白銀まみれの幻
どんな時代であれ、森に街灯なんてものはなく頼れるのは月明りのみである。更に木々が覆いかぶさる森の中では、月明りが届かない場所もざらにある。
杉元一味はそんな薄暗い森の中で集めた乾燥した枝に火をつけ、捕まえた動物や香草を使って鍋料理を作っていた。それは良い匂いを辺り一面に漂わせている。あたり一面雪に囲まれ寒々しいが、この鍋を囲う三人の周囲は火で照らされて暖かかった。
「アシリパさんの作る飯は毎回うまそうだな」
「だな〜。脳みそと目玉はまだ慣れないけど」
「なんだと〜?」
鍋の中でぐつぐつと揺らいでいるのは和人の杉元と白石のために団子に丸められたリス肉だ。ニリンソウで味付けをすれば、この一行にはお馴染みのつみれ汁の完成である。白い煙がうっすらと線香の煙のようにあがっていくその光景も、またおいしさを増す材料になっている。
漂った良い香りにつられてか、近くの木々もざわざわと木を揺らしていた。
「ほら、アシリパさんの料理につられて動物たちもやってきたんじゃない?」
「本当か?いい匂いか!?」
「あぁ。なんだろうな、タヌキかなキツネかな」
ガサガサ。ゴソゴソ。
そんな三人の元に不審な音は近づいてくる。それは想像以上に大きく、そして素早い。
あれ、もしかして。三人がそれぞれその音のする方へと視線をやると茂みの緑が大きく揺れた。それは熊や鹿がやってきた時と比べても大きなものだ。思わずごくりと息を呑んでその茂みを見守る。
「…あー、人間発見」
「(((人間だ!!)))」
茂みを分け、顔を出したのは杉元と同じような軍帽をかぶった男だった。いや、軍帽をかぶっているからこそかろうじて男だと判断できた。顔だけ見れば男とも女とも取れる美しい中性的な顔立ちで、あまり軍人らしくない風貌だ。
その男と杉元の視線が交じると一瞬不思議な間が流れた。
杉元からすれば予想外の人間の登場に驚いていたのだが、男は気にもしないようにガサガサと茂みの中から全容を現した。肩に乗った雪をバサバサと落とすと、改めて杉元達と向き合う。男は背中に小銃を背負い、よく見慣れた軍服に身を包んでいた。
(こいつ、第七師団の人間だ!)
間違えるはずがない。何せ何度も追われているのだ。その姿は脳にしっかりと記憶されている。
ということはまさか周囲を包囲されているのか、と一瞬嫌な妄想が杉元の頭をよぎったが、それならわざわざこの男だけノコノコ出てくる意味が分からない。そもそも軍において一人で、ましてや夜の雪山で行動するなどもってのほかだ。(例外は一人いたが)まさか遭難者なのだろうか。
「お前たちはこんな所で何してるんだ?」
「何って、飯を食っている。オハウだ」
「オハウ?これは君が作ったアイヌ料理か」
「そうだ」
男は至って普通に、世間話をするように近寄ってくると鍋をのぞいた。
鍋はすっかり沸騰していてぐつぐつと泡を伴っている。あぁ食べ時を逃した、とちょっと残念な気持ちになるが今はそれより重大な事が目の前に転がっている。この男の事だ。
もしも鶴見の部下の場合、何の手も打たなければ自分達の情報を流されるだろう。隊が違っても、遠回りに鶴見の耳に入ってしまうかもしれない。どちらにしろ危険人物な事には変わりはないが、まずはどちらか、見極めなければならない。
さてどう出るべきか。
杉元が出方を伺って無言を突き通す。すると男の視線がふと杉元を捉え、顔「あぁ」と小さく声を漏らした。
「俺、お前のこと知ってるぞ。この前海に全裸で飛び込んだ奴だろう」
「!?」
「あぁ、私も見たぞ。なんかちいさ」
「それは海のせいだから!そうじゃない、あれを見てたってことはやっぱりお前鶴見中尉の部下だな?!」
「あっ!たしかに!」
あの場いた軍は鶴見中尉の第七師団だけだ。しかも杉元が海に飛び込んだのなんて追ってきた船に乗っていた人間しか知らない事なのだ。
それに気づいた白石が素早く警戒してその場を飛び退くと、その場には静寂が訪れた。同時にピンと緊張の糸が張られる。
抵抗される前に殺すか、それとも捕えて情報を吐かせるか。杉元は腰に下げた剣にそっと手を伸ばす。
しかし、張りつめていた緊張の糸を切ったのはクックッとのどを鳴らして笑う男だった。
「俺はちょっと前に脱退したよ。今はお前達と一緒で捕まると大変なんだ」
「は?脱走兵?」
「そう。訳ありって奴だな」
「…信用できない」
「だろうな。俺がお前だったら同じ事を言う」
だったら自分の身が今どういう状況か、なんてことは手にとるようにわかるだろうに。
男は武器を構えるわけでもなく、逃げるわけでも助けてくれというわけでもない。いつ殺されてもおかしくないというのに、ただただそこにいて口を動かしているだけだ。だが、一見無害そうに見えるが、軍人という人間はみな油断ならない。油断させておいて攻撃をする機会を伺っているかもしれない。
アシリパを隠すように杉元が前に立ち、剣の柄を握る手に力が入る。
すると、この男にはやはり緊張感というものが欠けているらしい。一触即発というこの時に「くちゅん」、と何とも可愛いくしゃみをしたのだ。そして更に空気を読まない男がもう一人。
「わははは!!お前その出で立ちでそのクシャミはかわいすぎるだろ!」
「…うるさいハゲ」
「ハゲ!?お前ちょっと見た目がいいからってこの」
「なぁ杉元。私はもうオハウを食べたいんだが」
「…はぁ」
おちょくった白石が見事に雪玉をぶん投げられるのを見て、その場の緊張感という物もどこかへ行ってしまったようだ。
*
「ほら、口開けろ」
「あーん。…うん、うまいな。これ」
杉元が匙をミョウジ(勝手に名乗った)の口へ運ぶと、雛鳥のように素直に受け入れもぐもぐと咀嚼した。次、と催促されるがままにまた一口運ぶと、本当に親鳥になった気分になる。白石とアシリパがやりたそうな顔をしているが、ここは抵抗されてもすぐ反撃ができる杉元が自ら名乗り出て得た権利なのだ。
「うまい時はヒンナって言うんだぞ!ミョウジ」
「ヒンナヒンナ」
オハウの味も言葉も気に入ったらしい。のんきにヒンナヒンナ言うミョウジにアシリパと白石も食べながらヒンナの大合唱だ。きっと森中にその声は聞こえているだろう。そんなに大声で感謝せずとも神には伝わっているだろうに、陽気な三人は気にしていないようだ。
「ヒンナは神に感謝する言葉だ」
「へぇ〜」
「ちょっとアシリパさん。こいつ危ないから近寄りすぎちゃダメだよ」
「え〜〜。これなら襲われないだろう」
「ダメなもんはダメ」
アシリパのこれ、というのは布で後ろ手にギチギチに縛られたミョウジの事だ。腕を縛る事と武器の没収。それがこの男がここにいる間の条件というやつである。
足も縛りたいところだったが、熊が出た時逃げられないのは哀れだとアシリパの慈悲によって手だけで免れている。ついでに言えば、足も縛ると白石が何かしでかしそうなのだ。何故か初対面の頃からソワソワしている白石はきっとこの顔の虜にでもなってしまったのだろう。やはり残念な奴である。
杉元も自分の分の食事を終えると、ようやく縛られたミョウジへと注意を向けた。
火を眺めるその瞳は鏡のように燃え盛る赤を反射させている。そこから何を考えているかなんてことは不器用な杉元にはできなかった。
「っくしゅん」
「まだ寒いのか。寒がりかお前」
「まぁな…火があるだけマシだけど」
ここ数日雪山の中でずっと潜んでたからな、と零すミョウジは本当にしんどかったのだろう。手が縛られているからか身体をさすることもできず、冷たい風に晒されてガタガタと体を揺らしている。
「そうだ、ちょっとアイヌの子こっち来て」
「なんだ?」
「ちょっとまて。用件なら俺を通してからだ」
「うわ、面倒くさ…」
面倒な男は嫌われるって知らないのか、と言い放たれたその言葉に杉元は胸を押さえた。少しばかりショックであった。だがアシリパを近づけるわけにはいかないのだ。白石ならまだしも。
第七師団、しかも元鶴見中尉の部下という怪しさ百点満点のこの男に対して完全に警戒を解いたわけじゃない。
「子供体温だから温石代わりにしようと思っただけだよ」
「ダメ!俺もやった事ないのに!」
「そっちかよ。じゃあお前でいいよ。どうせ今日はお前が不寝番だろ」
隣に座っていたミョウジが腕が使えない分、勢いを付けて立ち上がる。そしてあぐらをかく杉元の上にどかっと勢いよく座って後ろに寄りかかった。かぶっていた軍帽が杉元の顎にぶつかるのもお構いなしに、むしろ押し付けるように座る。
その姿はまるで殿様のような振る舞いっぷりだ。顔は見えないが偉そうな顔でもしているのだろう。
「よきにはからえ、なんてな」
「ミョウジ!俺は!?俺は?!」
「座り心地悪そうだからいやだ」
「切ねぇ…」
たしかにミョウジが乗った事で杉元自身もあったかくはなったのだが。
メンツを保つために引きはがすべきか、暖かさを甘受すべきか。そして何よりミョウジの後盒がほどよく杉元の腰に押し付けられている件をどう指摘したものか。
寒さで回らない頭を無理やり使っていると、あぐらの上に鎮座するミョウジが後ろに少し振り返った。ミョウジの方が体格が小さいとはいえ、大の大人同士だ。座れば顔の高さはおなじくらいで、想像以上の顔の近さにギョッとする。
「なんだ」
「今日は俺が不寝番につきあってやるよ」
「…そりゃどうも」
ありがたいようなありがたくないような、申し出に杉元はミョウジの肩に顎をのせた。
なんやかんやで一番絆されているのはこの男なのだ。
*
北海道の夜は冷える。
それはもうあっという間に凍死してしまいそうなほどには。その分空気は澄みきっていて、天井に広がる硝子のように煌めく星々を眺めて夜を過ごすのが杉元なりの不寝番の暇つぶしであったのだが、この日ばかりは足の上に座り込む美しい人間の声に耳を傾けた。
出会った動物や、草花、兵士時代の他愛もない事をだらだらと喋っているとあっという間に時間は過ぎる。暗闇から淡い朝日を受けた青が東の空からのぼる頃。
「っしまった!」
杉元はパチパチと火が爆ぜる音で目を覚ました。
皆が囲うようにしていた火はわずかに音と立てながら燃えているが、管理をしなかったせいかあと少し寝ていたら消えるところだった。準備しておいた薪を継ぎ足し、ひとまず炎が回復するのを確認して、キョロキョロとあたりを見渡した。白石とアシリパはまだ眠っているが、昨夜出会ったあの男の姿が忽然と消えているのだ。
どこを探しても見当たらず、自分の幻覚だったのだろうかとも疑ったが、あのあぐらの上にいた体温は本当だったはずだ。
「あ」
そして冷静になって周囲を見渡してみると、取り上げておいた武器がなく代わりに布が落ちていた。そこから点々とひとつの足跡が雪の上に残っている。大きさからして男のものだ。足跡の横には溶けかけた雪の上に、指でなぞって書かれただろう字が書かれている。
『またな』
「…全く、身勝手な奴だな」
結局あれは幻覚なんかではなく、第七師団からの追手でもなかったのだろう。寝てもなお無事でいる身体がその証拠だ。ただ寒がってオハウをおいしそうに食べる一夜を共にした男を思い出して、杉元はその文字を足で消した。
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リクエストありがとうございました!
杉元達とまだ出会っていなかったので思い切って出会う話かきました!