歪な欠片達
来た道を辿るように茨戸から小樽まで山を越え、海沿いの道を歩く事数日。
丘の上から見下ろす小樽は日数で言えば少ししか離れていないというのに、なんだかとても懐かしく思えた。
「…戻ってきたな」
しかし、しみじみと思いを馳せられるのは今だけだ。
小樽には第七師団の兵舎があり、鶴見中尉を中心にした兵士達が町には溢れている。下手したら顔見知りと出会うなんて事もありえなくはない事だった。二人とも当然顔は割れているし、慎重に隠れ家を探さねばならない。
改めて気を引き締めて、外套の中にぶら下げていた双眼鏡を取り出した。
「たしか東の外れに何件か民家があったな」
「見に行ってみよう」
長期間に渡って小樽にいただけあって、小樽一帯の地理には明るい。
双眼鏡で覗き込んだ先に見えるぽつぽつと散らばった家々を眺める。中心部からほどよく離れ、森にも近いそこは隠れるには打ってつけのように思えた。
二人は近道の町の中心部には近寄らず、迂回して山道を歩いて行く。冷たい風から身を守るように外套にしっかり包まって、小樽の街並みを目下に積もった雪原を進む。
ザクザク。ザクザク。
後ろを少し振り返ってみれば、真っ白い雪の上を二本の足跡がまっすぐ伸びている。
賑やかな町から外れたこの場所に家を建てた人は、きっと静かな所に住みたかったのだろう。あたり一面雪に囲まれたこの町はずれは、喧騒から切り取られたように音がない。しいて言うなら雪を踏みしめる自分たちの足音だけが大きく響く。
ここに住んでいたら、この世には自分しかいないような錯覚に陥りそうなくらいだ。
雪を踏みしめる音を鳴らして、一番最初の家まで近づくと偶然なのか一件の家の戸が開いた。戸を開けたのは老齢の男だ。
「あ。永倉さん」
「待っていたぞ。さぁ入りなさい」
外から聞こえる足音に気づいていたのだろう。戸を開けた永倉は雪まみれの二人を家屋の中へと迎え入れた。
隠れ家、と言っても何か忍者屋敷のような仕掛けがあるわけではなく、見目も室内も至って普通の民家である。
日当たりのいい窓辺には寝椅子が置いてあり、居間の中央には家族団らん用だろう。大きな机がある。さらに居間の隣には和室が繋がっており、置かれている小さな囲炉裏にぱちぱちと燃える火がゆらいでいた。
ただし、普通なのは家だけの話であってこの家に滞在する人間はそろいもそろって曰くつきばかりである。幕末の亡霊、土方と永倉。不敗の牛山、そして怪我をしている家永という女性。
女性も仲間にいるのかと、驚いてそちらを見れば布団に横たわるうつろな瞳と視線がかちあった。その瞬間、獲物を見つけた猫のように目をグワッと見開いてこちらを見るのだから更に驚いてしまった。
何か素晴らしいものを見たような、喜びと興奮に満ち溢れたその瞳は幸彦を捉えて離さない。挙句に怪我をして臥せっているというのに、突然上半身を起こして細い手をこちらに伸ばす。近くに座っていた牛山がその身体を抑えなければ、こちらに這ってでも来そうな勢いだ。
「う、美しいッ。その顔が欲しいッ…!ゴホッ」
「おい。急に起き上がるな」
「おいナマエ。こっち側座れ。そっちは危ねぇ」
「うーん…。いや、こっちでいい。殺されるわけではないし」
尾形は気を利かせて家永から一番離れた場所に座らせようとしたが、ナマエは制止も聞かずに家永がいる布団の傍に膝をついた。膝をついて座れば、上半身を起こす家永と目線の高さは同じになる。こちらを見つめる目は爛々と光っていた。
「俺はミョウジナマエと言います。どうして俺の顔が欲しいのですか?」
今まで欲しいと言われた事はあったが、「この顔が欲しい」と言われた事は今の今まで一度も言われた事がなかったのだ。ただそんな事を言った人間に興味がわいた。たったそれだけの理由だったのだが、聞いてみれば彼女の理由は想像の斜め上を行っていた。
『同物同治』
身体の不調な部分を治すには、食材となる動物の同じ部位を食べるのがいいという考えだ。
そしてそれを見事に体現しているのが彼女、いや彼、家永だった。
聞けば彼女は見た目こそは女性だが、本当は男らしい。しかもお爺さんと言えるほどの年齢の。二度見してしまったのは仕方のない事だろう。何せ本当に声も見た目も若い女性なのだ。
家永はこの同物同治で若さや美しさ、強さ。最高の自分を求めていた。しかしそれもやがて枯れ果てる時が来る。
「結局人はないものねだり…。私は他人から奪ってでもそれが欲しい」
そして今、若さと美しさを持つナマエが現れた。
まさに神が遣わしたとしか思えないような偶然に、家永は興奮せずにはいられなかった。
「……」
散々美しいと言われるこの顔だ。そんな家永の話を聞けば、この顔が欲しいと言うのも納得ができる。
しかし、そう語る姿は傷だらけだ。この怪我も完璧を追い求めた結果ついてきたものだろう。ナマエにはその姿が切なく、痛々しく思えてしまったのだ。
「(そんな怪我を負ってまで、追い求める最高って終わりがないように思えるのは俺だけだろうか)」
最高の自分を何をしても追い求める。その執念は称賛に値するものではある。
それでも、やはり家永の考えを理解する事も、直接否定の言葉を言う事もナマエにはできなかった。自分と彼では状況が違いすぎるし、彼もまた己の考えを理解することはきっと不可能だからだ。
「(俺になった所で、)」
そんな事を思っても、ナマエは特に何を言うわけでもなく、その煌めいた瞳の中で少しだけ目じりを下げた。
*
「それで、こっちにある刺青の暗号は…」
台所から湯をもらい、急須でお茶を淹れてながらナマエは黙ってその話し合いの行方を見守っていた。沸かしたばかりの湯は冷えた身体には熱すぎるのか、はねた湯はひどく熱かった。それでも人数分の湯飲みに何回かに分けて同じ濃さのお茶を注ぐ。
話題はもちろん刺青人皮の事だ。
どうやら刺青人皮は金が隠された場所への暗号になっているらしい。ただ刺青人皮を探していると聞かされていたナマエはそれはもうびっくりして急須を落としそうになってしまった。
隠された金の額はなんと二万貫(約八千億円)だ。日本中のどんな金持ちだって、そんな金は持ち合わせていないだろう。もしもその金を手に入れたとしたら一気に大金持ちだ。だがそんなものを追う鶴見中尉と土方、そして尾形の目的はなんなのだろうか。
そんな事を淹れおわった湯飲みを配りながらぼんやり思っていると、やはりそこに尾形が食いついた。
「変人とジジイとチンピラ集めて蝦夷共和国の夢をもう一度か?」
「蝦夷共和国?」
「あぁ」
蝦夷共和国と言えば、この北海道の地で作られ、あっという間に崩れた最早幻の政権だ。
たしかに八万円もの金があれば政権、いや国すら興せるだろう。窓辺に置かれた寝椅子に横たわり、新聞を読むこの人は、そんな事を成し遂げようとしているのか。そう考えると、あまりにも規模が大きすぎて現実味がない話だ。
尾形によると鶴見中尉も同様に北海道の制圧を考えていたというのだから驚きである。
ただしこの金塊は刺青人皮を揃えて暗号を解くか、それを施したのっぺらぼうという男に会わねばならないのだ。またなんとも途方もない話だった。
「その『のっぺらぼう』っていうのはお化けじゃないんだろう?何者なんだ」
「『のっぺらぼう』はアイヌなんだろう」
「アイヌ?」
のっぺらぼうが捕まるきっかけになった所業にはアイヌ人が行う共通点があったようだ。鶴見中尉もそれを知っていたという。そんな事は全く聞かされていなかったナマエが首を傾げていると、ようやく土方が新聞から目を離した。読み終わったのか、脇にその新聞を寄せて「のっぺらぼうはアイヌに成りすましたパルチザンだ」と言う。
「パルチザン?」
「パルチザンと言えば極東ロシアの人達の事だ。…まさか北海道に来てるなんて」
「つまり、のっぺらぼうはアイヌの金塊を樺太経由で持ちだそうとして失敗したのが今回の発端なわけか」
金塊、蝦夷共和国、のっぺらぼう、パルチザン。
刺青人皮を巡る戦いが日本を飛び越えてロシアまで飛び火するとは。今日は何回も驚いてばかりだ。こうして尾形についてきても、第七師団に所属していても、どちらにせよそんな戦争に自分が巻き込まれるなんて思いもしなかった。
その事実に、心臓の脈打ちが早くなり、やがて身体がわずかに震える。
「ナマエ。怖いのか?」
「いいや、面白くなってきたと思ってな」
これはただ純粋な興奮だ。そう言うようにニッと口角をあげて見せれば、尾形もゆるりと唇で弧を描いた。
金塊にはさほど興味はないが、こんなに胸を躍らせる事は早々ないだろう。やはり世界は面白い事で満ちている。
「それで?この後はどうするんだ?刺青人皮の情報探しか?」
「…次は夕張だ」
「夕張?」
夕張と断言した土方を見れば、湯呑を持って窓の外を見つめていた。窓からは程よい日光が差し込み、ナマエからは土方の姿が逆光でよく見えずに目を細めた。妙に神聖めいたものに見えたのは、きっと光の演出によるものだろう。
「第七師団が先日夕張に向けて出立したらしい。あの鶴見中尉とやらもだ」
「この時期に自ら行くなんて事は何かあるだろう、って事か。あながち間違いじゃないかもな」
「何か、ねぇ…」
「いってみるか、夕張」
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拠点が小樽の町はずれな事などはねつ造です。
分かり次第修正します。