ようこそ不思議世界
「やーっと休みだー…!」
安室はぐっと背伸びをしてカーテンを開け放つと、太陽はもう空のてっぺんに上っているらしい。窓から見えるマンションの影は短い。
もうそんな時間だというのに、身体はまだ眠気をうったえているのだから、やはり連日連夜の潜入捜査は身体に堪えたのだろう。くぁ、とひとつ欠伸をして、一人にしては広すぎるリビングを見回した。
どうやら一緒に住んでいる彼女はいないようだ。
数か月ぶりの一日何もない休みだ。せっかくだしもう一度眠ろうか。ベッドに戻るのも面倒だし、とリビングのソファにだらりと横になる。ナマエの持ってきた古いソファだ。ぎしり、と音を立てるのも気にせず重たい瞼を閉じると、しばらくして相反するように目の前で何かが光った気がした。
「あれ、安室さん。…寝てるんですかね」
「…寝て、ません…???」
「あ、そうなんですか。ただいま帰りました」
目を閉じていてもその何かは眩しく、安室は渋々瞼をあげた。
まず目に飛び込んできたのは目にも鮮やかな緑色だった。安室が来た時からリビングにあった暖炉に、まるでエメラルドのような緑色の炎がめらめらと燃えているのだ。この不思議現象に、眠かった安室の目はぱちりと覚める。
「ナマエさん、その恰好どうしたんですか」
「これですか?魔女としての正装ですが。見るの初めてでしたっけ?」
「えぇまぁ」
果たしてこれは現実なのだろうか。
目をこすりながら身体を起こすと、ナマエが不思議そうな顔をしている。そんな顔をしたいのは自分の方なのだが、と安室は眉を下げながらその姿をまじまじとみた。
薄手の白いワンピースに夜空を映したような深い黒のコート。コートにしては裾や丈が長く、まるでゲームの中の魔法使いだ。絵にかいたような魔女、とはちょっと違うが、現代に魔女がいるならばきっとこんな、というかこれが時代にあっているのだろう。
「どこかへお出かけしてたんですか?」
「えぇ、ちょっとダイアゴン横丁に。あ、ダイアゴン横丁というのは魔法使いの商店街のようなものです」
「へぇ、そんな所があるんですか。すごいですね」
「普通の商店街ですよ。売ってるものは魔法に関するものばかりですけど」
ローブに隠れていて見えなかったが、そういう彼女も買い物をしてきたらしい。
小さなカバンからはまるで四次元ポケットのように色々な物が出てくる。
鍋から始まり、草がいっぱい詰まった瓶に、開くと歌う本。彼女が魔法使いだというのは散々理解はしていたが、やはりこうも非現実的な道具が揃いも揃うとリアリストの安室でもワクワクするものだ。
これは、あれはと柄にもなく気分が高揚してナマエに聞いてしまう。ナマエも子どものように興奮する安室に、少し驚きながらもひとつひとつ何に使うかを説明して見せた。自分の世界に興味を持ってもらえるのは想像以上に嬉しかったのだ。
「そうだ。安室さん、お休みならダイアゴン横丁、行ってみますか?」
「え?」
「せっかくなら実物を見た方が楽しいんじゃないかと思って」
「い、行けるものなんですか!?」
「このフルーパウダーと暖炉があればひとっとびですよ」
彼女は再び暖炉に近づいて、荷物の中から小瓶を取り出した。小瓶の中でさらさらと揺れる砂は、先ほどの炎のような綺麗な緑色をしていた。それを手のひらにだし、暖炉に放り込むとエメラルドの炎がぶわりと燃え上がる。けれど不思議と熱は感じなかった。
「行っても、大丈夫なんですか?」
「もちろん。中には一般人もいますよ。子どもが魔法使いだったりして、付き添いで来るんです」
大きく頷いてナマエはスッと手を差し出した。目をぱちくりとさせながらその手を握ると想像以上に小さな手でこれまたぱちぱちと瞼を瞬かせる。
この先には自分の知らないめくるめく摩訶不思議な世界が広がっているのだ。そう思えば安室の根底にある好奇心が騒ぎ出す。
知りたい、彼女の生きてきた世界を。
「それじゃあこの暖炉の中に入って、一緒に「ダイアゴン横丁」って叫んで下さい」
「分かりました」
「噛んだら変な所飛んじゃいますから気を付けて下さいね」
「変な所?」
「怪しい所です。だから離れないように、はい。このまま手を繋いでいてくださいね」
「は、はい」
子どもを怖がらせるように、うふふと笑うナマエに、安室は「絶対噛まない様に気を付けよう」と心に誓った。
そんな彼女は先に炎が燃え盛る暖炉の中に入っていく。おそるおそるその炎に触れると、たしかにそこで炎が燃えていると言うのに全く熱くなくて拍子抜けしてしまった。触れるCGのようで、やっぱり魔法とは不思議なものだ。
身をかがめて暖炉の中に入ると、どちらからともなく手を離さないようにぎゅっと強く握った。子どもじゃあるまいし手を繋ぐ事なんて、普段ならなんて事はない出来事なのだが柄にもなくドキッと胸が高鳴ってしまった。
「じゃあいきますよ。せーの」
「「ダイアゴン横丁!」」
*
煙突ネットワークで飛んだ先はロンドンのとある古ぼけたパブ、漏れ鍋だ。
突然現れた二人に驚く事もなく、店主のトムはナマエに「久しぶり」とだけ声をかけた。それにナマエも軽く挨拶を返して、安室を連れて裏庭に出た。
裏庭には壁のように高く、そして長くレンガが積まれている。そこから決まったレンガを順番に杖で叩けば、初めてその先に道が開けるようになっているのだ。
「ようこそ魔法使いの世界へ…なんちゃって」
ゴゴゴゴと勝手に動き出すレンガの先には、この世のものとは思えない世界が広がっていた。
ホウキに乗って飛ぶ人に、手紙を運ぶフクロウ。立ち並ぶ外国ならではの建物のショーウィンドウには自分の意思で動く本が飾られている。通りを歩く人々も、ナマエのようなローブを羽織り、とんがった帽子をかぶっている。そんな中で現代的な装いの安室は少しだけ浮いていた。
「まるで映画の世界みたいだ…」
「ふふ、マグル…魔法を知らない人は皆そう言いますよ。さて、見物がてらアイスでも食べに行きましょうか」
目の前の現実に頭がついていかない安室の腕を掴んで、ナマエはその人混みの中に混ざっていく。
今日は平日。季節も春なだけあって、今のダイアゴン横丁は比較的人が少ない。それでもやはり外国人というのは目立つ。チラチラと好奇の目を向けられながらも、安室の気になるお店に寄りながら、アイスを売るフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーを目指す事にした。
アイスクリームパーラーまではさほど距離はないはずなのだが、この未知の世界に安室の好奇心は止まらなかった。本屋では自分で勝手に本棚に収まる本に目を丸くし、グリンゴッツ魔法銀行では初めて見たゴブリンを凝視していた。
薬問屋に寄った時には、その強烈な匂いに案の定顔をしかめていたが、「少しだけナマエさんの匂いがしますね」と笑って、肘でこずかれていた。
そんなこんなで一歩歩くごとに「あれはなんですか?」「これは一体」と聞き、答えながらようやくたどり着いたアイスクリームパーラーは、ナマエと安室にとってはりがたい事に閑散としていた。
天気がいい今日だ。せっかくだとテラス席に座り、広げられたメニュー表をじっくりと見ながら、安室は眉を顰める。
「イチゴからブドウ味に変わるアイス…?一体どうなっているんだ」
「魔法ですから理屈を考えたら負けですよ。ちなみに私のおすすめはチーズケーキからベリータルト味です」
「…すごいですね」
「あ、信じてないですよね。おいしい物とおいしい物が合体したらおいしいんですよ!」
そう力説するナマエに、「じゃあそれにしましょう」と安室は微笑むが、彼はすっかり所持金の事を忘れていた。ポケットに突っ込んだサイフを取り出して、ようやくその事にはたと気がついた。それに対し、ナマエはポケットから見た事もないような金貨を取り出して「通貨が違うんですよ」と一枚を渡して見せた。それは見た事もない、つまりはマグルの世界では流通していない単位である。
やはり何もかもが違うんだなと金貨をひっくり返しながら感心していると、ナマエはさっさ店員を呼んで注文と会計をすませていた。男としては不甲斐ないと思いつつも、通貨が違うのならばどうもする事はできないのだ。今は大人しく奢られようと運ばれてきたアイスに刺さっていたスプーンで一口食べてみる。
「あ、おいしい。これ何味ですか?」
「コーヒー味です。時間がたつとカフェオレになるらしいですよ」
頼んでくれた濃い茶色のアイスは、コーヒーをそのままアイスにしたようで苦味があっておいしい。何故か時間が立つにつれミルク味が混ざる仕様らしいが、味が変わるのは魔法界の定番という所なのだろう。もくもくと食べ進めていると本当に色も味もマイルドに変わってきた。
目の前のアイスに気を取られていると、アイスを食べているのにふとナマエが静かな事に気が付いた。向かい側に座る彼女を目だけで見てみると、なんだか妙に気まずそうにしている。
「どうかしましたか?」
「すみません、面倒事に巻き込んでしまうかも」
「え?」
いつも堂々としている彼女が今ばかりは背中を丸めて小さくなっている。その姿に安室が首をかしげると、すぐにナマエが小さくなっていた理由が判明した。
「ちょっと失礼。あなたグリフィンドールのナマエ・ミョウジよね?」
「……」
「私、同室だったマーシャよ!覚えてる?」
「えぇ、まぁ。久しぶりです」
「久しぶり〜!元気だった?」
少し離れた所に腰を下ろした客が、ナマエを見てパッと顔を明るくさせたかと思えばこちらにやってきたのだ。
とても嬉しそうな女性に対し、ナマエはどこか嫌そうで力ない声でぽつりぽつりと返す。あきらかに早く終わらせたいオーラがにじみ出ている。
しかし彼女には、空気を読むなんていう選択肢はないようだ。
「ねぇ彼はナマエの恋人?すっごくかっこいいわね」
「違いますけど」
「あら。…そうよね、あの地味なナマエにこんな彼氏がいるわけないか。ごめんなさいね」
「いいえ」
ツンとそっけないナマエは、そうこうしている間にとけるアイスの方が気になっていた。
全くこんな事になるとは、タイミングがなんとも悪すぎる。早く満足してどこかへ行ってくれないかな。とどろりと溶けるクリームを見ながら内心思っていると、安室がアイスを救っていたスプーンを置いて不気味なほど綺麗な笑顔を浮かべて見せた。
その笑顔には、何回か見覚えがある。ターゲットに近づく時、猫をかぶっている顔だ。
「彼女は今僕が口説いている最中です」
「え」
「地味だなんてとんでもない。むしろ僕の方が彼女には不釣り合いですよ」
聞いただけならば本当にイギリス人が喋っているような、綺麗なクイーンイングリッシュを操る安室は、その整った顔立ちをニコニコさせながらそうハッキリ言ってのけた。
まさか彼がそんな事を言うとも思っていなかったナマエは持っていたアイスのスプーンをぼとりと落とした。落ちたスプーンは溶けかけのアイスの中にゆっくりと沈んでいく。
「あ、そ、そうなの?」
「えぇ。ですので…、行きましょうかナマエさん。デートの続きです」
「デッ、」
デートって!
思いもよらぬ単語に顔が赤くなる。言われてみれば二人でうろうろするなんて事は、たしかにデートに違いないのだが。意識していなかった事実に思いのほか戸惑う自分に、ナマエは更に驚いた。
バッと俯いていた顔をあげて、その爆弾を落とした張本人を見れば先ほどとはまた違った、柔らかな幼い笑みを浮かべていた。その微笑みにぐぅ、と言葉を詰まらせていると同級生の彼女も呆気にとられていた。
その間に立ち上がった安室は、ナマエの腕を掴んで溶けかけのアイスと女性を置いてさっさとパーラーを出た。
「すみません。勝手に出てきてしまって」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました。アイスも充分食べましたし、帰りましょうか」
「おや、デートの続きはいいんですか?」
「デッ…、からかうのはやめて下さいよ。全くもう」
「からかってませんよ。貴方は充分、魅力的な人ですから」
それは果たして契約をする人間としてなのか、一人の人間としてなのか。
知りたいけど、聞くのは怖い。
でも少なくともここに連れてきた以上、聞く必要はないだろう。「どうかしましたか?」といつものようにゆるりと微笑む安室に、「なんでもありません」とナマエも薄く微笑んで見せた。