なんてことはない一日


「××× ×××× ××!」
「少尉殿、大変申し訳ないのですが何をおっしゃってるか私には分からず」
「××〜!」
「一旦落ち着いて下さい」
「!…スー、ハー…」

どうどう、とまるで馬をなだめるようにナマエが手で制すと、美しい小麦色の肌の青年は、キュッと眉間に寄った皺をすこしだけ緩めた。
落ち着くためにと肺をめいっぱい広げて息を吸い、大きく息を吐く。

そして再びその口を開くと「××××!」と先ほどとなんら変わらぬ早口を口にした。

比べてみればほんの少し速度が遅くなったが相変わらず何を言っているかは分からない。ナマエは仮にも上官のこの鯉登少尉に、遠慮する事なく困ったように眉を下げた。



第七師団において鯉登とナマエは仲がいいともよくないとも言えない曖昧な関係だった。というのも、理由は単純。鯉登が何を言っているのか、ナマエにはさっぱり分からないからである。

この色黒で精悍な顔立ちの若い少尉はナマエに喋りかけると必ずと言っていいほど地元の薩摩弁が出てしまうのだ。薩摩弁は、薩摩弁を知っている人間でないとまるで何を言っているのか分からないほど他の方言より癖が強い。

訳も分からず早口をまくし立てられれば、それは苦手にもなるというものだった。

その度に月島や薩摩出身の者に翻訳してもらっていたのだが、今や助けてくれる人はいない。

「きえええええっ」

猿のような奇声を発する鯉登を見るのはいつもの兵士達ではなく、町ゆく人々。そう、ここは外なのだ。

ナマエと鯉登はとある店で偶然にもばったりと鉢合わせしたのだった。
そのため二人以外に兵士はおらず、また事情を知るものもいない。片や奇声をあげ、片や困ったように笑う二人の青年に向けられる視線は不思議そうなものだった。

「はい軍人さん。お待たせ。頼まれたものはこれで全部よ」
「あぁ、ご婦人。ありがとうございます」

さて、少尉殿をいかがしたものか…とナマエが思っていると、店の奥の暖簾をくぐって一人の女性がやってきた。

この店の店員である証、前掛けをした女性は手に持った風呂敷包みを二つ、ナマエの手に「気を付けてね」と言いながら手渡す。その風呂敷包みは、どちらも随分と中身がぎっしり詰まっているのかパンパンに張っていた。結び目も、どうにか無理やり作って結んだようにギュッと強く縛られ、持ち上げると重力で底がまあるく円を描く。

そんな風呂敷を二つも受け取るナマエに、鯉登は首をかしげた。

「そんなに布がいるのか?」
「!!あぁ、実はですね…この中身は布巾ですよ。備品補充です」


今二人がいるこの店は布もの屋だ。

着物を作るための反物を扱う反物屋とは違い、店先には手拭や風呂敷、海外からの輸入品だろうハンカチなどの布ものがずらりと並ぶ。目にも艶やかな品々。そんな所で大量に買い物をしていれば、疑問に思わないはずがなかった。

内心普通に喋った鯉登にひどく驚きながら、ナマエは風呂敷の隙間から「ほら」と真っ白な布切れを見せた。

本来ならばこういった備品などは兵舎に直接持ち込まれるか、二等卒などがやるものだが気分転換にと買いにやってきたのである。案の定鯉登は「下の者に頼めばよかっただろう」とフンと鼻で笑った。

「ところで少尉殿はこんな所でどうしたのです?今日はお休みでは」

いつもは傍に控える月島もいないようだし、彼が御付を付けずに一人でふらっとしているなら休みという事なのだろう。そう聞いて見ればやはり彼は休暇中であるらしい。こくりとひとつ頷いた。

よくよくその姿を見てみれば、その手にはこの店で売っているハンカチが握られている。

「もしかしてお買い物中でしたか」
「あぁ。世話になった人に贈るのだ」

なるほど、それでハンカチ。

ナマエはすぐに鯉登の”世話になった人”を思い出した。十中八九、間違いなく鶴見中尉の事だろう。

彼は前頭葉に傷があり、時折ハンカチを取り出しては出てきた不思議な汁を拭いている事がある。たしかに贈り物にハンカチならば喜ばれる事だろう。何枚あっても彼は困らないはずだ。

しかし、一枚を手にしているもののまだ悩んでいるのだからもう一枚買うのだろうか。じっとその姿を見つめていると、鯉登が「ミョウジはどれがいいと思う」と助言を求めてくるのだから、ナマエはまた驚いた。てっきりもう帰れとでも言われるかと思っていたのだが、よっぽど慎重に選んでいるらしい。

「お前は鶴見どんの気に入りだろう!?何か知らんか」
「…何度も言っておりますが、気に入りではございません」

まるで「本当か…?」と疑うようないぶかしげな視線を向けられ、ナマエはまたかと思いながら困った顔のまま愛想笑いを浮かべた。

彼がナマエに話しかけるおおよその話は鶴見中尉の気に入りかどうか否かなのだ。何度否定した所で彼の中で疑惑は晴れていないため、もうこのやりとりは何回目。いや何十回目だろうかと言うほどやっている。

きっと彼が薩摩弁を喋ってしまうのも、鶴見中尉の事で興奮しているからなのではないだろうかと実は思っていたりするのだが、未だにその事実ははっきりとはしていなかった。

「しかし、鶴見中尉の好みですか。…そうですね」

もうこの件に関しては何度言った所で聞き入れやしないのだから、ナマエは早々に話題を鶴見中尉へと変える事にした。

鶴見中尉の事を話そうとすれば、彼はあからさまに分かりやすくそわそわし出すのだから少し面白い。おやつを目の前にして、食べる許可が下りるのを待つ子どものようだ。落ち着かない彼を横目に、ナマエは記憶を振り返る。

何かと理由をつけては鶴見中尉から物をもらった事は数あれど、おおよそが食べ物や酒である。時折もらう時計や手拭も、彼の好みというよりは自分に似合うものを選んでくれていたように思える。そもそも下に下げ渡すのだから自分の趣味ではない事は大前提だ。

それでは彼が普段使っているハンカチは、…気にした事もなかった。
つまりはナマエも鶴見中尉の好みなど分からないのだ。

「やっぱり私にも分かりませんね」
「なんだと?お前にも分からんのか!」
「えぇまぁ。でも贈るならこの変がいいのではないでしょうか」

厳しい目を更に吊り上げてこちらを見つめる視線は鋭く、中々に気まずい。ナマエはその視線に耐えきれずに、逃げるようにあくまでも自然に店先に並ぶ手ぬぐいを見る。
赤、青、黄と植物の花々で染められた手ぬぐいはどれも鮮やかな色合いだ。その中でも模様の入った手ぬぐいは随分と可愛いらしい。

ナマエは二つの風呂敷を片手に持ち、空いた手でその中から一枚の手拭を手にとった。清潔な白に、赤黒模様の鯉が丁寧に刺繍されている。

「このあたりの物なら質が良さそうです。目も細かくて、肌触りも良い。鶴見中尉は額をよく拭いておられますから、柔らかい方が肌を傷つけないのでは?」
「…たしかに」

それを鯉登に手渡してみれば、やわらかな布の質感を確かめるように褐色の手で表面をするりと撫でる。
たったそれだけの行動だが、白い手拭に褐色の肌はよく映えた。鯉の刺繍といい、その手拭は鯉登のためにあるようなそんな気さえしてくる。

気が付けば、控えていた店員へと「これを頂けますか?」と、布巾とは別に自分の財布で購入していた。

「それ、鯉登少尉に差し上げます。あなたによくお似合いですから」
「…」
「あ、すみません。思慮が足りませんでしたね。いらなかったら、」

あまりにもぴったりで、勢いで買っては見たもののナマエはすぐに慌てて弁解した。
突然階級が下の者から手拭をもらった所で困るだろう。しかも小さいとは言え刺繍がほどこされたハンカチとは、少し男が持つにしては可愛すぎるやもしれない。

あぁこれは失敗した、と反省するナマエの隣で鯉登は手拭を持ってピタリと動きを止めた。けれどそれも一瞬の事で、手拭を見てフッと笑った。

「鯉登少尉?」
「鯉の刺繍とは安易だな」
「え、」
「だがおいもこれを気に入った。もらおう」

どうやらお眼鏡にはかなったようだ。鯉の刺繍をそっと撫でる手はやさしい。

そして彼はようやく鶴見中尉への贈り物が決まったらしい。
自分の財布を取り出すと、同じように刺繍の施されたハンカチを一枚店員へと手渡した。よくよく見ればそれは鯉の刺繍の施されたハンカチとは色違いならぬ模様違いらしい。縁起のいい象徴の鶴が控え目に布の上を飛んでいた。


会計を済ませて二人が店を出ると、空に浮かぶ太陽が少しばかり西へと傾いていた。伸びる影は来た時よりも長く、予想以上に時間が過ぎていた事を実感させる。

「それでは私は兵舎に戻りますが、鯉登少尉殿はどちらに」
「兵舎に行く。鶴見どんに渡す」
「さようですか」

どうやら行先は同じらしい。
ナマエは風呂敷を二つ持って、鯉登は綺麗に包装された手拭を大事にそうに持つ。尊敬してやまない鶴見にあげるのだから、たかが手拭、されど手拭。それはそれは大切に、慎重に取り扱っていた。

「……」
「……」

二人は行く場所が同じなのだから当然足は同じ方へと向いた。
しかし、二人は何を話す訳でもなく、わずかに砂煙をあげる足音と通り過ぎる人達の話し声だけが静寂を誤魔化している。
同じ所属とは言え、お互いどんな話をするべきか分からなかったのだ。こんな所で「好きな食べ物は」なんてお見合いのような事を聴くわけにもいかないだろう。

それに、不思議とこの何もしゃべらない空気が気まずいとは思わず、ナマエは喋る必要性を感じていなかった。

すると、鯉登が何を思ったのかナマエの傍へとやってくると風呂敷をひとつ、パッと奪い取った。

「貸せ」
「少尉殿がやる仕事ではありませんよ」
「おいは今休暇中なのだ」
「そうですが、」
「それに、これは手ぬぐいの礼だ」

ふふんと得意げな顔をする鯉登は、自分の言い分は理にかなっているだろう!と言わんばかりの笑みだ。

たしかに彼は休暇中であるのだが、それにしたって軍の階級は変わらないだろう。そうは思っても、所詮ドヤ顔というものを浮かべるご機嫌な少尉殿の気分を害すのもどうかと悩んだ末。
結局ナマエはその言葉に甘える事にしたのだった。

「(これも上官命令のうちだ、たぶん)」
「ミョウジ、お前××××!×××!」
「あれ、また何言ってるか分からなくなってるんですが…?」
「××!?」


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tashow様
鯉登とのお話しリクエストありがとうございました!

鯉登は原作のイメージもあって、月島が傍にいるイメージでしたが今回は鯉登とのお話しでしたので、この二人にとっては月島がいない状態での初二人きり状態を書かせていただきました。
普段は薩摩弁(早口)ですので、月島を介してお話ししています。それが面倒で、ナマエ君は鯉登を「面倒くさい…」と思っていたり。