春を振りまく鳥について
「はじめまして。ミョウジナマエです」
鶴見はその時、この世にまるで自分とその少年だけしか存在しないような錯覚に陥った。
まだ声変わりをしていない凛としたその声と、生きた絵のような、人形のような、美しい見目が鶴見の全てを奪ったのだ。
これはまだ彼が前頭葉が飛ばされていない頃の話である。
陸士官学校を卒業し、一時的に自宅に戻る事を許された鶴見は、偶然にも母の元へ遊びに来ていたミョウジ家の妻と三男であるナマエに出くわした。母はそれはもうナマエの事が気に入っているようで、いつもは礼節を重んじるキリッとした顔立ちなのに、頬を緩めて少女のようにはしゃいでいた。
たしかに母の足に隠れるようにしてこちらを見るその姿には、幼さの中に心を掴まれるものがある。それは幼い愛らしさ、というよりは完成した美しさだ。
硝子のようにきらりと光る瞳や、桜色の唇などその顔を彩る全てが計算され、人の手で完璧に近づけられたような。一言で言うならば精巧に作られた人形のように思える。
今ですらこの美しさなのだから、きっと大人になったら更に磨きがかかるだろう。
「あら、急にどうしたのかしら」
じっとその顔立ちを見つめていると、隠れていたナマエがそっとその影から全容を現した。肌は白く、傷一つない。子どもにしては随分と上質な着物を着ており、大切にされているのが伺える。
「……」
彼は何を言うわけでもなく、おずおずとこちらを伺い見る。そんな事をしていれば、ナマエを見つめていた鶴見と視線が合うのも必然というもので。じっとお互い見つめ合うと、先に視線を逸らしたのはナマエだった。けれど目があった事にも、逸らした事にも鶴見は何も言わない。
ハラハラと見守る母達の視線も気にせず、無言のまま時が流れる事少しの間。
意を決したように、ナマエが下駄を鳴らしながらこちらに歩いてきた。そうしてやっとたどり着いた鶴見の足元で、彼を見上げるその瞳は妙にきらきら輝いていて、憧れのようなものが見て取れた。
「ふむ、私の元へ来たかったのか」
「…軍人さん、かっこいい」
「そうかそうか。格好いいか。はっはっは」
「ん」
あまりしゃべるのは得意じゃないのだろう。大人しく頷く少年を、ひょいと抱き上げてみればぱっと頬に少し赤みが差す。それは紛う事無き生きた人間の証だ。それでもやっぱり鶴見にとっては愛でるべき人形のように思えて仕方がなかった。
そんな二人の様子を見ていた鶴見の母は、ぽんと手のひらを叩いた。何かを思いついたのか、満面な笑みを浮かべている。
「そうだわ、良い事思いついた。ミョウジさん、この後お時間はありまして?」
*
「ミョウジナマエ二等卒です」
「…君は」
「?」
「いや、なんでもない。私は鶴見だ。よろしく、ミョウジ君」
あれから長い時が過ぎた。
まさか!まさか巡り巡ってここで出会うとは。
まだ新品なのだろう皺も汚れもない、綺麗な軍服に身を包んだミョウジはあの時の幼さがなくなり、更に輪をかけた美人になっていた。本人は鶴見と出会った事を覚えていなさそうだが。
その時は再会できた事と自らの手のひらに落ちてきた喜び。そして何故こんな死が付きまとう所に来てしまったのかという悲しみがまじりあった複雑な気持ちであった。
だが、ミョウジは思いのほか射撃の腕がよく、部下としては使える男だった。
例え二度目の出会いに失敗し、不審な目で見られようと鶴見は傍に置ければそれでで満足だった。だからこそ傍にずっといるように、籠の中に捕まえてしまいたかったが、するりするりと見事に躱されてしまった。
きっとこの鳥は、自由に羽ばたけないと駄目なのだ。
それならば目に見えないくらい大きな籠で覆ってしまおう。少しずつ少しずつ、彼が好んで羽を休めに戻ってくるような環境を作っていく。
本人には気づかれないように、着実に周囲を籠を構築していく最中、ぐんぐんミョウジは頭角を現していく。
そして籠が完全に閉まる前に、また飛んで行ってしまった。
「ねぇ江渡貝君。このお母様達は随分綺麗な剥製だよね。死体があったらこんな風に剥製にしてもらえるのかい?」
「えぇ、時を止めたように美しく保管できますよ」
「ふぅむ、そうか」
所変わって、前頭葉を額当を装着した鶴見は夕張のとある剥製屋の元を訪れていた。
見事な剥製を作り上げる青年、江渡貝は剥製の事になると興味を持ってもらえた事が嬉しいのか、キラキラした瞳で語り出した。
やれ鞣し方がどうの、解体がどうの。それを聞いてうんうんと適度に頷きながら鶴見は人間の剥製を見つめた。その剥製は本当によくできていて、パッと見た限りは本当に生きているようだ。江渡貝の言う通り生きた一瞬を切り取ったような美しさである。
その一瞬を切り取る技術を見て、ふと彼の事を思い出したのだからつまりはそういう事だ。
籠を作っても逃げられる。捕まえようと手を伸ばしても躱される。それならばいっそ時を止めてしまおうか。それもこんなに生前のように留めておけるなら悪くないだろう。
「そうだなぁ、彼が捕まったら…ひとつ頼もうかな」
彼は生きているだけでも見惚れるようだが、きっと死してなお美しい。そしてその美は永遠のものとなる。
なんと素晴らしい事だろうか!
彼がもしも剥製になったなら、是非北海道を独立するその様を共に見届けてもらおう。勝った暁には勝利の女神のように、彼は崇められる事だろう。
鶴見は上着の胸ポケットから小さな紙切れを取り出して穏やかな笑みを浮かべた。そこにはまだ若かりし頃の自分と、幼いミョウジが微妙な距離感で並んでいる。
「きっと、江渡貝君の最高傑作になると思うよ」
来たる未来を想像して、彼は今は手元にいない愛でるべき鳥に思いをはせた。
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鶴見中尉は元々お金持ちだったようなので、きっと昔に何かの繋がりで出会っているだろうという話でした。