群青に金魚
「おーいセブルス!起―きーろー」
「…うるさいぞ。休みくらい寝かせたまえ」
「もう昼だって!ごはん作ったから一緒に食べよう」
「…仕方あるまい……」
夏の暑さから逃げるためにナマエの実家だと言う森の中の屋敷に来て3日目の昼。
スネイプはすっかり羽を伸ばして落ち着いていた。いや、むしろ落ち着き過ぎていた。常に寝不足だった身体がここぞとばかりに睡眠を貪るのだ。当初は眠れず、二日目にはほどよい時間に目が覚めたのだが三日目にして、ついに昼まで寝てしまったのだ。それを見かねた彼がベッドにダイブして起こすのは自然の流れと言えば自然の流れだった。
未だぼんやりする視界のまま、ナマエに手を引かれてついた食卓にはバランスのとれた食事がずらりと並んでいる。どれもこれも食が細いスネイプのために量は少なめだ。あれこれと少しずつ食べて行けば味に飽きる事なく全て食べる事ができるのだから、ナマエの気づかいにはいつも舌を巻いてしまう。
そして食後の紅茶を飲みながら、彼をちらりと見るといつもニコニコしている顔が今日は更に満面の笑みを浮かべている。幽霊時代のようなきらきらさえ見えるのだからよっぽど機嫌がいいのだろう。
「何かいい事でもあったのかね?」
「おっさすがセブルス。僕のご機嫌さが分かっちゃったか」
「それだけニヤついていれば誰だって分かる」
ニコニコ、ニヤニヤ。どちらにも取れるようなゆるんだ表情を指摘すると、それでもその顔は崩れない。「ひどいなぁ」と言いながら空になったスネイプのティーカップに紅茶を注ぐ。
「実は森の中を探索してたら小さな泉を見つけたんだ」
「泉?」
「そう。すごく綺麗でね、この後水浴びしにいこうかと思うんだけどどうかな」
避暑地とは言え、やはりこの森も夏の暑さには晒されている。屋敷の中にいるだけでじんわりと汗をかくのだ。そんな中で水浴びができれば、たしかにスッキリするのだろう。ナマエのこのニヤニヤ顔にも納得がいく。
スネイプは「ふむ」と考えるようなそぶりをするとキラキラした期待するような目でこちらを見る彼を見た。
「いいだろう」
「えっ!いいの?ダメって言われるかと思った」
「この森は珍しい植物がかなり生息しているようだからな。水辺にしか生えない材料を取りに行きたい」
この屋敷に来る時にも感じていたが、この森はやはり時が止まっているように感じるのだ。生えている木は今や数少ないと言われていたものであるし、そこらへんになんて事ないように咲いている花も貴重な材料だ。その畔にも水辺にしか生息しない草が生えている事だろう。
そう言えばナマエの顔は予想通りどんよりと曇った。だが何を思ったのか手に持っていたティーカップを煽るように大きく傾けて中の紅茶を飲み干すと勢いよく席を立った。
「じゃあセブルスは草取り、僕は水浴びね!そうと決まれば早く行こう!」
すっかりテンションが下がったかと思いきや、ナマエは泉に行ける事に意識が持っていかれたらしい。飲み終えたティーカップや汚れた食器をシンクに片づけると、さっさと掃除魔法をかけて自室のある二階へと小走りで行ってしまった。
(…そういえばこいつは切り替えの早い奴だったな)
スネイプはそんな姿を見送り、ゆっくりと紅茶を楽しんだ後にようやく採集キットを取りに行った。
「え!?セブルスまだ準備終わってないの!?」
「今ここに来たのを見ただろう。それよりなんだその恰好は…」
「…虫とり少年、みたいな?」
部屋に戻ると外に行くために半袖とハーフパンツに着替えたナマエがあれやこれやとリュックに詰めていた。鞄に詰めている中身には空の試験管から虫取り用のカゴや網が入っている。そのリュックを背負ってこちらに向き直ると、たしかに子どもが夏にしている恰好に似ているような気がした。
だが、彼は見た目は少年ではなく青年であって、暑いさから逃れるためとはいえ普段は見る事のないほっそりとした素足が目をくぎ付けにする。これがギャップというものか、と一人納得するスネイプだった。
「せっかくだからセブルスの手伝いをしようと思って」
「ならこれも入れておけ」
「あ、採取キット。じゃあ預かるから必要になったら言ってね」
「あぁ。それと帽子はかぶれ。熱中症になる。…荷物も少しは減らせ」
採取キットを四次元になっているリュックに入れ、ついでにと麦わら帽子をかぶせるとまだ太陽の下に出ていないと言うのにその笑顔の眩しさにスネイプは目を細めた。
*
「セブルス大丈夫?はい水」
「用意周到だな…ありがたくもらおう」
ナマエがのんきに鼻歌を歌いながら森の中を歩いていくのに対し、スネイプは重い足取りでのろのろと歩いていた。森の木々に阻まれて日の光が直接届く事はないが、それにしても熱かった。誰の目もないというのに相変わらず真っ黒な服を着ているスネイプに水や冷えたタオルを差しだしながらナマエは笑った。
(疲れるだろうと思って色々持ってきて正解だった!)
スネイプにはリュックに余計な物を入れるなと怒られたが、やはり用意周到くらいが丁度いいのだ。
暑さに耐えるのに精いっぱいなスネイプの代わりにちょこちょこ植物を採取しながら歩いていくと、次第にひんやりとした空気が漂ってきた。泉が近い証拠だ。
「あ、見えてきたよ。あれが泉」
ほら、と指さしたには木々に囲まれた綺麗な群青色が見える。暑さにやられていたスネイプも、その青さには目を奪われた。まるで砂漠の中でオアシスを見つけた商人のような気分だ。近づけば近づくほど潤った空気を感じる。水辺という事もあって、そこは今まで通ってきた道よりも涼しく、随分と呼吸が楽になった気がした。
ナマエを先頭に泉のまわりを少し歩くと、丁度足がつけられそうな浅瀬にやってきた。泉の周りをぐるりと囲うように生えている丈の短い草原の上へとリュックをおろすと、おもむろに手を突っ込んだ。タオル、水、試験管と様々なものがぽんぽんと出てくる。
「セブルスも足だけつけなよ。見るからに暑そうだし」
「うむ…そうだな」
さすがのスネイプも暑さにはかなわない。リュックの中から取り出されたタオルを受け取ると、泉の縁にあった丁度いい岩の上に腰をかけた。
ナマエも後を追うように靴を脱いで、やわらかな草の上から冷たい水の中へと指先から浸かった。足を沈めて地面を踏みしめれば、水はちょうど脹脛のあたりで波打った。一歩歩けば冷たい水が足にまとわりついて気持ちがいい。
興味本位でザブザブと音を立てながら奥へと進むと、水草の塊がぷかぷかと水面から顔を出していた。水草にしては変わった、赤っぽい色をしているそれはナマエの脳内辞書にピンと引っかかった。
「セブルス!これめちゃくちゃ高い水草だ!えーっとなんだっけ、ほら赤い奴!」
肝心の名前は思い出せなかったが、乾燥された状態の物を薬問屋で見た事があった。
石の上から水中へと足を放り出しているスネイプに大声でそう言って手招きをすると、あからさまに驚いた様子で立ち上がった。こちらに来る前に近くに置いてあったリュックから虫取り網と試験管を探し出すと、捲り上げたズボンの裾が濡れるのもおかまいなしに水の中を早歩きでやってきた。ぷかぷか浮かぶ水草を指させば、持ってきた虫取り網でそっとその水草をすくい取る。それを見るスネイプの目は感動に溢れていた。
「これは今や幻と言われる赤水草だ!今は見る事はほとんどないというが…。やはりこの森には昔の植物が生息しているんだな」
「本当?あっちにも色違いみたいなのがいるけど」
ナマエの視線の先には全く違う色の水草が波に乗ってぷかぷかと浮いている。スネイプは虫取り網の中にいる水草を少し取って試験管の中に入れると、残りを元通りに放流して色違いの水草へと標的を定めた。
「よし、捕まえるぞ。だが採取のし過ぎは生態系が崩れるからな。採取は少しだけだ」
「…ふっ、なんか今日はセブルスが子どもみたいだね。まぁ僕から見たら子どもなんだけど」
虫取り網をかまえるスネイプは、珍しく生き生きとしていてナマエの目にはそれこそ夏の日によく見る虫取り少年に見えた。取っているのは見た目は地味な水草ではあったが。
あまりにも面白い絵面で、我慢しきれずに笑ってそう言えば、網を持ったスネイプがじっとこちらを見つめた。
「何、どうしたの?」
たらりと首を伝う汗を着ていたシャツの袖で拭きながら問いかければ、スネイプは何を言う訳でもなく波を立ててこちらへやってきた。元々遠くにいたわけではない、その距離はあっという間に縮まった。きょとんとして少し上にあるスネイプの瞳を見れば、ナマエを見下ろすその瞳は、きらきらと光を乱反射させている。それは綺麗な宝石のようで、言葉を紡ごうと開いた唇は、言葉を発する事はなかった。一瞬あたたかな何かでふさがれ、その宝石のような瞳と自分の視線が絡み合った気がした。同時に香った少し苦い匂いは、よく嗅ぎなれた彼の匂いだ。
「!?」
「子どもがこんな事をするかね?」
次の瞬間にはニヤリと意地悪そうに笑うスネイプが至近距離にいたものだから、能天気だったナマエの脳内はフリーズを起こしていた。スネイプに触れるのはいつも自分ばかりで、こうしたキスは身体が戻ってから初めてだった。
もう何十年と触れる事のなかったそこは、たった一瞬でも熱を帯び、心臓がうるさいほど高鳴る。あまりにも突然の事で、うんともすんとも言えずにまるで金魚のようにぱくぱくと口を動かすナマエを今度はスネイプがフッと鼻で笑った。
「いつも余裕綽々なお前が固まるなんて面白い物が見られた」
「そ、れはセブルスがキ、…キスするから!」
「口づけくらいで何を恥ずかしがっているのやら」
「笑うな〜!」
ニヤニヤと口角をあげるスネイプに、手で水を掬ってかけると攻撃されると思っていなかったのか少量ではあったがその水は見事にシャツに命中した。水にぬれたシャツはべったりと肌にまとわりつき、濡れた側は気分がいいものではない。
「ナマエ…我輩に攻撃した事、後悔するなよ」
「反撃される前に逃げる!!」
まるで生徒に怒る時のような鋭い目をしたスネイプの気配を察知すると、ナマエは真っ先に逃げ出した。生徒におそれられるだけあって中々に迫力がある。追い付かれたら何をされるか分かったものではない。逃げる方も必死になる。
水の重さで動きが鈍る足を必死に動かせば、心臓がまたバクバクと高鳴った。その心音の高鳴りが、走っているせいなのか、さっきの出来事を思い出しての事なのか。ナマエは自分の気持ちに気づかないフリをして、泉の中を脱兎のごとく駆け抜けた。
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初めてのキスはきっとリドル。