旅の薬師四
白い光が眩しい太陽が真上に登る頃。
「スゥー…」
すっかり寝過ごした私は着物がはだけるのも気にせず、薄い布団の上で寝煙草をふかしていた。窓から差し込む光に、煙管からのぼる白い煙が光る。それは甘い匂いを放ち、私の鼻孔をくすぐった。
しかし、煙管の中に入れた刻み煙草が燃え尽きればその白い煙はすぐに姿を消す。店主に借りた煙草盆に、燃え切った煙草の燃え滓を捨て、新しい煙草を丸める。
あまり行儀は良くないが、誰も見ていないから良いだろう。たまにはこうしてのんびり身体を休めるのも悪くはない。朝食を食べ損ねたせいで腹は鳴っているが、今は煙草の気分なのだ。
「フゥー…」
これが吸い終わったらもう一度寝てしまおうか。
口の中に広がる煙をふっと吐き出して煙に目を細める。自分の息を吐き出す音は、静かな娼館の中にまるで私だけしかいないような感覚に陥るくらいよーく聞こえる。
すると昼だというのに、妙に規則正しい足音が小さく聞こえるではないか。
ぼうっと立ち上る煙を見ながら、その足音に耳をすませていると、音はどんどんと大きくなる。そして部屋の前にスッと現れた人影は通りすぎる事なく障子に手をかけた。
はて、前にもこんな事があったような。
「失礼するよ。ここに薬師が、おや」
「あ、」
スパンと開いたその先に立っていたのは、ここ最近見た事のあるあの軍服の男たちだった。
特に障子を開け放った男のその額には。日本中探したってそんな額当てをつけているのは一人だけだろう。
たしか、鶴見中尉とそう呼ばれていた。
「どうも中尉殿。すいませんね、こんな格好で」
「いやなに、いい眺めだよ」
先頭を切ってやってきた鶴見中尉に、私はよっこいしょとジジくさい掛け声と共に身体を起こした。煙草はまだ燃えているが、客の前で吸うものでもない。勿体無いが燃える煙草を早々に煙草盆にひっくり返し、キセルもついでに箱の上に置く。
さりげなく入れ墨を隠すようにはだけた着物を直しながら、「適当にお座りください」と目で座布団のある押入れを見やる。するとすぐに彼の後ろに控えていた部下らしき男が遠慮もなしに座布団を一枚サッと鶴見中尉の前に置いていた。
いやはや私がそう伝えたのだがその遠慮のなさは素晴らしい。
「それで、お話とは?」
もちゃもちゃもちゃ。
「まずは手土産だ」と手渡されたみたらし団子を食べながら、私はようやく本題を切り出した。
口の中に広がるとろみのあるみたらしは、すきっ腹には重く感じられるが美味しい。空腹は最高の調味料と言う奴だろうか。もちもちした歯ごたえも良い具合だ。
その分どうしてももちゃもちゃと口の中が甘ったるくなってしまうのだから、これから話をするのに出されたからと言って食べるべきではなかったかもしれない。
さて、甘い口のあとにはお茶でも飲みたいと思いながら串を皿の上に戻せば、彼の傍に控える先ほどとは別の部下が計ったように茶を持ってきて少し驚いた。(よく見れば娼館の茶器だ)
「実は君に聞きたい事があってね」
「なんでしょう」
出された熱々のお茶を空気を含ませながら飲むと、口の中は随分とさっぱりした。団子はうまいが、やはり茶も一緒になくてはならないものだ。出された湯呑を机の上に戻し、「いや実はね」と切り出した彼を見る。
「実は今ケシの大量生産をしようと思っていてね」
「はぁケシですか」
うんうんと一人頷くように彼は言う。
ケシといえば赤い花が咲く見た目はとてもかわいらしい花だ。しかし見た目とは裏腹に、生る実に傷をつければ、あの”アヘン”が取れるのだ。
アヘンからは鎮痛剤として役立つモルヒネが精製できる。鎮痛剤は医学的にも薬学的にもなければ困る、必要不可欠なものだ。しかし、どんな薬も使いすぎれば悪い物へと変わる。モルヒネ中毒になる恐れがあり、私はあまり好んで使わない。
それを大量生産するとは、何か意図あっての事なのだろうが。
「誰も話を受けてくれなくてね」
「でしょうね。私もお断りします。根無し草ですから長く小樽にはおりませんし…、あいにくと私の知識は育てる方には傾いていません」
「やはりそうか。それは残念だな」
「ご期待に副えず申し訳ありません。私あくまで薬師ですので」
薬師は草花の取れる場所や季節は知っている。中には自分で栽培しているものもいるだろう。
だが私は旅の者であって、そのような物は持てるわけがない。むしろ持ってしまったならばその場所から離れられなくなってしまう。旅の薬師だと知っている彼ならば、お門違いも良い所だということくらい分かっているだろう。
「それでは…、心当たりとかないだろうか?」
「ないですねぇ。山の中に住んでる奇特な人なら知っているかもしれませんが」
窓の外からわずかに見える小樽を囲む山に目を細める。雪をかぶった山の木々は見事に真っ白の冬景色だ。
しかし、雪山の中には村を形成するアイヌもいれば隠れた一軒家もあったりするものだ。
「ほぉ。なぜだね」
「山奥に住むにはそれなりに理由があるでしょう」
狩りをするのに都合がいい、植物を集めるのに都合がいい。きっと地に根をおろした薬師もいる事だろう。水がある所に人が集まるように、自分に必要な物が近くにある場所にこの時代は住む者が多いのだ。
少なくとも小樽の中心街を探すよりは遥かに知識がある者が見つかるはずだ。
「ふむ。なるほど。ありがとう。山奥に住む人間にでも当たってみよう」
「そうなさった方がよろしいかと」
さて、話はこれで済んだのだろうか。
ズズズと程よく冷めたお茶を飲みながら、中尉の様子を伺えば「ふむ」と納得したようだった。
しかし立ち上がる様子は一向になく、まだ何かあるのかと少し身構えてしまう。
「ところできみは食事はしたかい?」
「いいえ、まだですが」
「それならどうだい。この後食事でも」
「…それ、お団子食べる前に言って下さい」
「まさかすぐに食べるとは思っていなかったのだよ」
「実は朝も昼もまだ食べていなくて腹が減っていたのです」
「そうだったのか。ならなおの事、付いてきなさい」
*
さすがに寝巻のまま外に出る訳にもいかず、手早く準備をすませて外へ出た。
軍服の中に一般人がいる光景は中々目を引くものだったらしく、少しばかり視線が痛かったがそれよりも腹を満たす方に私の意識は傾いていた。
「君はなぜ旅をしている?」
「自分の病気を治すためです」
「病気、か。そうには見えんがね。私の方がよっぽど患っているように見えるよ。ははは」
鶴見中尉に連れてこられたのは小樽の大衆料理屋だった。
丁度昼時とあって店は活気で溢れている。それなりの地位にいるお方だ。こういう所に来ないと思っていたが、彼はそうでもないようだ。部下達とは離れた席に座り、手慣れたように注文して、今はそれを待っている時間だ。
待っている間の質問はまるで尋問の時間のように思えなくもないが、本当に食事を頂けるというのだから付き合うのが道理という奴だろう。
「今すぐ命に係わる病気ではないので、ゆっくり解決できればそれでいいのです」
「それで旅かね」
「えぇ」
「お待たせしました〜!エゾジカカレーです」
「おぉ、来た来た」
聞かれ、答え、それを繰り返しているとようやく店の看板娘がお盆を持って机へとやってきた。
エゾジカカレー。
その名の通りエゾジカの肉が入っているのだろう。なんとも食欲をそそる香ばしさだ。
「熱いのでお気を付け下さい」とスプーンが入った一杯の水と一緒に机の上に皿を並べて、看板娘はササッと店の奥へと引っ込んでしまった。
「君はカレーは初めてかね?」
「名前は存じ上げておりましたが、初めてですね」
「そうかそうか」
いつもは質素倹約に努め、必要最低限の食事で済ませてきた。カレーなんてものは見た事はあるが食べた事はない。洋食を食べる余裕があれば材料を買う、そんな生活である。
ひとまず鶴見中尉が食べるのを観察し、真似をしてみよう。銀の匙に白米とカレーをほどよい具合で掬い、口に入れる。
「!!」
口に広がる味は、日本にはない濃い味だ。何種類もの香辛料が入っているのだろう複雑な味わいである。鼻を通り抜ける香は食べる前にかいだあの辛そうな匂いだ。それと、少し覚えのある何かの香り。
「これ月桂樹の葉が入ってますかね。胃の調子をよくしてくれるものです」
そう、月桂樹だ。時折薬に使うものだから覚えていた。
薬以外にもこんな使い方ができるとは、この店主は中々料理の開発に力を入れているらしい。
「しかしこれ、辛いですね」
最初は少し辛いくらいかと思っていたが、じわじわと強い辛さが襲ってくる。
おいしいにはおいしいのだが、胃の調子を整えてくれる月桂樹をなかった事にしてしまうくらい刺激的である。じんわり額にも汗が浮かぶ。
ひとまず机に置いてあった水を飲んで、このヒリヒリとしたからさをなかった事にしよう。あぁ辛い。
「何、この辛さが癖になるのだ」
「はぁ」
そう言いながら鶴見中尉はガツガツとその匙を進める。彼の額には、あの額当てがつけられていて汗が浮かぶことはない。果たして彼の口にとってはこのカレーが辛いのか伺い知る事はできない。
「(本当に食べる順番を間違えた)」
散々甘いなんて言ったが、今はあのみたらし団子の甘さが欲しい所だ。熱々のカレーを口に運びながら、そんな事を思う昼下がりであった。