見つめる黒猫


「黒の組織の女性陣ってどうしてこうも美人揃いなんですかね」
「…どうしたんです、急に」

唐突にぽつりとつぶやいた彼女に、安室は蒼い瞳をぱちぱちと瞬かせた。

テレビから「今日のニュースはこちら!」と明るい声が響く朝方。
ナマエは熱いコーヒーの注がれたコーヒーカップを両手で持ち、絶え間なく映像を流し続けるテレビをぼうっと見ていた。画面には丁度、流行りのスポットやおいしいグルメ、そしてそれを楽しそうにリポートする女性が映っている。

「ほら、テレビにキールが出てるんですよ」
「おや。本当だ。水族館のロケですか」

これから仕事に行く人々を励ますような、明るい笑顔と声でマイクを握っているのはキールこと水無怜奈だ。
ニュースからバラエティまで幅広く仕事を務める彼女は、今日はスタジオを飛び出して水族館にいるらしい。カメラ映えするパフェをおいしそうに食べる姿は同性から見てもかわいらしい。

「……ふぅ」

キールは人気女子アナウンサー。ベルモットは世界的大女優。キュラソーは表舞台にこそ立っていないもののすぐトップモデルにでもなれそうな美貌を兼ね備えている。そうともなれば、冒頭のように呟いてしまうのも同じ女子としては致し方のない事だ。息を吐けばカップから立ち上る白い煙が揺らぐ。

「ナマエさんは充分可愛らしいですが」
「お世辞はいいんですよお世辞は」
「信じてないですねぇ」
「それはまぁ」

ごにょごにょ、と誤魔化しながらナマエはコーヒーをすする。
安室もナマエも今でこそお互いを知っているものの、常に周囲を欺くのが仕事なのだ。もちろん今はわざわざ嘘をつく必要もないのだが、彼は女性には誰にでもそういう事を言ってそうだとナマエはこっそり思っていた。

安室はそんな心情を察してか苦笑いをして、「水族館、楽しそうですね」と自然に話題を切り替える。

「安室さんも水族館とか行きたいって思うんですねぇ」
「どういう意味ですかそれ」
「仕事一直線かと」
「たまには僕も息抜きがしたいと思う事はありますよ」

なみなみと香ばしい香りを漂わせるコーヒーの入ったカップを持って、安室が隣に座る。テレビから流れる流行りのBGMに耳を傾けながら、そっとカップに口をつければほどよい苦味がわずかに残った眠気も吹き飛ばす。

これが二人なりの朝の優雅なひと時である。ゆったりと過ぎる時に相反して、画面の中はくるくると映像が入れ替わる。占い、天気予報、CMと流れていつのまにか不思議な目覚まし時計のキャラクターが「八時だよ!」と時報を告げていた。

さて、そろそろバイトに行く支度をしないと。
ナマエは残ったコーヒーを煽るように流し込んで立ち上がり、ふと気が付いた。

「あれ、安室さん。今日は随分遅くないですか?今日組織の仕事でしたっけ」
「いえ。実は僕もカフェでバイトをはじめまして」
「えっ、そうなんですか?」

それは寝耳に水な話だ。驚いてそちらを振り向けば、「そんなに驚かなくても」と、わずかにまた青い瞳を大きくした。

だがこれは驚かずにはいられないだろう。何せ安室は今ですら警察庁と黒の組織を行ったり来たり忙しない日々を送っているのだ。既にダブルフェイスとしての任務をこなしているのにも関わらず、さらにそこにカフェでのアルバイトなんて体力が持たなさそうだ。

きっとアルバイトも理由あっての事だろうが、さすがに心配にもなる。
しかし、彼に言った所でお互い協力する事はあっても口を出す権利はないのだ。口から出そうになる心配の言葉をぐっと言葉を飲み込んだ。

「ここから少し離れていますが、ポアロというカフェで働く事になりました」
「ポアロ。へぇ、良いネーミングですね」
「でしょう?」

聞く人が聞けばポアロとは彼にあった名前だと思うに違いない。
そう、本の中の名探偵。エルキュール・ポアロから取られたのだろうそのカフェの名は、聡明な彼にはぴったりだ。

「よければ是非、来て下さいね」

なんて言われたのが今朝の話だ。ナマエは一人、ポアロの入口に仁王立ちで立っていた。

今日のバイトは思いのほか客が少なく、早期帰宅を促されてしまったのだ。やる事もなく、ただぼうっとしているのも気まずく、せっかくならばと少し歩いて安室が働くカフェまでやってきた。

もしかしたら彼はもう上がっているかもしれないし、そもそも家で会うのだから外で会う必要もないのだが。同じカフェ店員として、同居人として。とにかく安室の働くカフェは気になるのだから仕方がない。

「いらっしゃいませ」

意を決して中に入ると、明るい女性の声がカウンター越しに飛んできた。そちらに視線をやると、「お好きなお席へどうぞ」とにこりとほほ笑まれる。ひとまず窓際のテーブル席に腰をおろし、ぐるりと店内を見渡した。

木目調の壁にシンプルなインテリアが店内を彩っている。席はカウンターといくつかのテーブル席。穏やかな笑い声とドアが開くたびに鳴るベルの音が心地いい。これは中々雰囲気の良いカフェだ。

「ご注文はいかがなさいますか?」
「紅茶とケーキのセットを」
「かしこまりました。紅茶はアッサムとダージリンがございますが」
「んー…ではダージリンを」
「はい」

メニュー表をぱたんと閉じて手渡すと女性はゆっくりとした足取りでカウンターの中に戻っていった。見た所安室はいないようでナマエは内心がっかりしたような、安心したような、複雑な気持ちだった。

ひとまず注文した紅茶とケーキセットが来るまでは手持無沙汰だ。携帯をいじる気にもならず、暇つぶしに窓の外を眺める。

外は仕事帰りで疲れた様子のサラリーマンや、未だに元気が有り余る中学生が日が落ちるビル群を背景に、窓のフレームの中に入っては消えていく。いわゆる人間観察という奴だ。歩く人、立ち止まる人。一人一人じっと見入っては、この後何をするのだろうかなんて考えてしまう。

そうしてどのくらい立っただろうか。窓の外を見つめるナマエの席に、暗い影がひとつ重なった。

「お待たせいたしました。ご注文のダージリンとケーキのセットです」
「ありがとうございます。……?」

その声に振り向くと、ふわりとあたたかな湯気と紅茶の香りが漂う。
テーブルの上にコトリ、コトリと丁寧に置かれたお皿よりもナマエはその声に意識が釣られた。耳によくなじむ、男性にしては高く、やわらかな口調。

「おや、僕の顔に何かついてます?」
「安室さん、いたんですね」
「最初からいましたよ。丁度材料を取りに奥にいたんです」

配膳をしたその手を追うように視線をあげれば、安室がにこりとほほ笑んだ。

いつもよりラフな服装にエプロンをかけた姿は、特段変わった制服ではないのだがとてもこのカフェに合っている。それに三割増しのキラキラ営業スマイルが加わればそれは女性客のハートを鷲掴みにする事間違いなしだ。

看板娘、ならぬ看板店員と言ったところだろうか。ナマエと喋っている時ですらも、安室の方をちらちらと見ては黄色い声をあげる主婦らしき人達がいるのだからこの繁盛具合に一役買っているのだろう。

「さっそく来てくれるなんて嬉しいです」
「えぇまぁ。仕事が早く終わったので。食べたらすぐ帰ります」
「ゆっくりして行ってくださいよ」
「昼飯の準備しないといけないですからね」
「それは残念です」

まるで映画のように肩を落とし、残念というリアクションをする安室は「それではまた後で」と小さく囁いて自分を呼ぶテーブルへと駆けていく。

ナマエもまた冷めないうちに、とあつあつの紅茶が入ったティーカップに指をかける。
イギリスにいた頃は御茶会と称してずっと紅茶を飲んでいたが、気が付けば日本に来てからはコーヒーばかりだった。そのせいか、漂うこの香りがひどく懐かしい。

イギリスを思い出させるそれに、ホームシックにでもなってしまいそうだ。
少しばかり暗くなった気分を飲みこむように、薄く色づいた紅茶に口づける。スッと通り抜けるダージリンの香りはやはり落ち着く。

するとまたカランコロンと来店を知らせるベルが鳴った。少しだけ視線をあげてそちらを見ると、随分と小さなお客様が来たようだ。

「いらっしゃいコナン君」
「こんにちは安室の兄ちゃん!」
「今日蘭さんと毛利さんは?一人?」
「後で来るよ!」

そう、たしか江戸川コナン。

黒縁の大きな眼鏡に目立つ青のジャケットと蝶ネクタイ。一度出会った事のある、妙にインパクトのあったあの少年だ。どうやら彼は安室と知り合いのようだ。親しげに喋っていると、ふと少年はきょろきょろ背伸びをしながら店内を見渡して、やがてナマエとぱちりと目があった。

「蘭姉ちゃんが来るまであそこに座ってもいい?」
「うーん、それは彼女に聞いて見ないと」

困ったように笑う安室に、少年はきらきらした瞳で彼女を見ると「一緒に座ってもいい?」と大声で言った。決して広いとは言えないこのポアロの中で、子ども特有のその声はよく響く。誰しもがちらりとこちらを見るこの状況で断る事なんて事はナマエにはできなかった。

もしかして記憶が?と思ったが、まさか思った所で言えるはずもない。

「お姉さんありがとう!」
「いいよ。ケーキでも食べる?」
「ううん。お姉さんのだからいいよ!それよりどうしたの?暗い顔して」

彼はイスに座ると、足をぶらぶらと揺らしながらそう言うものだからナマエの胸はどきりとはねた。

「そう見える?」
「うん」
「なんかナンパされてるみたい」
「!!ち、違うよ!本当にそう見えただけだ」
「冗談だよ。ちょっとホームシックになっただけ。ご心配ありがとう」

クスクス。小さく笑いをこぼすと、コナンは顔を赤くして慌てて否定するのだからより一層面白い。いたいけな少年をからかう趣味などないのだが、こうもあからさまだと楽しくなってしまう。

ナマエは笑わせてくれたお礼にとオレンジジュースを一杯奢る事にした。カウンターの中でカップを磨く安室に注文すれば、また眩しい笑顔が返ってくる。その度に少しむず痒い気持ちになった。落ち着く雰囲気のカフェだと言うのに、彼のおかげでちょっとそわそわしてしまう。

「お姉さんこんな時間にケーキってお昼食べないの?」
「え?食べるよ。ケーキは別腹」
「(ハハハ…女子って皆そう言うよな)」

コナンの元にオレンジジュースがやってくると、ナマエはようやくケーキにフォークをさした。磨かれたフォークで真っ白い生クリームに、甘酸っぱいイチゴを拾ってぱくりと食べる。コナンが言うように、もうすぐ時計は12時になるのだがデザートは別腹というのはいつの時代の女子も変わらないのだ。

ぱくぱくとめいっぱいに頬張って、口についた生クリームを皿と一緒についてきた紙ナプキンで拭おうと手に取った。するとふとナマエの動きが止まった。ちらりと目だけで店内を見て、テーブルに備え付けの紙ナプキンを取って何事もなかったかのように口を拭う。

そしてすぐさまその手をカバンの中に入れていた携帯に伸ばした。画面を手早く確認した後、鞄から代わるように出てきたのは財布だ。財布についた鈴がチリンチリンと鳴る。

その音にコナンが少しばかり気を取られると、彼女はぐいっと勢いよくティーカップを傾けた。少し冷めた紅茶は、甘ったるくなった口の中をさっぱりさせてくれるのだ。

「どうかしたの?」
「もう帰らなくちゃ。お昼ご飯作らないと」
「え、そうなの?」
「うん。ご家族が来るまで一緒にいられなくてごめんね」
「うん。お姉さんありがとう!」
「どういたしまして」

皿の上に乗った一切れのケーキも、カップの中に注がれた紅茶ももぐもぐと口を動かせばあっという間に腹の中だ。「ごちそうさまでした」と言いながら机の上から伝票を取って、席を立った。先ほどまではゆっくりとしていた彼女の周りは急に慌ただしくなる。

小走りな彼女と一緒に鳴る鈴の音は考えようによっては可愛い足音のようだ。コナンがじっとその後ろ姿を見つめると、壁掛けの時計が十二時を告げるように小さなメロディを奏でる。

「ありがとうございましたー」
「はい。また来ます。それじゃ、コナン君もまたね」
「え、あ。うん。またね!ジュースありがとう」

カウンターレジでお金を払ったナマエは、少し急ぐように外に出た。ドアがチリンチリンと鳴って、十二時に足早に去っていく。コナンにとってはとっても身近なシンデレラを見たような気分だった。

数分にも満たない同席相手はいなくなり、彼はストローを咥えながら窓の外を見る。まだまだ保護者である少女と男の姿は現れそうにない。

こういう時に彼の脳裏に浮かぶのは「何か事件はないだろうか」なんて物騒な事もあれば、少年探偵団の事だったりするのだが。

「(なんかさっきの人、気になるんだよな…)」

特段変わった事がある女性ではなかった。ただ少し悲しそうな顔をしていたから、気になって同席しただけなのだが。財布についた鈴の音にどこか聞き覚えがあるような気がしたのだ。

それに、その黒一色の見た目。黒一色の人間など、この世にはいっぱいいるのだろうが何故かあの長い銀髪を思い出す。
何故だろうか、と自分の中の記憶を掘り返すがやはり心当たりはない。安室と梓は彼女の事を何か知らないだろうか。そう思いたったのも束の間。コナンの瞳は窓の外を走り去った一台の車を自然と目で追っていた。

「!?」

その車はぐんぐんと他の車を追い抜き、映画のように素早く曲がり角を曲がって消えてしまった。見間違いでなければ、あれは白のRX-7。そして運転していたのは、見覚えのある金色と、助手席には黒。

コナンは席から急いで降りるとコーヒーを注いでいる梓へと「ねぇ!」と声をかけた。

「梓さん!安室さんは!?」
「安室さん?さっき退勤したわよ。今日は十二時までだったから」
「そう…。ねぇ、さっき僕と座ってた女の人知ってる?」
「知らないわ。初めて来たお客様だったから」
「分かった。ありがとう!」

それだけを聞くと、再びコナンは窓際のテーブル席に戻って再び窓の外を見た。間違いなくあれは安室と先ほどまで目の前にいた彼女だ。梓は初めての客だと言うのだから、ここに来る前から二人は知り合いだったのだろう。しかも二人で車に乗ってどこかに行くくらいには。

「(一体どういう関係だ?)」

きらりと眼鏡が光る。彼の求める事件が、早くも目の前に転がってきた瞬間だった。





「突然任務だなんて、人の事をパシりと思ってるんじゃないですかね。あの男は」
「まぁまぁ」

低いエンジン音が二人の間を走り抜ける。すっかり乗りなれた車内で、ナマエは眉間に皺を寄せる。彼女の持つ携帯には、一件の不在着信を知らせる点滅マークがついていた。

不在着信の表示名は「非通知」であるのだが、相手などあの忌々しい銀髪しかいないのだ。何せ知り合いは皆魔法使いであって携帯などというマグルの道具は使い方を知るはずもないし、唯一連絡をくれる相手もすぐ傍にいるのだから間違えるはずもない。

「でもあなたがあのメッセージに気付いてくれて良かったです。随分とジンは急ぎのようですから」

着信を告げるランプが点灯したまま、膝の上に置いた鞄に放り込む。すると財布と一緒に鞄の中に入った白い紙ナプキンを思い出した。
何も気にせず、ただ仕舞わねばと突っ込んだそれは、見事に揉まれてくしゃくしゃになっている。あの場には置いていけないと領収書と一緒に回収してきたのだ。少し硬い、その紙のうえには急いで書いたのだろう。TELの三文字。

「あれ、私が口を拭わなかったらどうするつもりだったんです?」
「その時は直接指摘しようかと」
「…気づいて良かったです」