深夜帰りは気をつけて


「時計回りに三回、反時計回りに二回…」

ぐるぐるぐる。ぐるぐる。

記憶の中のレシピを参考に、右に左にと決められた回数鍋をかきまぜる。白い煙をあげる鍋の中には、この世のものとは思えない色合いの液体がふつふつと揺らめいていた。
決められた材料、かきまぜる回数、タイミング。それを守るために三日三晩徹夜してかかりっきりで作ったこの魔法薬は、今ようやく完成形までたどり着いたのだ。

最後に一回ぐるりとかきまぜれば、煙が白から淡い金色へと変わる。香りも少しさわやかなオレンジの香りだ。

「うんうん、我ながら完璧ね」

その魔法薬を小瓶につめれば、ナマエの肩の荷もようやく降りた。
夜も朝もこの鍋ばかりを気にしていたのだ。これでようやくゆっくり眠れる、と思えば気も緩むものだ。ふわぁ、と大きく欠伸をした。

(喉乾いたな)

そういえば水を飲んだのもいつだっけ、と思い返してみたが全然思い出せなかった。とにかく喉が渇いたと一度認識してしまうと、水を欲するのが人間というもので。

水を求めてキッチンに向かい、冷蔵庫の中に入っているペットボトルのキャップをひねった。まるで風呂上りのように腰に手をあてて煽るように飲むと、よっぽど喉はカラカラだったらしい。じわじわ水が身体に染み込んでいくのが自分でも分かる。
気づいた時には一本飲み干してしまっていた。

「ふぅ」

水を飲むと多少は頭もスッキリした。ようやく視野が広くなってきた。

カーテンを閉め切ったリビングは、自分が薬作りに入る前となんら変わりがない。安室も数日帰ってきていない事は容易に予想がついた。

(そういえば今何時だ?)

部屋に引きこもっていたせいですっかり時間間隔もおかしくなってしまった。カーテンを開けて少し外を覗いて見れば、今は真夜中のようだ。わずかにこぼれる部屋の光の数が少ない。

これなら今眠っても丁度いい時間帯だろう。再び大きな欠伸をして、今日はこのまま寝るかと算段をつけているとふと玄関の方からガチャガチャと金属音がした。

この部屋の鍵を持つ人間は自分ともう一人しかいない。ナマエは眠い目を擦りながら玄関に行くと、そのドアがようやく開かれた。

「おかえり、安室さん」
「んー…ナマエさん?」
「どうも」

いつもキッチリ着こなしているスーツを着崩し、ゆるゆるのネクタイをしている安室は、俯き気味の顔を上げた。随分と赤らんだその顔はいつもより幼く見える。心なしか瞳も潤んでいるような。その潤んだ瞳でナマエの顔を見るなりぼーっとしたかと思えば、靴を脱いでズカズカと近寄ってきた。
そしてなんの前触れもなく両手を大きく広げると、ぼーっとしていたナマエの身体をぎゅうと抱きしめた。

「!?…うっ!安室さん香水臭い!!」

首に回る想像以上に力強い腕よりも先に、ナマエの一言目はそれだった。

抱きついたと同時に強烈に漂う甘ったるい香水は、ひどく不快な匂いだった。この人工的な匂いは鼻をつまみたくなるくらいには嫌いだ。まだ魔法薬の材料の匂いの方がマシだと断言できるくらいにはナマエは嫌いだった。身体を包み込む全身からその匂いが放たれていてたまったものじゃない。

「うー…」
「ちょっと離れて下さい…!あぁ、お酒の匂いも混じってるし…、安室さん酔ってますよね!?」

甘ったるい匂いに隠れて、吐き出される息は酒臭い。酒と香水のダブルパンチに気分は最悪だった。
しかも抱きついたまま離れない匂いの原因は、肩口に顔を埋めて顔をあげようともしない。

酔ってる。これは酔っている。
確実にそう断言できた。安室という人間はそれこそどこでもキチッとしている人間であって、酒で寄っているという理由がなければこんなヘロヘロになるわけがないのだ。

「は〜、やっぱりこの匂いが落ち着きますね…すー、はー」
「ちょっと、深呼吸しないで下さい!今薬臭いんですから!!」
「薬ぃ…?まぁた徹夜ですか…」

首元で深呼吸などされたら、くすぐったくてしょうがない。おまけに声も耳の近くで囁かれるものだから、ナマエは無性に逃げ出したい気持ちに駆られた。

(なんだこれは…)

安室とはいつも一定の距離感を保っていた事もあり、こんなに至近距離。いや距離がゼロセンチになる事なんて初めてだった。身体が密着しているせいか、それとも不快感からか。妙に心臓の音がうるさく響く。

「もう安室さん!」

このままではダメだ。離れて、と主張しようとした時。肩にかかる体重がぐんと重くなった。

「…ぐ〜」
「…嘘ぉ」

それはたしかに寝息だった。
安室は器用にも立ったまま寝たらしい。重くなったのは無意識のうちに体重をかけているからだろう。まるで糸が切れた操り人形のようにその体重をナマエの身体へと枝垂れてきた。

成人男性の、しかも意識がない身体なんて女子一人には支える事などままならない。このままだと押しつぶされてしまいそうだ。

(うぅ重い)

とは言っても頼みの杖は部屋に置きっぱなしであったし、取りに行くにしても安室は重い。
仕方なくその重い腕をほどいて、かける体重の行き場を失った安室を床に寝かせると、ナマエは自室から杖を持って戻ってきた。

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」

手首に軽いスナップを利かせながら、杖を振るえば眠ったその身体は羽のようにふわりと宙に浮いた。きっと本人がここで目を覚ましたらパニックに陥る事は間違いないだろう。

彼を廊下に浮かせたまま、安室の部屋までやってくると、少し開くのを躊躇った後ゆっくりとドアを開けた。

(安室さん勝手に部屋入ってごめんなさい)

中はあまり生活感のない、シンプルな部屋だ。まがりなりにもナマエの部屋だという事を気にしているのか、あまり私物は持ち込んでいないらしい。
部屋の端に控え目に置かれたベッドの上に安室を寝かせ、布団をかぶせると自然に口からため息のようなものがこぼれた。

さきほどまでは自分の体はたしかに薬臭かったはずが、今度は香水と酒の匂いが混じってすごい匂いを発しているのだ。これは早急に風呂に入らなければ。

「…うぅ、」
「…」

聞いた事もないような、苦しそうなうめき声に安室の様子を伺えば、眉間に皺が寄っている。

(これは風呂の後にアレを作ってあげないとダメかな)



「おはようございます。安室さん。はいお水」
「すみません…」

大きく開けた窓からは目を細めるほど眩しい太陽の光が部屋の中へと差し込んでいる。あれからすぐに夜は明け、今はもう朝だ。

適当にコンビニで買ってきた食パンをトースターで焼いていると、安室が頭を抑えながら起きてきた。
やはり酒を飲み過ぎたらしい。頭を抑えてよろよろ歩く姿は典型的な二日酔いのスタイルだ。
ナマエは笑いながら用意してあったコップ一杯の水を差しだした。それを素直に受け取り、ゴクゴク飲み干すと、安室は柄にもなくソファにだらりと横になった。

「体調はいかがですか」
「最悪です…。ナマエさんにはご迷惑おかけしたみたいで」
「記憶飛んでるんですね」
「えぇ。僕何かしました…?」

お酒と香水の匂いをぷんぷんさせながら帰ってきましたよ。
と昨日の泥酔した姿をチラつかせてみれば、安室はひどくショックを受けたような顔をしていた。

やはり完璧主義なのだろうか。そういう所を見られるのは嫌だったのかもしれない。そうは思ってもアレは中々衝撃的だったのでやっぱりナマエは言わずにはいられなかった。毎回酔いつぶれてあぁなってしまってはこちらの身も持たない。

「昨日は接待でキャバクラに連れてかれたんですよ……」
「ふーん?…まぁ私はいいですけど。あの匂い付けてる時は帰ってこないで下さいね」
「全然いいって顔してませんよ」

怒っているつもりはないのだが、安室からしてみれば不機嫌そうに見えるらしい。ただ香水と酒臭さは思い出すだけで眉間に皺が寄ってしまうのは仕方がない。嫌いなものは嫌いなのだ。ナマエは昨夜の事を思い出して、何度目かのため息を吐いた。
そして未だに頭の痛さに打ちひしがれている安室の前に、小さな小瓶を差し出した。

「これ、あげます」
「これは…なんですか?」
「二日酔いによく効く薬です。魔法薬だから一発で治ります」

中身は寝る前に作った二日酔いによーく効く魔法薬である。
比較的簡単なこれは、魔法薬作りに手慣れたナマエにとっては朝飯前の薬だ。ただ、この魔法薬。見るからに色がおかしかった。まるでアメリカのお菓子のような、人工的でポップなカラーリングなのだ。薬と言われなければ、ちょっとオシャレな小瓶に入った絵の具のようにすら思える。

「えっ」
「ただし味、匂いともに最悪です」

材料は煎じたニガヨモギ、ヒル、ゆでた角ナメクジ…。
つらつらと使った材料を述べると、安室の顔がどんどん青くなる。確実にそれは二日酔いなどではなく、この薬のせいだろう。マグルの薬にはまず100%入る事のない材料が使われているのだ。最早罰ゲームのようである。

「…飲まなきゃダメですか?」
「ダメです。これ飲んで今日も元気に頑張りましょう」

にっこりと笑うその笑顔に、安室は少し涙目だった。


(今度から絶対気を付けよう…!)