう一度ドア脇に備え付けられているインターホンを鳴らした。そこには友達と言える彼女が住んでいるはずなのだが。住人が出てくるのを待つが一向に出てくる気配がない。まさか部屋を間違えたのだろうか、と初歩的なミスが頭をよぎる。念のためにもう一度インターホンを鳴らすと、開いたのは目の前のドアではなくひとつ隣のドアだった。
「あれジョディ。やっぱ部屋間違えてたのか」
「ナマエ!よく来たわね。私の部屋はそっちで合ってるわよ」
「じゃあなんで隣にいるんだ?」
「事件発生よ!うちの隣でね!」
夜だというのにけたたましく鳴り響くパトカーのサイレンと赤い光。
ここに来るまで何台ものパトカーが走っていくのを見て、また事件かと他人事のように思っていたが、まさか元凶がジョディの部屋の隣とは。
ジョディが開けてくれたドアから少し中をのぞくと、室内では鑑識や指揮を取っているのだろう警部が忙しく働いている。その中には見覚えのある顔もいた。またあの少年、江戸川コナンがちゃっかり操作に加わっているではないか。どうやらナマエの周囲の世界は思ったより狭いらしい。じろじろと不躾にその小さな姿を追っていると、こちらに目ざとく気が付いたコナンは一緒にいた浅黒い少年を置いて小走りでやってきた。
「やぁ少年。また事件に巻き込まれたのか」
「こんばんはナマエさん。今日は平次兄ちゃんと一緒にね」
「坊主の友達か?俺は西の高校生探偵服部平次や!よろしく頼むわ」
「よろしく、俺はミョウジナマエ」
浅黒い少年、服部平次はコナンの保護者代わりらしく、年相応の笑顔を浮かべて見せた。ナマエは探偵業界には詳しくないが、東の工藤西の服部と言うのはなんとなくだが聞いたことがあった。
「高校生探偵なぁ。それじゃあ事件はあっと言う間に解決しそうだな」
「おう!任しとき!と言っても実はもう推理はできてるんやけどな」
「そうなのか?」
「うん!バッチリだよ」
服部とコナンはかなり自信があるようで、顔を見合わせるとニヤリと口角をあげて見せた。コナンはバスジャック事件とジェイムズの誘拐事件から子どもらしからぬ斬新な作戦と推理力を見せてくれたが、この服部も肩を並べるほどの推理力がありそうだ。
ちらりとジョディの様子を見ると、人差し指を立てて口の前に持って行くとパチンと映画のようなウィンクをしている。
(これは余計な事をしない方が良いな)
何か気になる事があるのだろう。手出しをしない事を心に決めると、服部の目が手にぶらさげたビニール袋をじっと捉えた。
「なぁ、あんたが持ってるのってもしかして酒か?」
「そうだよ。ジョディと飲もうと思って持ってきたんだけど今日は飲めそうにないな」
「ねぇナマエさん。今回殺害された高井さんは泥酔状態だったんだ」
「なるほど。少年は次にこの酒を状況再現に使いたいと言う…どう、合ってるか?」
「なんや話の早い兄ちゃんやなぁ」
ビニール袋から酒の瓶を取り出し、服部の手に渡せばナマエもニヤリと笑った。
*
「ねぇナマエさんはジョディ先生の恋人なの?」
「はぁ?ただの友達だよト・モ・ダ・チ」
「本当に〜?」
「何を疑ってるのか知らねーけど今日はジョディの来日祝いで飲みに来ただけだっつーの」
無事に事件を解決し、酔ったジョディと服部が話をしている間。
コナンは傍にいたナマエに話しかけた。元々部外者ではあるが、彼は事件にはさほど興味はなかったらしく、推理中も特に何を言う訳でもなくじっと壁に寄りかかっていた。ただジョディが酒を飲んでいた時だけ羨ましそうにしていたのをコナンは見てしまっていたのだが。
少し面倒くさそうにしながらも、子どもの視線をあわせるために膝を折って顔を近づけると、コナンの的外れな質問にもしっかりと答えた。
「ナマエさんはアメリカにいた事があるの?」
「なんだ少年。今日は随分詮索してくるな」
「そ、そうかなぁ」
「まぁいいけど。俺アメリカに住んでた事あるから、その時の友達だよ」
「へぇー、そうなんだ!かっこいいね!」
ニコニコ。見せる顔は子どもの笑顔だが、ナマエには欲に忠実な、抑制しきれていない顔に見えた。それは探偵が事件の推理をするために様々な情報を集めている時の表情と同じだ。
(今は俺とジョディがそのターゲットって所か)
別に聞かれて困るような情報はないのだが、その探るような目はなんとも気分が悪い。
「なぁ少年よ。詮索しすぎは身を滅ぼすぞ」
「え」
「まぁこの話はまた今度っちゅう事で…ほなサイナラ!行くでボウズ」
「あ、うん。それじゃあねナマエさん」
「おう。気を付けて帰れよ」
コナンはまだ話したそうにしていたが、ジョディとの話を終えた服部に連れられるようにして外に出て行ってしまった。その後ろ姿を見送れば警察も事件が解決したからか道具を片づけて部屋から引き揚げていくようだ。
(俺達も撤退しないと)
この部屋の主でも関係者でもないナマエは事の成り行きを見守るために滞在していたにすぎない。早々に部屋の外に出ようと腰をあげると、残っていたジョディがインスタントカメラの蓋を開けていた。
「どした?」
「フィルムがない。さっきの子達にやられたわね」
「そりゃ油断したな。でも別に写真に困っちゃいないだろ?」
「そうだけど…ま、いいわ。事件はこれで解決した事だし、私の部屋で飲みましょう!せっかくナマエがお酒を持ってきてくれたし」
「じゃあ部屋に戻ろうぜ。積もる話ってのもあるんだろ?」
「もちろんね!」
ナマエは飲みかけの酒瓶を、ジョディはネガがなくなったインスタントカメラを持って隣の部屋へと移動した。靴を脱ぎ、中に入れば「ナマエ、来て」と呼ぶ声に彼は素直に従った。
そこは玄関から入ってすぐの横の扉、浴室とトイレが一緒になったユニットバスだ。呼んだ張本人は何やら洗面台の鏡をガタガタと動かしている。
「ふふ、これを見て頂戴」
「写真…こんな所に隠してたのか」
「えぇ。彼らもこれには気づかなかったみたいね」
ガコ、と何か外れるような音がするとそれはジョディが動かしていた鏡が動く音だった。鏡はドアのように開く事ができ、奥の空間には数枚の写真が貼られている。その中にはコナンと新聞で見た事がある顔の少年の写真もある。
(たしか東の高校生探偵、工藤新一…)
事件を解決しては新聞記事に載っていたが、最近は見なくなったあの彼だ。よくよく見れば、コナンと工藤新一の顔立ちや雰囲気がよく似ている。
(いや、それにしたって顔が似すぎている…。一体どういう事だ?)
*
「やっぱり怪しいなァあの先生…。人の写真コソコソ撮ったり風呂に入ったフリしたり」
同時刻。
事件解決後、夜の道をコナンと服部は横並びになって歩いていた。コナンが怪しいと睨んでいたジョディの部屋に侵入する事は成功したが、思ったような情報を得る事はできなかった。だが、歩く服部の手のひらでぽんぽんと空に投げては掴む遊びを繰り返しているそれは、先ほどジョディのカメラから抜き取ったネガである。入った部屋に証拠はなかったものの、このネガがジョディの怪しさを更に強くしていた。
コナンはそのネガにはさして興味もなく、投げられたネガに突っ込みを入れる事はない。ただ行先を見据えるその目は鋭いものだった。
「あら多分俺らが来る前にもう風呂からあがってたのに時間稼ご思うてもういっぺんシャワー浴びたんやろな」
「おそらくその時間を使って何かをしてたんだ…。俺達に見られたくない何かを…」
「それとあの兄ちゃん。あの兄ちゃんこそ何者や?先生は怪しいけど悪い人には見えへんかったけど…」
「ナマエさんはジョディ先生以上に情報がない人だな。さっきはアメリカにいたって言っていたけど…」
事件に時々居合わせる大人、ミョウジナマエ。
職業不明年齢不明。今分かっているのは電話番号とアメリカにいた事がある事くらいだ。そして灰原が分かる黒の組織独特の臭いはしない事。基本的な事すら分からない。ミョウジナマエを構成する情報が圧倒的にないのだ。
「あん?どーいうこっちゃ?」
「…それよりオメーいいのかよ?待たせてんだろ?」
「アカン!和葉の事すっかり忘れとった!」
本当にすっかり忘れていたのだろう。今頃怒って待っているのであろう彼女の事を思い出した服部は一瞬ひどく焦った顔を見せると、遊んでいたネガをポケットに突っ込んで隣を歩くコナンを見た。
「と、とにかく気ぃ付けよ工藤!相手は警視庁から長所盗んだ切れ者やからな!」
「あぁ…」
「また怪しい奴見かけたら電話せぇよ!」
そう言いながら走り出した服部はすぐに暗闇の中へと消えていった。一人アスファルトの上に残されたコナンは、苦虫を噛み潰したように眉をひそめた。額からは薄っすらと汗が伝う。
(いや、怪しいのはジョディ先生と後もう二人。そしてナマエさんだ。彼は一体…)