利己主義者の狂騒−参
遠くの方でパチパチと火が何かを燃やす音がする。何かと言うのはこのニシン御殿だ。きっと物置から火移りしたのだろう。当初より煙臭くなってきた。
それでもナマエは布を口にあてて、呑気にニシン御殿を見て回っていた。これだけ立派な御殿だ。金目の物には興味はないが、尾形の怪我の処置ができるような包帯や薬くらいあるだろう。
部屋をひとつ開けては見える範囲を探し、それを繰り返していくうちに寝室のような部屋にたどりついた。
「…あった、これだ」
棚の中に置いてあった妙に細工の凝った木箱を引っ張り出すと、中には包帯や薬がたんまり詰まっている。ひとまず箱の蓋を閉め、これまた立派な取っ手を掴んで急いで尾形のいるであろう居間へと舞い戻った。
「尾形、薬箱あったぞー…てさっきの強いじいさん達!?」
「…話は後だ。番屋が燃え落ちる前に脱出するぞ」
何故か居間に戻ると、あの老齢の二人と尾形がいた。
戦っているわけではないが、決して仲がいいような雰囲気でもない。ナマエの姿を確認した長髪の男は、スタスタと背を向けて歩き出した。
一体何故こんな事に、と二人について今すぐ問いただしたい気持ちだったが、部屋の中は煙が充満してきている。煙は部屋に残る三人の息を確実に苦しめていた。
尾形も、ナマエも、そしてもう一人の老人も素早く外に出た。
番屋の中は煙かったが、やはり外に出ると煙がない分呼吸が楽だ。だが共にいるこの老人二人のせいで安心する事もできない。日泥の手下だった男達と何やら話している老人たちと少し距離を置いた二人は声を潜めた。
「何、あのじいさん達。敵じゃないのか?」
「一時休戦だ。あのじいさん達に協力する」
「はぁ?」
「あのじいさんどもは土方歳三と長倉新八だ。しかも土方歳三には刺青が入ってる」
「 !?あの幕末の志士が生きてたってのか」
土方歳三や長倉新八、新撰組の名前はもはや過去のものとなっていたが、それがまだ生きていたなんてどうにも信じがたい話だ。だが先ほど見せた手下への的確な指示や剣と銃の腕前を見ると、たしかにそうなのかもしれないと妙に納得できる部分もある。
何よりあの鋭い眼光は幾重もの戦場をくぐりぬけたものにしかないものだ。
「しばらくはあのじいさんどもの用心棒だ」
「…まぁ尾形がそれでいいならいいけど。あのじいさん達用心棒なんていらねぇだろ」
「まぁな。大方戦力が欲しいって所だろう」
ふぅん、と興味なさげに呟いた彼はそっと目を伏せた。
ナマエは尾形がそう決めたなら特に口出しをするつもりはない。ただこれからあの老人達には何かと気配りが必要だろうと今後の事を考えて小さく息を吐いた。
その隣で何を思ったのか、尾形はナマエの頭にスッと手を伸ばした。軍帽を取り外すと、伸びた髪に指を通す。その感触に目を細めて、撫でられている方は不満げだ。
「おい。なんで撫でるんだ」
「お前が俺との二人旅を惜しんでるのかと思ってな」
「惜しんでないし、撫でる理由になってない。軍帽返せ」
「別にいいだろ」
そう言いつつも手を跳ねのけないナマエに、尾形は更に気をよくしてぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。サラリとした髪もずっと撫でればふわふわと空気を含んで膨張する。それが面白くて続けていると、いい加減我慢ならなくなったナマエに手をぺしんと叩かれた。
そんな事をしていると、土方達も話が終わったらしい。髪を整えるナマエに首を傾げたが、特に何も聞くことはなかった。
「おい。お前達行くぞ」
「行くってどこに」
「小樽だ」
「…ちょっと待ってくれ。俺達はすぐにはいけない」
「ナマエ?」
「尾形を医者に見せてから行く」
あまりにも尾形がけろりとしているから忘れそうになってしまうが、先ほど肩を打ち抜かれているのだ。うまい事隠しているようだが、外套の下には血がにじんでいる事だろう。
日泥のニシン御殿から引っ張り出してきた薬箱もあるにはあるが、長距離移動するならばその前に一度医者に見せた方がいい。このご時世、どんな傷だって命取りになりえるのだ。
ここ最近の尾形の怪我率の高さに少しげんなりしながらそう進言すれば、土方は「分かった」と案外あっさり頷いた。
「小樽の町はずれの家に来い。そこで待っている」
「ん」
小樽の町はずれの家。覚えるように脳内で復唱していると、老人二人は用が済んだと言うようにすぐその場を立ち去ってしまった。
あまりにも蛋白な対応に思わずぽかんとしてしまう。
「何ぼーっとしてんだか知らないが、医者に行くならさっさと行くぞ」
「痛っ」
ペシッと軽く叩かれた額をさすりながら元凶である尾形を見ると、フンッと鼻で笑ってゆっくりと歩き出した。後ろに立つナマエを少し振り返ると、「来い」というように顎をくいっと動かした。
「置いてくぞ」
「怪我人の癖に元気だな…」
そんな事ができるくらいには元気ならひとまずは安心だ。尾形には見えない所で安堵して、怪我人にしてはしっかりしたその後ろ姿を追った。