監視という名の
「あ、バーボンからメールだ。何々…『話を合わせろ?』」
黒の組織からの連絡もなく、特にこれといって事件に巻き込まれるわけでもなく。至って平和な一日をカフェで満喫していた所に送られてきたメールにナマエは首をかしげた。
はて、話とはなんだろうかと。
今は一人で誰かと話をしていたわけでもないし、全く合わせる話に心当たりがない。どう返事を返したらいいものかと携帯の画面を見ていると真っ白なメールの画面から急に着信画面へと切り替わった。ブルブル震える振動が、現在進行形で着信している事を伝えている。できるだけ取りたくはないが、この電話は取らなければ更に怖い目にあってしまう。3コール目にしてようやく着信ボタンを押した。
『お前は毎回電話を取るのが遅い』
「ごめん。で、何。ジン」
『…お前は組織の中で誰が匂う』
「匂うって何?異臭?」
『馬鹿が。ネズミの話だ…』
ネズミ。ジンがよく使う言葉だ。組織に潜り込んだネズミ、つまりNOCの事だ。
(まさかNOCだってバレた?)
いやそんなはずはない。NOCだとバレたら、いや疑いがかかったら断罪するのがこの男だ。わざわざ聞いてくるあたり何か思惑があるのだろう。身体にはじわりと冷や汗がにじんだが、すぐに平静を装ってジンに切り返した。
「あぁ、ネズミ。そうね…私はバーボンが怪しい、というか苦手ね」
『バーボンか…』
「えぇ、あの探り癖がどうもね。ねぇ、用事ってこれだけ?」
『あぁ』
本当に要件はそれだけだったらしい。耳にあてたスマホからはピロリンと一方的に着信が切られた電子音が鳴った。時間にして約30秒もなかっただろう。
ジンとの電話は短時間でもいつも心臓がバクバクと爆音を立てるくらいに緊張する。もちろん悪い意味で、だ。
ナマエはその心臓を落ち着けるように深呼吸をしてから、今度は発信画面に11桁の数字を打ちこんだ。発信ボタンを押せば、その電話は1コールも待たずにすぐに繋がった。
「ハロー、安室さん。さっきジンから電話があったからあなたを引き合いに出したけどそれで良かったんですか?」
『お疲れ様ですナマエ。僕もジンに聞かれてビターズを疑っていると言っておきましたからおあいこです』
こちらから電話がかかってくるのを予想していたのか、飄々とした声で爆弾を落とした安室にナマエは思わず携帯越しに「はぁ!?」と叫んでいた。突然叫んだナマエに、店内にいた客は何事かと視線を寄越したが電話をしているのだと分かるとすぐに興味をなくしたように自分の空間へと戻っていった。それが少し気恥ずかしくて、ナマエは声を潜めた。
「なんて事を、…いやそれはもういいです。それより奴らはネズミ狩りでも始めたんでしょうか」
『まぁ似たような事をやるみたいですよ。連絡は追ってすると言っていましたから…、すぐ殺されるわけじゃないと思います』
「は〜〜…しばらく生きた心地はしないわ」
『まぁ気長に待ってみましょう』
とは言ってもやっぱりあんな事があると落ち着かない。
あの後すぐに会計をしたナマエは真っ直ぐ家に帰った。まさか突然殺されるなんて事はないだろうが、家にいた方が安心できるのだ。BGM代わりにテレビをつけ、ナマエはテーブルに座り羽ペンとインク、長く丸めた羊皮紙を取り出した。インクを吸ったペンで羊皮紙の上を滑らせれば流れるような筆記体がつらつらと書かれていく。それは魔法省への報告書で、長々と書かれた文章は羊皮紙1mにも及んだ。
何せ黒の組織の任務への潜入が仕事のナマエにとって、任務がなければ暇なのだ。報告書を書く時間はいくらでもある。他のコードネームを持った人間に接触してもいいが安室の事があった手前またバレるとも限らない。
(バイトでもしてみようかな)
お金はあるにはあるが、このままだと組織の任務と報告書を書く事しかやる事がない。羊皮紙を丸めながら今後の事について考えているとピンポーンとインターホンが鳴った。
インターホンが鳴る事なんてないはずなのだが。だが間違いなくこの部屋の物が鳴っている。念のためにと片手に杖を持ち、恐々とドアに近づくとドア越しに聞き佩簿のある声が聞こえてきた。
「ナマエ、僕です。安室です。」
「安室さん?」
鍵を回してドアを開けると、たしかにそこに立っていたのは安室だった。手には何故かキャリーケースを引いている。何故ここに、という疑問はあったが家の前で話しているのを見られるのはお互いよくはないだろう。「とりあえず入って」と用件も聞かずに室内へと招き入れた。
「突然どうして、というよりなんで家が分かったの?」
「この前会った時に発信器を仕掛けさせていただきました」
「…」
手を組んだと言ってもやはりバーボンとしての本質、探り屋という点は代わりないようだ。まんまと油断していた。ちょっと裏切られたような気もしたが、味方なのだから問い詰める事はしなくていいだろう。
廊下を進んでリビングに入ると安室は少し驚いたように目を見開いた。
「すごい、アンティークの家具ばかりですね。しかもなんですかこの壁。リフォームでも?」
「家具はイギリスから持ってきた奴。壁とかは魔法。適当に座って。コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「それではコーヒーで」
室内はイギリスからトランクに詰めて持ってきた家具や小物で溢れかえっている。どれもこれも歴史があって捨てるに捨てられないのだ。木製のテーブルも革張りのソファも使い古されて所々色が違うがそれもまた愛しく思えてくる。少しグリフィンドール寮を意識して暖炉まで置かれたこの部屋は、日本にいてもイギリスを思い出せる心安らぐ部屋なのだ。
ナマエはリビングと隣接しているキッチンに行くと豆とコーヒーミル、マグカップなど必要な物を取り出して魔法をかけた。魔法のかかったそれはひとりでに豆を挽き、ゴリゴリと独特の音が鳴る。
「で、何か用事があってきたんでしょう?」
そう話しながら安室の待つリビングに戻ると、巻きかけの羊皮紙を丸めながらそう言った。巻き終えた羊皮紙はテーブルの脇に置き、安室の座るソファの隣に腰を落ち着けた。
「あぁ、実はさっきジンから電話がありまして。端的に言いますと僕はビターズを、ビターズは僕を監視する事になったようです」
「は?」
「相互監視とでも言うんでしょうか。お互い疑っている者同士を組ませているようです」
ようは疑っている者同士監視をさせて疑心暗鬼にでもさせたいのだろう。どちらかの尻尾が捕まれば万々歳という事だろう。だがナマエと安室に関してはお互い立場を理解しているからこそ監視する必要もないとは思うのだが。
「もしかしてそのキャリーケース…」
ちらりと安室が持ってきたキャリーケースを見つめるとご名答と言わんばかりに安室はニコッと効果音がつきそうなくらいの笑顔を浮かべた。わざわざキャリーケースを持って家に来るなど嫌な予想しかつかない。
「えぇ、監視という名目でこちらにお邪魔しようかと思いまして」
「…盗聴器とかじゃダメ?」
「生ぬるい事をしているとジンにこちらが疑いをかけられそうなので嫌です」
たしかに中途半端な事をするとジンに打ち抜かれそうだが、プライベートにぽんと知り合いを受け入れるのも中々難しい。
とりあえず落ち着こうとコーヒーセットをアクシオで呼び寄せると、目の前に飛んできたコーヒーに安室は心底驚いていた。淹れたてのコーヒーに口をつけると、それはとても苦く、今の自分の気持ちを表しているようだ。
「これはお互いの為でもあるんですよ。疑いあっている僕達が一緒に住んでも尻尾が出なかったと報告すれば少しは疑いも晴れるでしょう」
「疑いって自分たちで撒いた種ですけどね、」
「綺麗すぎるより良いと思いますが」
「何言っても引く気なさそうですね…」
「もちろん」
はぁ。大きなため息をついてからコーヒーを飲み干すと、ナマエは杖を持って廊下へと繰り出した。何かするのだろうと安室も後に続くと、廊下にある扉の内ひとつを開いて何かを呟きながら杖を振っている。それはまるで神主が御幣でお祓いをしているような、どこか神聖な雰囲気だった。
「安室さん?どうかしました?」
「え?あ、いや。なんでも。それより今のは?」
「仕方ないから物置を広くしました。お部屋はこれで十分ですか?」
その不思議な雰囲気に見惚れていると、ナマエの怪訝そうな目と目があった。慌てて目を逸らして何事もなかったかのように魔法をかけたのであろう元物置をのぞくと、あきらかに物置ではない部屋の広さに頭がフリーズした。どう見ても外見の壁と室内の壁の幅が違う。
魔法とはなんでもありのようだ。
「魔法で拡張したので好きなサイズにできますよ。もっと広いのがいいですか?」
「いや、充分です」
「家具は私の使い古しで勘弁して下さいね。あなたが私のテリトリーに入るんですから号に入れば郷に従え、ですよ」
「それはここの住んでもいいと?」
「…これも任務の一つです」
渋々、と言った様子のナマエに安室は苦笑いした。
その後。古ぼけたトランクから仕舞いっぱなしだったアンティークのベッドや机、チェストなどが出てきて安室がまたあからさまに驚き、その反応に気を良くしたナマエがいたずらっ子のような笑みを浮かべて魔法を連発する姿があった。