鈴の疑惑
「…ない。ないわ」
やわらかな日差しがさんさんと降り注ぐ真昼間。ナマエは子ども達のはしゃぐ声が聞こえる公園の隅でベンチに座っていた。
手には鞄とテイクアウトのコーヒー、サンドイッチ。それと求人冊子。駅やスーパーに置かれているその薄い冊子をぺらぺらとページを何回見ても、いまいちピンとくる求人は見当たらない。いい加減黒の組織一本でいるのは腐ってしまいそうだと思ったナマエは仕事を求めて町中をうろついていたのである。が、思いのほか求人は見当たらず。こうして冊子で見た方が早いとフリーペーパーをもらってきて休憩がてら眺めているのだ。
事務。工場。レジ打ち。仕事はいくらでもあるものだがお眼鏡に適う物は早々ない。家から近くて、やるなら楽しそうなものがいい。
「うーん…」
えり好みしすぎなのだろうか、いやいやそんな事はない。そんな自問自答を繰り広げつつ、何度も見たページをじーっと見つめる。
「おーい!!おねえさーん!ボールとってー!!」
「ん?」
じっと見ていた求人誌からふいに子どもの声に顔をあげると、こちらにてんてんとサッカーボールが転がってきた。ボール、というのは間違いなくこのサッカーボールの事だろう。ナマエは遠くで手を振っている子どもと、サッカーボールを見比べて「私?」と自分の事を指さすと遠くで子ども達が「そうだよ!」、と頷いた。
持っていた求人誌を置いて、ボールを拾う。こういうものは蹴るのが道理なのだろうが、ナマエはうまい事子ども達の方へ蹴れる気がしなかった。格好悪いが、持ち上げて勢いよく投げると子ども達の手前でボールは落ちてしまった。
「うわ、やっぱり」
常日頃魔法に頼り切りの生活だ。物を投げるなんて腕力も落ちてきているらしい。これは本格的に仕事をして身体を動かさねば。そう思い直して元のベンチに戻ると、サッカーボールを投げた子ども達の中から一人がこちらへやってきた。小学生にしては随分とフォーマルな格好をしたメガネの少年である。
「お姉さんサッカーボールありがとう」
「いいえ」
「ねぇ、お姉さん。間違ってないと思うんだけど、この前の雨の日、米花町の大通りを走ってなかった?」
「え?」
「この鈴。お姉さんが落とした所見たんだ。お姉さんの物じゃない?」
そう言ってポケットの中からハンカチで包まれたそれは、たしかに財布につけていたあの鈴だった。わずかな傾きに反応して鳴る鈴音も耳に覚えがあるし、何より鈴の先についているちぎれた紐は財布に残る紐と合致するだろう千切れ方だ。
なくしたと気づいた時にはかなり落ち込んでいたのだが、まさか拾われているとは。ナマエは素直に驚いた。
「これ私のだ。お財布につけてたの。」
「本当?良かった!それじゃあ返すね」
小さな手でつまみあげられた鈴は、持ち主の元へ戻ってチリンチリンと嬉しそうに揺れる。見てみればどこもへこんだり、大きな傷がついているわけではない。落とした後も大切にしまっておいてくれたのだろう。
「ありがとう。気に入ってたの、これ」
「見つかってよかった。お姉さん追いかけたのにいなくなっちゃったから」
ちぎれた鈴をポケットにしまうと、少年は笑いながらそう言った。
それはもちろん探したっていないだろう。何せ普通に言う瞬間移動というものをしたのだから。「いなくなっちゃったから」という単語に一瞬背筋がヒヤリとしたナマエは苦笑いだ。
「そうだったの?ごめんなさいね、急いでたから」
「小走りだったもんね!洗濯物でも干しっぱなしだったの?」
「!どうしてわかったの?」
まだ何も話してないのにピシャリと当てられてしまった。洗濯物のせの字も言っていないというのに。興味本位で聞いて見れば、少年のメガネがキラリと光った気がした。
「うーん、用事がなければ慌てて帰る必要はないし、傘を持ってなかったからそれでかなって思ったけどそしたら傘を買えばいいし。それに、これから雨が降りそうな時に焦って走り出す人なんて洗濯物を干しっぱなしにしていてそれを取りに戻るっていうのが典型的なパターンだよね」
「…正解」
「やったー」
「すごいねぇ君」
まるで台本が用意された推理ドラマのように、すべての洞察を披露してくれた少年は、褒められると素直に嬉しいらしい。年相応の笑顔を見せてくれた。
それは大変微笑ましいのだが、ただ普通のこの年代の子どもにしては洞察が鋭すぎる。いくら頭が良くてもこれは、何か変だとナマエはスッと目を細めた。ずっと組織に潜入しているせいか、第六感的なものが発達しているようだ。
「それで、…君は私に何か聞きたい事があるのかな?」
「え?」
「鈴。返してくれたけど君はまだここにいるから」
何か聞きたい事があるのか、それともただのナンパなのか。
後者は冗談だが、ちょっと意地悪したくなって言ってみると案の定少年は顔を赤くして「違うよ!」とブンブン首を振った。ともなればもちろん残るのは前者である。ナマエは鞄の中の杖に手を伸ばしつつ、首を傾げて見せた。
「で、なぁに」
「おねーさん家はあの近くなの?」
「ちょっと離れてたわ。だから焦っちゃって」
「そう。お姉さん行き止まりの道にいったのにいなくなったから、その通りに家があるのかと思ったよ」
少年は喋りながら、隣によいしょと腰かける。その探るような話し方には、やはり違和感を覚える。思わず少年の横顔を見ると眼鏡でパッと見はわからないが、よーく見れば随分と整った顔立ちの子どもだった。
「なにがいいたいのかな」
そう答えると、少年は「ちょっと気になっただけ」と言いながら何かを思案するように腕を組む。聞いてきた割にあっさり引くのだから、聞きたいのか、どうでもいいのかナマエにはその考えが読めない。しかし、今のやり取りでひとつわかった事がある。
「(見られた可能性が高い)」
行き止まりの道まで追いかけてきたという事は、その可能性はゼロとは言い難い。所詮子どもであるから、もしも見られたとしても信用されるかどうかという問題がある。
普段ならばナマエも誤魔化して放っておく所だが、
「(この子は放っておいてはいけない気がする)」
第六感がそう告げていた。子どもの記憶を消すというのは少しは罪悪感があるが、魔法が露見する可能性を放置しておくほどやさしくもない。姿現しはただ花を出すだけの魔法よりも言い訳ができないのだ。
「君の名前は」
「コナン。江戸川コナンだよ」
「そう、コナン君。コナン君はマジックすき?」
「マジック?うん、好きだよ。見破るのが面白いよね」
ニパッと笑って見せる姿とは裏腹に、大人のような楽しみ方をしている。それに少し苦笑いを浮かべながら、ナマエは自分の鞄から杖を取り出して見せた。まさか鞄の中から木の棒が出てくるとは思っていなかっただろう男の子は眼をぱちくりと瞬かせている。
「じゃあいいもの見せてあげるわ。この杖先をよーく見ててね」
「何か出るの?」
「どうかな…。いくよ、オブリビエイト(忘れよ)」
小さくそう唱えると、杖先から柔らかな光が放たれた。光はまっすぐに杖先にいた少年の額に吸い込まれていく。消したのは、あの日鈴を拾った事、それに関する事だ。範囲調整はぴったり、狂いがないように。
「…よし」
今ここで出会った事も、消してしまえばこの江戸川コナンの中からナマエの存在は消える。
用事が終わった杖をサッと鞄にしまえば、彼は何が起きたのかわからないといったようにきょとんとしていた。彼からしてみれば、サッカーをしにきた公園で何故見知らぬ女の隣にいるという不思議な事が起きているのだ。それは戸惑う事だろう。記憶を消されてぼーっとするのだろう、頭に手をやって周囲を見る。
「……あれ、」
オブリビエイトにかかって記憶を消された人は、おおよそいつもこういう反応をするのだ。これは間違いなくかかっているだろう。ナマエは何かを聞かれる前にサッと荷物を抱えて、さも何事もなかったかのように颯爽と立ち去った。
*
「どうしたんですか、ナマエさん。ため息なんてついて。良い仕事が見つからなかったからですか?」
その日の夜。
すっかり夜もふけ、月が沈みかかる頃に帰ってきた安室は、遅い夕食を食べながらそう言った。何徹しているのか、いつもはキチッと決まっているその姿は今や死にそうだ。(本人いわく「久しぶりのまともな食事」らしい)
「いえ。昼間にちょっと変わった子に出会いまして」
「ほぉ、どんな?」
「小学生なのにジャケット蝶ネクタイ、眼鏡の男の子なんですけどね…」
昼間に出会ったあの少年をぼんやりと脳内に思い浮かべていると、安室がふと「あぁ」と声をあげた。
「ん、その反応は心当たりでもあるんですか?」
「ふふ、まぁ。彼の事は少年だと思って油断してると痛い目にあいますよ」
「やっぱりそうですか。見た目の割にしっかりしていたので、念のため記憶を消しておきました」
フフン、とナマエは笑う。
「おや。抜かりないですねぇ」
「ふふ。それほどでも」